ここでは1974年生まれの野手について述べる。同名の投手についてはホセ・フェルナンデス(投手)を参照。
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ホセ・フェルナンデス(Jose Fernandez、1974年11月2日-)とは、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手である。
概要
OB | |
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ホセ・フェルナンデス Jose Fernandez |
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基本情報 | |
国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | ラ・ベガ州 |
生年月日 | 1974年11月2日 |
身長 体重 |
192cm 100kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1993年 |
引退 | 2013年 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
2003年、千葉ロッテマリーンズでは打線の核として期待されていたロバート・ローズがキャンプ中に突然の引退。その代役として初来日となった。打率.303、32本塁打、100打点と期待に十分応える成績を残したが、ロッテは翌年の契約を結ばなかった(一説には2004年のボビー・バレンタイン監督就任に伴い監督お墨付きのベニー・アグバヤニが入団した煽りを受けて渋々外人枠から外されたとする見方もある)。この決断の結果、フェルナンデスはパ・リーグ各球団を渡り歩き何年にもわたりマリーンズの前に立ちはだかることとなる。
その打棒を他球団が放っておくはずもなく、2004年、2005年は西武ライオンズでプレー。ここでも好成績を残すが、急成長を見せる中村剛也らにはじき出される形で放出。
2006年からは野村克也監督率いる東北楽天ゴールデンイーグルスの一員となる。
2008年9月23日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)で8回裏に逆転した埼玉西武の片岡易之が一塁塁上でフェルナンデスに「今日は僕たちが優勝するよ」と声をかけ、フェルナンデスが「いや、僕が9回にホームランを打つよ」と言い、実際9回に西武の守護神アレックス・グラマンから逆転満塁ホームランを打ち、西武の地元優勝を阻止した。
2008年10月2日のロッテ戦で、日本で初めて(とされる)左翼手を守った。しかし、守備機会はなかった。中村紀洋のFA入団の煽りを受け、12月1日付けで東北楽天ゴールデンイーグルスより自由契約となった。
楽天から自由契約発表後、本人は日本球団でのプレーを希望。当初は獲得に乗り出す球団なしとも報じられたが、退団決定前から獲得打診の報道があったオリックス・バファローズが1月15日、正式に獲得を表明し、16日に背番号が『3』に決まった。タフィ・ローズや西武で同僚だったアレックス・カブレラと超重量打線を結成したが、この年は怪我に泣かされ1年で退団する。
オリックスを退団し、2010年からはメキシカンリーグのキンタナロー・タイガースと契約したが、6月には打線の起爆剤を求めていた古巣のライオンズから請われて5年ぶりに復帰。背番号は空き番号だった『52』が与えられた。9月7日に1000本安打を記録。規定打席に到達しなかったが、打率.339 11本塁打と好成績でシーズンを終える。その後西武残留が決定した。
2011年は東日本大震災の影響で、一時帰国するも家族を説得し再来日。往年の爆発力こそ影を潜めたが、中島裕之・中村のあとを受ける5番打者として出場を続ける。例年同様夏頃から少しずつ調子を上げ、10月10日には来日通算200号の節目となるホームランも放った。最終的に打率.259 17本塁打 81打点の成績を残し、指名打者部門でベストナインに輝くもオフに自由契約となり退団。12月11日に楽天が獲得を発表。4年ぶりの復帰となった。
2012年はほぼシーズンを通して一軍で主に一塁手としてプレー。リーグ2位の得点圏打率(.345)をマークし、チーム2位の51打点を挙げたものの、加齢による衰えか期待された本塁打は僅か3本に留まり、オフに退団となった。
2013年はメキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズでプレーしていたが、7月21日にオリックスがブラッド・ミルズ投手と共に緊急獲得したことを発表した。ところが本塁打は1本、打率も.188と揮わず、オフに自由契約となり、その後現役を引退した。
引退後
2018年からは西武の編成部を務める。2021年の名鑑には名前がないため、2020年限りで契約を終了した模様。
人物・プレースタイル
- 助っ人外国人の例に漏れず、パワフルな打撃が特徴のパワーヒッター。打率もそれなりに高く、試合を決定付けるホームランをよく打つまた走るのも好きで、隙があれば走塁や盗塁をしていた。しかし、守備は非常に悪く、球を捕った後にとんでもない魔送球、と言った具合で、1年間で10回以上エラーすることが珍しくなかった。
- 日本では、ロッテ(1年)→西武(2年)→楽天(3年)→オリックス(1年)→西武(2年)→楽天(1年)→オリックス(1年)とパ・リーグのチームを4球団渡り歩いた。出戻りも3球団で1度ずつ経験している。
- ポエマーであり、非常に明るい性格。愛称は「マヨ」(ミドルネームの一部)・「ホセ」などと呼ばれ、親しまれている。
- 2011年6月6日に出場登録日数が8年に達し、国内FAを取得。2012年からは外国人枠を外れ、日本人選手扱いとなる。余談だが、2012年時点で国内FAを取得した外国人選手のうち、タフィ・ローズとアレックス・ラミレス以外は全員西武に在籍したことがある(他は郭泰源、カブレラ、ブライアン・シコースキー、許銘傑)。
- 寒いのが苦手。3・4月上旬の東北で開催されるナイターでは厚着をしていた。
- ロッテ・楽天所属時代にチームメイトだったリック・ショートとかなり仲がいい。
ホセ語録
楽天在籍時代以降、妙に哲学的なコメントを残すようになり名物となっている。
- 人生とは野球そのもの。とにかく楽しむべきだ。それはなぜか。人生には悪いときが必ず来るけど、それに対してわれわれは何もできないからさ。
- 自分で選んだ道ならば、それを愛さなければならない。人生の80%は仕事。オレは野球が大好きなんだ。
- 人生とは野球そのものであり、選択肢がある。ギブアップするか、ギアを切り替えて加速していくかだ。
- そう、野球とは人生そのもの。今日が悪い日だったとしても、明日太陽が昇れば、輝く瞬間が必ず来るのさ。
- 昨日は過ぎ去ったこと。明日はまだ来ていない。オレは今日ここにいる。がんばるだけさ。
- チャンスというものは長い髪の毛ではなく、短い髪の毛で、それをつかまないといけない。(2010年1000本安打到達時のコメント)
- もし、あなたが愛し続けることができる仕事を見つけられたら残りの人生、働かなくても良いだろう。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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西武(旧) | 応援歌のピコカキコ一覧#350 | 9511 | |
楽天 | 応援歌のピコカキコ一覧#548 | 10101 | |
西武 | 応援歌のピコカキコ一覧#217 | 8872 | |
オリックス | 応援歌のピコカキコ一覧#642 | 10572 |
通算打撃成績
通算:13年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
MLB(2年) | 21 | 52 | 49 | 1 | 7 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 17 | 1 | .143 | .192 |
KBO(1年) | 132 | 556 | 499 | 81 | 140 | 24 | 0 | 45 | 107 | 4 | 0 | 1 | 49 | 7 | 114 | 8 | .281 | .353 |
NPB(11年) | 1253 | 5091 | 4566 | 589 | 1286 | 241 | 5 | 206 | 772 | 39 | 0 | 41 | 443 | 40 | 809 | 140 | .282 | .348 |
関連動画
ロッテ時代
西武時代
楽天時代
オリックス時代
関連商品
関連項目
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