ボルシア・ドルトムント(BV Borussia 09 Dortmund)とは、ドイツ・ブンデスリーガに所属するサッカークラブである。
本拠地はノルトライン=ヴェストファーレン州ドルトムント。ホームスタジアムはジグナル・イドゥナ・パルク。
概要
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1909年に18人のサッカー選手によって設立されたクラブであり、ドイツ国内のリーグ戦を8回、DFBポカールを3回制覇しており、1996-97シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグを制覇した実績を持つ名門チームである。“バルシュピール・フェライン・ボルシア”(ボルシアの球技クラブ)の略である「BVB」と表記されることもある。「ボルシア」はラテン語で「プロイセン」を意味する。これは、ドルトムントが設立当時プロイセン王国に属していた事や、近くにあるボルシア醸造所という名称から取られた。
近年は、強豪クラブというイメージが定着しているが、1972年代に2部降格、2000年代には経営難から破産の危機に直面するなどこれまで何度も苦難を味わっており、そのたびに不死鳥のごとく蘇ってきた歴史がある。ユルゲン・クロップ監督が2011年と2012年にチームをリーグ連覇に導いて以降は、優秀な若いタレントを次々と発掘し、UEFAチャンピオンズリーグに毎年出場するようになった。一方で育ったタレントを毎年のように引き抜かれており、近年はドイツ第2の強豪という立場ながらもバイエルン・ミュンヘンのタイトル独占を許してしまっている。
ドイツ国内ではバイエルン・ミュンヘンと並ぶ人気チームであり、地元以外にも多くのサポーターがいる。ホームスタジアムでの試合の平均観客数は約75000人であり、この記録はヨーロッパNo.1である。ホームでの試合にはゴール裏にドルトムントのユニホームやドルトムントのメインカラーである黄色の洋服を着たファンが2万人近く集まり、黄色い壁のようになって応援する。
同じルール工業地帯に属するゲルゼンキルヒェンに本拠地を置くシャルケ04とは激しいライバル関係にあり、両チームの対戦はルールダービー(レヴィアダービー)と呼ばれ、ドイツでも最も熱狂的なダービーマッチとして知られている。また、2010年代以降はバイエルンに対抗できる存在と認識されるようになったこともあり、バイエルンとの対戦はデア・クラシカーと称されるようになり、ドイツのナショナルダービーとして注目されている。
日本人選手としては香川真司が2010年から2012年、2014年から2019年に在籍。特に2010-11、2011-12シーズンに連覇を成し遂げた際にMVP級の活躍を見せており、地元サポーターからは現在でもアイドル的な存在として愛されている。香川の活躍によって日本における知名度も飛躍的に上昇している。
歴史
1909年、教会が運営していた厳しいサッカークラブに不満を持っていた青少年のグループが設立したことに始まる。ドイツ・サッカー選手権では1955-56シーズンに初のリーグ制覇、翌シーズンも優勝し連覇を達成。ブンデスリーガ発足後には1962-63シーズンにリーグ優勝を果たし、1964-65シーズンはDFBポカールを初優勝。1965-66シーズンにはUEFAウィナーズカップを制している。ちなみに、旧西ドイツのチームでは初めてのUEFA主催の大会でのタイトル獲得でもあった。
しかし、1967-68シーズンに14位と低迷したのを皮切りに1970年代からチームは低迷期に入る。1971-72シーズンには17位に沈み2部に降格。そこから4シーズンを2部で過ごすことになる。1975-76シーズンに2位になったことで1部復帰を果たすが、1980年代に入ってからの長い間中位が定位置のチームとなる。1988-89シーズンにDFBポカールを制するまでの23年間はタイトルとは無縁だった。
1990年代に入り、ゲルト・バーニウムが会長に就任したことでチームに大きな変化が生じる。シュテファン・ロイター、マティアス・ザマー、カール=ハインツ・リードレといった国外でプレーしていたドイツ代表選手を次々と獲得し、1990-91シーズンにオットマー・ヒッツフェルトを監督として招聘。ヒッツフェルトの指導によって毎年バイエルン・ミュンヘンと優勝を争うチームにまで成長すると、その後もセリエAで活躍していたユルゲン・コラーやアンドレアス・メラーが加入したことで戦力が充実。1994-95シーズンに32年ぶりのリーグ優勝を果たすと、1995-96シーズンには連覇。さらに1996-97シーズンには多くの下馬評を覆し、当時世界最強チームと言われたユヴェントスを倒してUEFAチャンピオンズカップ優勝を成し遂げる。さらにこの年のトヨタカップでも初優勝を果たし、
欧州制覇したのち、ドイツのクラブでは初めて株式上場を果たすも、ヒッツフェルトの退任、主力の放出やチームの大黒柱だったザマーの大怪我により再び低迷し始め、1999-00シーズンに降格の危機に晒される。その後、引退したザマーが監督に就任しチームの立て直しに着手すると、2001-02シーズンには得点王に輝いたマルシオ・アモローゾ、トマシュ・ロシツキの活躍もあってリーグ優勝を果たす。翌年にUEFAカップ決勝にコマを進めたが、当時小野伸二が所属していたフェイエノールトに敗れてしまう。
その後は株式上場などの経営戦略が裏目に出てしまい、巨額の負債を抱えて経営体力が失われ破産寸前に追い込まれ、ニーハウム会長はチームを追われることに。2006年には本拠地のネーミングライツを売却する羽目になり、チームの成績も中位に低迷する時期が続く。
2008年、ユルゲン・クロップが監督に就任。この頃、チームは国内外から有望な若手を次々と獲得し、彼らをクロップが育てあげることで低迷していたチームは徐々に力をつけていった。クロップは、本来は受け身のはずのカウンター攻撃を自分たち主導で発動できる「ゲーゲンプレス」と呼ばれる戦術を若い選手たちに浸透させ、素早い攻守の切り替えから人数を割いたダイナミックな攻撃による魅力的なチームを作りあげる。そしてマッツ・フンメルス、ネヴェン・スボティッチ、ヌリ・シャヒン、香川真司、マリオ・ゲッツェ、ロベルト・レヴァンドフスキ、イルカイ・ギュンドアンといった23歳以下の若手がクロップの手によってブレイクした2010-11、2011-12シーズンにブンデスリーガ連覇を達成。特に2011-12シーズンはバイエルンとの直接対決で3戦全勝し、国内二冠を達成する完璧なシーズンとなった。2012-13シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ決勝まで進むが、バイエルンとの同国対決に敗れ準優勝となっている。
クロップの戦術は世界中で模倣するチームが現れるほど大きな影響を与えるが、同時に他チームによる研究が進むようになる。加えてチームの財政事情もあり香川、レヴァンドフスキ、ゲッツェといった主力が毎年のように引き抜かれてしまい、連覇をピークにチーム力は低下するようになる。特にエースのレヴァンドフスキがバイエルンに移籍した穴は深刻で、2014-15シーズンは前半戦を最下位で折り返すほどの不調に陥ってしまう。チームに復帰した香川やマルコ・ロイス、ピエール=エリック・オーバメヤンの活躍で後半戦盛り返したが、7位に終わりクロップはチームを去ることになる。
2015年にクロップの後任としてトーマス・トゥヘルが就任。トゥヘルはクロップの戦術をベースとしながら、ボール保持の概念を持ち込んだり、3バックを採用するなど柔軟で多彩な戦術を採用。だが、この時期も主力の流出は止まらず、フンメルス、ギュンドアン、ヘンリク・ムヒタリアンといった主力が引き抜かれたことでチーム作りの見直しを余儀なくされた。2016-17シーズンにDFBポカール優勝を果たしたものの、フロントとの確執が表面化したトゥヘルは2年で退任となる。その後もブンデスリーガでは上位を維持していたが、バイエルンとのチーム力の差は埋まらず、アーリング・ハーランドやジェード・ベリンガムといった有望な若手がチームに加わっても獲得できたタイトルは2020-21シーズンのDFBポカールのみとなっている。
ハーランドがマンチェスター・シティに移籍した2022-23シーズンは前半戦こそ出遅れたが、ワールドカップ後に破竹の11連勝で追い上げ、首位バイエルンの失速も手伝って激しい優勝争いを演じる。最終節を首位で迎え、11年ぶりのリーグ優勝に大きな期待がかかるが、最終節でマインツを相手に引き分けてしまい、バイエルンに勝ち点差での逆転優勝を許してしまう。
タイトル
国内タイトル
- ブンデスリーガ 5回
1994-95, 1995-96, 2001-02, 2010-11, 2011-12 - DFBポカール 5回
1964-65, 1988-89, 2011-12, 2016-17, 2020-21 - DFLスーパーカップ 6回
1989, 1995, 1996, 2013, 2014, 2019
国際タイトル
現在の所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
---|---|---|---|---|---|---|
- | 監督 | エディン・テルジッチ | 1982.10.30 | 2022 | ドルトムントTD | |
1 | GK | グレゴール・コベル | 1997.12.6 | 2021 | シュトゥットガルト | |
2 | DF | マテウ・モレイ | 2000.3.2 | 2019 | バルセロナB | |
4 | DF | ニコ・シュロッターベック | 1999.12.1 | 2022 | フライブルク | |
5 | DF | ラミ・ベンセバイニ | 1995.4.16 | 2023 | ボルシアMG | |
6 | MF | サリフ・エスジャン | 1998.1.11 | 2022 | ケルン | |
8 | MF | フェリックス・エンメチャ | 2000.10.10 | 2023 | ヴォルフスブルク | |
9 | FW | セバスティアン・ハラー | 1994.6.22 | 2022 | アヤックス | |
10 | FW | ジェイドン・サンチョ | 2000.3.25 | 2024 | マンチェスター・U | |
11 | FW | マルコ・ロイス | 1989.5.31 | 2012 | ボルシアMG | |
14 | FW | ニクラス・フュルクルク | 1993.2.9 | 2023 | ブレーメン | |
15 | DF | マッツ・フンメルス | 1988.12.6 | 2019 | バイエルン | |
16 | FW | ジュリアン・デュランビル | 2006.3.5 | 2023 | アンデルレヒト | |
17 | DF | マリウス・ヴォルフ | 1992.4.10 | 2022 | リヴァプール | |
18 | MF | ユスファ・ムココ | 2004.11.20 | 2020 | ドルトムントユース | |
19 | MF | ユリアン・ブラント | 1996.5.2 | 2019 | レヴァークーゼン | |
20 | MF | マルセル・ザビッツァー | 1994.3.17 | 2023 | マンチェスター・U | |
21 | FW | ドニエル・マレン | 1999.1.19 | 2021 | PSVアイントホーフェン | |
22 | DF | イアン・マートセン | 2002.3.10 | 2024 | チェルシー | |
23 | MF | エムレ・ジャン(C) | 1994.1.12 | 2020 | ユヴェントス | |
25 | FW | ニクラス・ジューレ | 1995.9.3 | 2022 | バイエルン | |
26 | DF | ユリアン・リエルソン | 1997.11.13 | 2023 | ウニオン・ベルリン | |
27 | FW | カリム・アデイェミ | 2002.1.8 | 2022 | ザルツブルク | |
29 | FW | パリス・ブルナー | 2006.2.15 | 2020 | ドルトムントユース | |
30 | MF | オーレ・ポールマン | 2001.4.5 | 2023 | ドルトムントⅡ | |
31 | GK | サイラス・オストルジンスキ | 2003.11.19 | 2022 | ドルトムントⅡ | |
32 | MF | アブドゥライェ・カマラ | 2004.12.6 | 2021 | パリ・サンジェルマンユース | |
33 | GK | アレクサンダー・マイヤー | 1993.4.13 | 2022 | レーゲンスブルク | |
35 | GK | マルセル・ロトカ | 2001.5.25 | 2022 | ヘルタ・ベルリン | |
43 | FW | ジェイミー・バイノー=ギッテンス | 2004.8.8 | 2022 | ドルトムントⅡ | |
47 | MF | アントニオス・パパドプーロス | 1999.9.10 | 2021 | ドルトムントⅡ |
過去所属していた主な選手
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関連動画
関連静画
関連コミュニティ
関連項目
親記事
子記事
兄弟記事
- バイエルン・ミュンヘン
- バイヤー・レヴァークーゼン
- VfLヴォルフスブルク
- 1.FCケルン
- VfBシュトゥットガルト
- ヴェルダー・ブレーメン
- 浅野拓磨
- 堂安律
- アイントラハト・フランクフルト
- ボルシア・メンヒェングラートバッハ
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