ボンネビルレコード(Bonneville Record)とは、
- 日本の元競走馬。本稿で詳述する。
- 『田村ゆかりのいたずら黒うさぎ』の常連リスナー。名前は1.の競走馬から取っている。ゆかり王国民でありボンネビルレコードファンという御仁である。
田村ゆかり女史がボンネビルレコードを好きといったり、競馬が好きといった記録は筆者が知るかぎり無い。おそらく彼の趣味がダダ漏れしているだけである。
大井競馬場でボンネビルレコードの応援横断幕を広げており、引退レースももちろん見に行っていた。オーナーサイドの厚意で引退式の口取り写真にも写ったそうである。関係者にも認められるほどのガチファンと言えよう。
いたずら黒うさぎでも、2ちゃんで宣戦布告しようと言われたほどメールやはがきが読まれている。こっちもガチ。
ボンネビルレコードとは、2002年生まれの日本の競走馬である。鹿毛の牡馬。
主な勝ち鞍
2005年:黒潮杯、東京記念
2006年:サンタアニタトロフィー
2007年:帝王賞(JpnI)、大井金盃
2008年:かしわ記念(JpnI)、日本テレビ盃(JpnII)
大井競馬場のその他大勢からの飛躍
父アサティス、母ダイワスタン、母父マルゼンスキーという血統。初期の頃のダビスタで生産した馬のような血統であるが、同い年にディープインパクトがいる2002年生まれである。
馬名は、アメリカのサーキットボンネビル・スピードウェイからボンネビルをとって、競馬でもよく使われるレコード(記録)を組み合わせたもの。
2004年の10月、後のライバルになる同世代ヴァーミリアンやカネヒキリより少し遅くにデビューし、鮮やかに勝ち上がるが、その後は2着3連続と3着2連続をやるなどイマイチ勝ち切れないまま、南関クラシックシーズンに突入。羽田盃5着、主戦騎手的場文男の悲願である東京ダービーは4着とやっぱり完全にいいとこなしではないが勝利には繋がらず。
しかしジャパンダートダービーではカネヒキリが圧勝する中、しれっと3着に突っ込み、ドンクールやコンゴウリキシオーより先着するなど兆しを見せると、夏の名物重賞黒潮盃を勝ち、勢いに乗った東京記念では古馬も撃破し連勝。さらにもう一丁勝ち三連勝。意気揚々と東京大賞典に挑むが、一個上のアジュディミツオー圧巻の逃げ切りの前に7着に敗れ3歳を終えた。
古馬になった後は謎の惨敗スタートを切るが、大井記念2着で復調すると帝王賞5着を挟んでサンタアニタトロフィーを勝利。しかし連覇を狙った東京記念2着、JBCクラシック@川崎で3着、東京大賞典6着として4歳を終えた。イマイチに見えなくもない。
翌年、初戦の川崎記念は完敗するが金盃は巻き返しの勝利を挙げると、彼にとっての転機が訪れる。そう、中央移籍である。
謎の移籍と凱旋勝利
ん?大きな実績も無いし5歳の馬を中央に?と中央競馬ファンが目を丸くするなか、美浦の堀井厩舎に移籍した彼は移籍初戦に芝2000mのエイプリルステークス(オープン)に出走。お?何か未知の適性でも見つかったか?ということで最低人気ではなくブービー人気に推されるがそんなものは存在せず最下位敗戦。
ちなみに、このエイプリルステークスはかつての皐月賞2着馬タイガーカフェの最後の勝利となった。現在彼は変わりなければチェコで種牡馬をしている。
それはさておき、その後はダート路線に向かうがかしわ記念4着、ブリリアントステークス3着とやっぱり勝ちきれず。帝王賞に向かった。元大井所属とはいえ、中央でも目立った成績はなく交流では大井時代も掲示板に届くか届かないかという彼はあまり人気はなく離された5番人気となった。
しかし、このレースで背中に帰ってきた鞍上・的場文男とのコンビで臨んだ、中央の施設で鍛えた彼は一味違った。大井の砂が深い最内をロスなく回りつつ、力強く抜け出しブルーコンコルドに1馬身半差を付け快勝。見事な凱旋勝利を飾ったのである。
この凱旋勝利は、中央の坂路を使って鍛え直したかったという移籍の目的、大井を知り尽くした鞍上もとい運命の人・的場文男、力量的に一番いい時期だったという事がうまく重なりあった結実と言えよう。
その後はJBCで除外の憂き目に遭い、秋の天皇賞に出て惨敗した以外はひたすら地方交流競争に出走。
じゃあ大井に居ても良かったんじゃないか?とも思うかも知れないが、それはスマートファルコンにでも言ってやって欲しい。適鞍を狙うのは世の習いである。
2008年のかしわ記念を勝ったり、帝王賞では2008年フリオーソの2着、2009年はヴァーミリアンの3着と的場文男が乗れるレースかつ大井や船橋ではいい結果を残す反面、中央のジャパンカップダートや園田でのJBCでは苦戦を強いられた。そして2010年、8歳の冬の川崎記念6着を最後に中央登録を抹消。再び大井競馬場に舞い戻った。
最後の日々
大井に舞い戻った彼だが、8歳になっておりもう競走馬としての斜陽を迎えつつあった。しかし復帰初戦の大井記念で2着と健在をアピール。
帝王賞では3着に入り、その次走となったサンタアニタトロフィーでも2着。まだまだ元気じゃないか…と思ったが、さすがにこれ以降は凡走が続き、2着が一回、3着が一回あっただけで振るわず。それでも帝王賞では出走すれば元気に掲示板を取るあたり、彼は帝王賞の申し子か何かだったのであろう。
そして、同世代で走っている上級馬も数えるほどいなくなった2012年12月、東京大賞典を最後に引退することを発表。的場文男と共に引退レースに臨んだ。
しかしながら衰えは隠せず、追走にすら手間取り9着に完敗し引退。彼が愛した大井競馬場で誘導馬になることとなった。
引退後に若干不満がある方もいるだろうが、引退式もフリオーソと合同で開いてもらえたし、血統面から言っても変に種牡馬にされて失敗して消息不明になるよりは幾分もマシであろう。
的場文男の豪快なダンス追い以外では梃子でも動かないくらいズブかった彼ではあるが、2013年6月26日に晴れて誘導馬としてデビューした。その舞台は帝王賞。帝王賞の申し子たる彼にとって、これ以上ない相応しい舞台で誘導馬としての一歩を踏み出した。
ちなみに、2002年生まれの競走馬の収得賞金ではGⅠ2勝のラインクラフトに次ぐ6位である。シーザリオやインティライミあたりより稼いでいる。
ちなみに1位はディープインパクト(三冠馬)。そこからはヴァーミリアン(8歳まで現役)、カネヒキリ(8歳まで現役)、トウカイトリック(12歳まで現役)、ラインクラフト(4歳で死亡)、そしてボンネビルレコード(10歳まで現役)である。 なんか色々おかしいのは突っ込んではいけない。
そして時は流れ2022年6月末、9年間務めた大井競馬の誘導馬を引退。この最後の舞台も帝王賞。第二の馬生も帝王賞に始まり帝王賞に終わるものであった。
血統表
*アサティス Assatis 1985 鹿毛 |
Topsider 1974 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Drumtop | Round Table | ||
Zonah | |||
Secret Asset 1977 鹿毛 |
Graustark | Ribot | |
Flower Bowl | |||
Numbered Account | Buckpasser | ||
Intriguing | |||
ダイワスタン 1989 黒鹿毛 FNo.4-m |
マルゼンスキー 1974 鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer |
Flaming Page | |||
*シル | Buckpasser | ||
Quill | |||
ダイワベル 1976 黒鹿毛 |
*テスコボーイ | Princely Gift | |
Suncourt | |||
エリモホープ | *ガバドール | ||
タイホープ | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Northern Dancer 3×4(18.75%)、Buckpasser 4×4(12.50%)、Princequillo 5×5(6.25%)、Nasrullah 5×5(6.25%)
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関連項目
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