ポアンカレ予想(Poincaré conjecture)とは、1904年にフランスの数学者アンリ・ポアンカレ(Jules-Henri Poincaré)によって提言され、その後100年もの間未解決であり、その後ミレニアム懸賞問題(賞金100万ドル)にもかけられた位相幾何学の大難題である。
予想の内容は、以下の通りである。S3は、4次元座標で現された空間で{(x, y, z, ω)∈R4 | x2+y2+z2+ω2=1}を現す。
"Soit une variété compacte V simplement connexe, à 3 dimensions, sans bord. Alors V est homéomorphe à une hypersphère de dimension 3."
用語解説
(閉)多様体とは
まずは、2次元を例に解説しよう。今、自分がいる場所を平地だと思って、自分を中心に座標軸をイメージしよう。左右がx軸、前後がy軸だ。このとき、x軸とy軸は地面もしくは海面に沿っているものとする。本来、座標軸は原点以外で交わらないし、ループもしないはずだ。しかし地球上で考えると、座標軸は反対側で交わるし、ループもしている。これでは完璧な座標軸とは言えない。
それでも全く無意味なわけではない。自分の視界に入る範囲内など、ある程度狭い範囲であれば、地球上に座標軸を設定しても問題は生じないのだ。それで地図を描くこともできる。これは地球上のどの地点にいても同じ。このように、どの地点からでも、ある程度狭い範囲で座標が設定できる図形を多様体という。
多様体の中でも、大きさが有限のものを閉多様体という。2次元で例をとると、球面やトーラス等がある。座標平面はどこまでも平面が続いているので、閉多様体ではない。また、大きさが有限であっても端があるものは、多様体ではないので注意。球面に切れ目を入れてしまうと、多様体ではなくなる。
では、3次元の閉多様体とはどのようなものがあるだろうか。そう言われてもイメージし辛い人が多いだろう。それもそのはず。3次元の図形を、より高次元の空間で考えなければならないからだ。言うなれば、宇宙を空間の外から見るようなものである。実際どのようなものがあるかというと、前述の3次元球面が代表的なものである。
単連結とは
簡単に言うと、穴がない図形のこと。例えば、球面は穴がないので単連結である。対して、トーラスは切れ目はないものの、外側から見れば穴が貫通しているように見ることができる。よって単連結ではない。厳密には、図形に沿って1周させた紐が必ず図形に沿って1点に収縮できるものを言う。実際に球面は、どのように紐をかけようと必ず1点に収縮できる。トーラスは穴の周りにぐるりと紐をかければ、1点に収縮することができない。
同相とは
形を連続的に変化させることができる、ということ。具体的には、一方の図形を曲げたり伸ばしたり縮めたりして、他方の図形に変形できるということ。例えば、穴が1つの図形はいかなる図形もすべて同相である。
トポロジーでは、こういった同相な図形を「同じもの」として考えている。「穴の数」などの大まかな構造が同じであれば、細かな凹凸の違いなどは無視して「同じ」と呼んでいるのである。
ポアンカレ予想解決に向けた推移
本章では、ポアンカレ予想が提唱されてから解決に至るまでの大まかな歴史を述べる。
年 | 氏名 | 仕事の内容 | 具体的な仕事を述べた文献・論文 |
1904
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J. H. Poincaré |
[1]H. Poincaré, Oeuvres, Tome VI, Paris 1953.
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1930-
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J. H. C. Whitehead |
[2]J. H. C. Whitehead, Mathematical Works, Volume II, Pergamon 1962. |
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1960
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S. Smale A. Wallace |
定理「Mn を次元n ≥ 5 の微分可能なホモトピー球面とする。MnはSnと同相である。実際、Mn は2個の閉n次元球体の境界を或る微分同相写像で貼り合せて得られる多様体と微分同相である。」を発案。高次元におけるポアンカレ予想は証明されたことを報告した[3][4]。微分可能性に着目して攻めたことが特徴。 |
[3]S. Smale, Generalized Poincar´e’s conjecture in dimensions greater than four, [4]S. Smale, The story of the higher dimensional Poincar´e conjecture (What actually happened on the beaches of Rio), Math. Intelligencer 12 (1990) 44–51. [5]A. Wallace, Modiffcations and cobounding manifolds, II , J. Math. Mech 10 |
1982 | M. H. Freedman |
残った3次元・4次元のポアンカレ予想のうち、4次元の問題を解決。Freedmanの定理「2つの単連結な4次元閉多様体が位相同型であることと、同じ双線形形式β を持ち、同じカービー・ジーベンマン不変量κ を持つこととは同値である。任意のβ はそのような多様体の双線形形式となり得る。もしもあるx ∈ H2 に対し、β(x⊗x)が奇数ならば、κ のいずれの値もとりうる。β(x⊗x)が常に偶数ならばκはβ の符号数の8分の1と合同となり、β により決まった値をとる。」を発案・証明した[6]。 |
[6]M. H. Freedman, The topology of four-dimensional manifolds, J. Diff. Geom. 17
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1982-
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W. Thurston |
Thurston Programとよばれる3次元多様体の分類に関する理論の構築。3次元多様体は、2次元球面と2次元トーラスに沿って一意的に構成部分ごとに分離される。Thurston Programによれば、3次元の幾何は8つの構成に分離されることが予測されていた。8つのうち6つは、良く知られたものであるが、残り1つがあまり良く知られていなかった[7]。
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[7]W. P. Thurston, Three dimensional manifolds, Kleinian groups and hyperbolic |
1982
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R. Hamilton |
Thurston Programの証明。その証明の過程で用いた「リッチ・フロー」とよばれる微分幾何の概念を作り出し、Perelmanの仕事に貢献[8]。 |
[8]R. Hamilton, Three-manifolds with positive Ricci curvature, J. Diff. Geom 17 (1982), 255–306. |
2002 |
G. Perelman | 自身の専門である微分幾何学を用いて、リッチフローの導入やエントロピーなど物理学の指標を導入するなど、突出した方法で3次元多様体におけるポアンカレ予想を証明 | 次章で紹介 |
G. Perelmanの論文
1)G. Perelman, The entropy formula for the Ricci flow and its geometric applications. arXiv:math.DG/0211159 (2002).
2)G. Perelman, Ricci flow with surgery on three-manifolds. arXiv:math.DG/0303109 (2003).
3)G. Perelman, Finite extinction time for the solutions to the Ricci flow on certain three-manifolds. arXiv:math.DG/0307245 (2003).
参考文献
J. Milnor (2004). "The Poincaré Conjecture 99 Years Later: A Progress Report" (PDF). http://www.math.sunysb.edu/~jack/PREPRINTS/poiproof.pdf. Retrieved 2007-05-05
関連動画
…つまり、どういうこと?
解りやすくなるかは分からないが、平易な言葉で書き換えてみよう。
微分幾何学や解析幾何学などの従来の幾何学は、図形を複雑な数式として表現し、方程式の解析によって得られる数値を考察して幾何というものを考えてきた。これらは数値という厳密な結果が証拠となるため、より正確な解釈を可能とするものの、図形の持つ構造など全体像を把握する場合は計算の煩雑さにより、時間がかかる、または厳密解が出せないなどの欠点があった。
対して位相幾何学は、数式による厳密な議論はなるべく少なめに抑え、図形から図形へ連続的に変化できるか否かを考察することで図形の構造を解釈しようと試みる「柔らかな幾何学」である。図形から図形への変化は、図形を切ったり貼り付けたりすることは禁則として、粘土を伸縮させるように行う。例えば、取っ手のついた粘土で作られたコップは、取っ手の穴を塞がない様に形を変えるとドーナツの形(トーラス)になる。つまり、「取っ手のついたコップは穴の開いたドーナツと穴の開き方や滑らかさなど大体同じ構造をしている」と捉えられる。これが位相幾何学のアプローチである。
図形と図形の連続的な変形ができるか否かは、3次元であれば直感で判断できるが、4次元以上に対しては直感だけで判断するのは困難である。そこで一般的に、図形に点を入れる、紐を掛ける、平面を貼り付けるなどの操作を、数学的な定義に則って行い、解釈するという方法が取られる。
直感の人ポアンカレは、「穴の無い有限の体積を持った4次元空間の3次元の表面は、4次元のボールの表面と同じ構造なのではないか?」という予想を提案した。ニコニコ動画の中では、この状況を良く宇宙で表現する。相対性理論では、空間は3次元+時間の4次元で表される。宇宙が「一定の大きさを持った、穴の無い空間」であるならば、宇宙の構造はどんな図形と大体同じなのか?これを解決してみようとしたのである。
一見当たり前に見えた予想は、実は100年間証明不可能であった難問であった。4次元をn次元と拡張したところ、5次元以上の場合は2次元の平面の貼り付け方が自由であることが分かり、SmaleやWallasらによって高次元に拡張した場合のポアンカレ予想は証明された。
一方、3次元や4次元の場合は、2次元の平面を自由に配置することが出来ない。そのため、構造の解析が複雑になり高次元の場合よりも困難となる。そこでFreedmanは、4次元の場合においては構造が大体同じである、という意味を位相幾何学において構造決定の役割を担う量とを結びつけて分類し、4次元の場合のポアンカレ予想の証明に成功した。
残る3次元は、無視できない制限が4次元の場合よりも多く、Freedmanの証明はそのまま適用できない。Thurstonは、「考えている3次元の図形を分かりやすい2次元平面の組み合わせで分類できないか」という構想の下、3次元の図形の分類表を作るための幾何化予想(Thurston Program)を提案した。この結果、サーストンの幾何化予想が正しければ、ポアンカレ予想は証明できることが方向付けられたのである(サーストンは自身の予想の証明を断念している)。
キノコ狩りの数学者Perelmanは、構造分類についてリッチ・フロー(Ricci flow)と呼ばれる方程式を用いて、構造分類の量をエントロピーなど熱力学などで現れる物理量に対応させて証明を行った。これは、Perelmanが数学だけでなく、物理学や数理物理学にも秀でていたことに起因しているのではないかと考えられている。証明後、彼の姿を見たものはいるのだろうか・・・
もっと平易にすると
地球のある一点からある方向に無限に長い紐つきのロケットを発射したとする。もしもロケットが宇宙を一周して地球に帰還したとして、この紐を引っ張って回収できるのか?できた場合、宇宙は球形といえるのか?という問題に対する予想である。
さらに強引にまとめると、(宇宙)空間全体をさながらビルに例えたとする。ビルの外壁に沿って紐をぐるりとくくりつけることが可能だった場合、そのビルの外観はどんな形をしていると考えられるだろうか?という問題に対する予想である。
あえて誤解を恐れずにさらに簡単にすると、(宇宙)空間の表面の図形を計算で表現できるか?という予想である。
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