マヌエル・デ・ファリャ(1876~1946)とは、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したスペインの作曲家・ピアニストである。
概要
フルネームはマヌエル・デ・ファリャ・イ・マテウ。カディスに生まれる。ピアニストとしては早熟で、早くから名の知れた人物であったが、作曲家としてのキャリアは遅く、名声を得たのは1917年にディアギレフのロシア・バレエ団のために作曲した、バレエ『三角帽子』からであった。
しかしその後も1920年代にはグラナダでの穏やかな信仰生活に戻り、作風もそれまでの印象主義的な「スペイン主義」から古いスペイン音楽家らの影響が顕著になっている。しかしやがてスペイン内戦が始まると、友人の詩人・フェデリコ・ガルシーア・ロルカの殺害に心を痛め、アルゼンチンに亡命した。
最後の20年間はカンタータ『アトランティーダ』を作曲していたが、この曲の完成を見ずに亡くなることとなった。
クリストバル・ド・モラレス、トマス・ルイス・デ・ヴィクトリア以来のもっとも偉大なスペイン人作曲家の一人と言われており、作風としてはイサーク・アルベニス、エンリケ・グラナドスのロマン派的スペイン音楽にクロード・ドビュッシーやイーゴリ・ストラヴィンスキーのモダニズムを併せ持ったものであった。しかし前述のとおり、やがてそのような自身のバレエ音楽の印象主義的な華やかな作風から、新古典主義へと移っていったのである。
関連動画
関連商品
関連項目
- 0
- 0pt