ミシェル・フーコー(Michel Foucault)(1926~1984)は、20世紀に活躍したフランスの哲学者である。
概要
1926年にフランス西部のポワティエに生まれる。1951年にリール大学助手として採用後、哲学研究者として知性、権力、性など幅広い分野での研究・著作に励んだ。1970年からはコレージュ・ド・フランス教授。さらなる発展的研究を期待されていたが、後天性免疫不全症候群(エイズ)を発症。1984年に57歳の若さで没した。
フーコーの思想
フーコーは、構造主義からポスト構造主義の時代を生き、構造主義の四天王(フーコー、ロラン・バルト、クロード・レヴィ=ストロース、ジャック・ラカン)やらデリダ、ドゥルーズと一緒にポストモダンの代表的な思想家として扱われるやらで、カテゴリーが難しい人物である。しかしその思想に一貫しているのは、抑圧が具体的な場所でどのような言い方に支えられて行われているかという分析が、主題となっているということだ。つまり、フーコーは、従来の理論が権力論を「悪者」を想定することによって成立させてきたのに対し、日常的な言い方、すなわち言説が抑圧的な権力を行使するとする。
フーコーの名前を一躍有名にしたのは1966年の『言葉と物―人文科学の考古学』である。フーコーは人文科学の知を時代のエピステーメ、すなわち総合知の中でとらえようとしたのである。そのモデルは考古学であり、言表(エノンセ)は言説(ディスクール)、言説はアルシーフに従っており、地層のように時代ごとに非連続な切断が生じているというのがその主張である。
この本の中でフーコーは16世紀末のルネッサンスの時代、17~18世紀の古典主義の時代、19世紀以降の近代の知の三つの時代を区分する。近代以前は何らかの徴を持つ類似が知を構成していた。やがて古典主義時代には同一性と再生の原理に基づき表象し表にすることを基本としていた。そして近代とは目に見えぬもの、すなわち表象の限界によって訪れ、「人間」と「歴史」という二つの見えない原理が知の構造を規定しているというのである。
そして近代とは人間学を誕生させた。すなわち、古典主義の時代には理性に限界はなく、客観的な観察者たり得た人間の理性、コギトが観察対象である世界の中に入ってしまったのである。フーコーはそれに対し「人間の終焉」を唱えた。フーコーによれば、「人間」という概念は、歴史的偶然の組み合わせによる創造物、権力関係の結果、言説による絵空事である。その意味するところは、自己抑制的な理性的行為体(agent)としての人間、合理主義者たちによって仮定され、フランス革命において勝利を収めた知識を有する主体としての「人間」が存在するようになったその瞬間を追うことができるなら、同様に「人間の終焉」も予見することが出来るとする。「人間」概念の分析の結果である精神分析学、文化人類学、言語学によって人間(主体agent、合理主義者)から出発する思想が終わり現代思想が誕生したというのである。
またフーコーのもう一つの思想として極めて有名なのが『狂気の歴史―古典主義時代における』において展開しているものである。中世は狂気は異常なものであったが、ある場合は一種の逆転した知ともみなされるものであった。しかし古典主義時代は狂気から理性が自分を分離し、閉じ込め、自分自身を確立する、大監禁が起きたのである。しかし理性の時代に排除された狂気と近代に再び人間は直面することとなる。同様のことは『臨床医学の誕生』でも扱われ、最初の近代的な臨床医が通う医学教育機関において始まった新しいタイプの監視、「まなざし」に焦点を当てている。フーコーによれば、国家は臨床医の目を通して臣民たちの健康を管理監督した。
さらに遺作となった『性の歴史』では権力を語らせることを通して管理するものと描く。つまり抑圧するのではなく、例えば性についてヒミツとするがゆえに語らせるという管理を行うのである。そしてフーコーは別のスタイルを持った性のあり方、つまりギリシア・ローマ時代の性現象の歴史の中に生存への技術を見ようとした。
そしてフーコーの思想は彼の死によってそれ以後が描かれることなく終わってしまったのである。
フーコーの功績
フランスのポストモダニズムの哲学者の代表格とされる。最も有名な著作である『監獄の誕生』では、近代社会における権力による刑罰や秩序維持のシステムについて、19世紀のイギリスの哲学者ベンサムが提唱した監獄「パノプティコン」になぞらえ、権力による監視と市民の規律化の構造を解き明かした。
主要な著作
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関連項目
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