ミズーリ(BB-63)とはアメリカ海軍の戦艦である。
現在はハワイ・パールハーバーで記念艦として公開中。
高速戦艦アイオワ級の3番艦であり、進水したのが4番艦のウィスコンシンよりも約1ヶ月遅れた為、『最後の戦艦』とも言われている。
第二次世界大戦における降伏文書調印式の舞台と言う大役を務め、朝鮮戦争、湾岸戦争など長きに渡って戦争を戦い抜いた武勲艦である。
戦歴
太平洋戦争~予備役入り
1941年1月6日ニューヨーク海軍工廠にて建造、1944年6月11日に就役。
訓練を終え、空母レキシントン率いる任務部隊に参加したのは1945年1月であり、その頃には日本連合艦隊が壊滅しカミカゼ攻撃との戦いになっていた。
1945年2月の硫黄島の戦いでは、上陸部隊支援の為の艦砲射撃に従事。
3月には沖縄上陸前の準備として沖縄東南部に艦砲射撃を行っている。
同年4月11日。ミズーリに対し1機の零戦(爆装)が突入を試みた。その結果ミズーリの右舷甲板部が損傷。
特攻隊員の遺体の一部が40mm機銃座から回収され、ウィリアム・キャラハン艦長はこの飛行士を、名誉を持って自らの任務を全うしたとして海軍式の水葬で弔われた。特攻隊員の名は、第五建武隊の「石野節雄」二等兵曹といわれている。この甲板部の損傷は現在も残されている。
沖縄戦終結後の7月には、主要工業都市である室蘭市、釜石市、日立市への艦砲射撃に従事。
そして8月15日、日本のポツダム宣言の承諾により戦争が終結した。
9月12日、東京湾に入ったミズーリは降伏文章調印式の舞台として、その名を歴史に刻んだ。
その時に飾られたアメリカ国旗の一つは31州の星が描かれた星条旗である。
これは黒船来航時の国旗であり、ミズーリは第二の黒船として来航した事となる。
1950年朝鮮戦争勃発。ミズーリは9月の仁川上陸作戦(クロマイト作戦)で上陸部隊の支援を行った。
それから55年まで朝鮮半島東海岸沖の艦砲射撃を続けた。
朝鮮戦争後は予備役入りし、30年近い休息に入る事となる。
再就役~湾岸戦争
1984年、再就役する事となったミズーリは、他の姉妹艦同様に近代化改修が行われた。
2年にもわたる近代化改修の際に副砲の砲塔を、そしてトマホーク巡航ミサイルの発射機が8基、計32発のトマホークミサイルを装備し1986年に再就役となった。その後は世界中を航海しながら、海上護衛、リムパック参加を行っている。
1991年には湾岸戦争に出動し、イラク軍へのトマホークミサイルや艦砲射撃で上陸部隊の支援を行っている。
1991年2月28日に湾岸戦争が終結、年末には真珠湾攻撃50周年記念式典に参加した。
これがミズーリの最後の任務と言われている。
同年にはソ連が崩壊し冷戦が終結。
軍事費の削減にともない退役となったミズーリは、ワシントントン州ブレマートンに係留された。
記念艦として
退役後の1998年。ミズーリ保存協会に寄付される事が決定したミズーリは真珠湾へと寄航、翌年の1999年に記念艦としてオープンした。真珠湾攻撃で戦没したアリゾナと、その上に建てられたアリゾナメモリアルを見守るように、現在も存在している。
創作上では
ミズーリは記念艦としてもさることながら、様々な創作物で舞台となったり、役者艦としても活躍している。
最強のコックが暴れまわったり(殆どのシーンが戦艦アラバマだけど)、未知の軍団相手にドリフトをかましたりと大活躍している。
関連動画
ミズーリ(BB-63)に関するニコニコ動画の動画を紹介してください。
関連商品
関連コミュニティ
ミズーリ(BB-63)に関するニコニコミュニティを紹介してください。
関連項目
- 2
- 0pt