モショニ・ミハーイ / ミハーイ・モショニ(1815~1870)とは、19世紀に活躍したハンガリーの作曲家である。
ハンガリー人のため姓名の方を本記事とする。
概要
1815年にモション城県ボルドグアッソニュ(現オーストリアブルゲンラント州フラウエンキルヒェン)に生まれ、もともとの名前はミヒャエル・G・ブラントだった。彼は独学で音楽を学び、特にベートーヴェンに強く影響され、ウィーン古典派をハンガリーで確立させようと努力したのである。
しかし、1856年、エステルゴム大聖堂の聖別式のミサ曲初演の際、フランツ・リストの協力者となり、その作曲技術に驚愕したことから、ハンガリー音楽を目指すこととなった。そのためにそれまでの名前から出身地モション県を示す新しい名前を名付けて変えることになり、以降も作曲活動を続けていった。
しかし1870年9月29日にセクサールドのアウグス男爵邸を訪ね聖ミカエルの日をリストとともに過ごした帰りに、大嵐にあい、それが原因で肺炎にかかり10月31日に亡くなったのであった。リストは彼を偲ぶ『モショニの葬送行進曲』を作った。
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残念ながらないようだ
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