モーリス・ホワイト(Maurice White)とは、バンド「Earth,Wind&Fire」の元リーダーでありリードボーカル、パーカッション奏者である。
概要
世界的なファンクバンド、Earth,Wind&Fireの創設者でありボーカル、パーカッション、カリンバを演奏する。
1941年アメリカのメンフィスで生まれる。1953年にドラムを始め、1966年にはラムゼイ・ルイスの元でドラムを担当している。ラムゼイ・ルイスの元で様々な音楽的素養を身につけたモーリスは、1969年にラムゼイの元を離れEW&Fの前進であるソルティ・ペパーズを結成する。
その後1970年に兄弟であるヴァーディン・ホワイト、フレッド・ホワイトを誘いEW&Fを結成する。
初期はジャズ、ファンク色が強くアルバム2枚を出してもヒットをしなかったが、後の後継者であるフィリップ・ベイリーが1972年に加入。モーリスとのダブルボーカルによってEW&Fは大ヒットすることとなる。(正確にはラルフ・ジョンソンも含めてトリプルボーカル)
1983年、様々な要因(ブームが去ったことによるバンドの衰退、フィリップ・ベイリーの独立等)によってEW&Fが一時期解散した後はプロデュース業を中心とし各方面へ楽曲提供を行っていたが、1985年に唯一のソロアルバム「Maurice White(邦題:スタンド・バイ・ミー)」をリリースし同アルバム内のI Need Youがヒットする。
1987年に主要メンバー以外を一新した新生EW&Fを結成。「Touch The World」を皮切りに以降2004年の「Illumination」までコンスタントにアルバムに参加し続けた。
1995年頃、第一線から退くことを発表。(1996年日本で先行リリースされたAvaterのライナーノーツではこのアルバムツアーでモーリスの参加は最後となる旨の記載がされていた)当時はプロデュース業への注力という理由だったが、後年になりこの頃からパーキンソン病を患っていたことが判明する。
以降はバンドの運営をフィリップ・ベイリーに託し、プロデュース業をしていたモーリスだが、稀にライブにも出演していた。特に日本でのライブに関しては、愛着からか2000年代前半までライブに参加していた。
2013年に久しぶりのEW&Fのアルバム「Now,Then&Forever」が発売されるがモーリスは楽曲に参加せず、文章を寄せたのみとなった。
2016年2月3日、LAにて眠るように息を引き取る。74歳没。
日本との関係
アメリカ生まれであったモーリス・ホワイトだが、独特の宗教観を持ちEW&Fのイメージでもあるエジプト学を始めとし、仏教など幅広い分野を学んでいた。その過程で仏教が盛んであった日本に興味を持ち、更にライブにおいて本国アメリカ以上に歓迎されたこともありモーリスは大の親日家であったとされる。(余談だが全盛期であった時期のアルバム、太陽神、黙示録、天空の女神のアルバムジャケットは日本の画家である長岡秀星によるものである。)
プロデュースにおいても小比類巻かほる、大事MANブラザーズバンド、ジャニーズ等をプロデュースしOVA版ガッチャマンの劇伴にも関わっていた。
ドリカムの中村正人がEW&F(モーリス)の大ファンであったことから1994年にWHEREVER YOU AREにバックボーカルとして参加し、その際に中村自身が「あなたの曲をパクって売れた」と告白した際「それでいいんだ、そこにオリジナリティを足して次の世代に渡すのがお前たちの仕事だ」と返している。
パーキンソン病になった後、アメリカでのツアーライブには参加しない一方で日本のライブにおいてはできる限り参加しようとしていたらしく、事実2000年前後まで体調の影響もあり数曲ではあったがライブに参加していた。
趣味・趣向
前述の通り様々な宗教、歴史を学んでいたためか薬、タバコ、酒には一切手をつけずまた肉も食べないベジタリアンであったとされる。「神は信仰しているが、宗教は様々な争いを生むため好きではない」旨の発言をしており、瞑想を好み自宅には専用の瞑想部屋があったほどである。EW&F、ひいては楽曲にもその思想は色濃く反映されており、派手な演出とは裏腹にバンドそのものが当時の他のファンクバンドと対局と言えるほど薬などとは縁のないクリーンなバンドであった。
また完璧主義者でもあったモーリスの練習は厳しかったらしく、非常にタイトなブラス、真似出来ないほどの統一感はEW&Fの特徴そのものであったとされる。
関連動画
関連項目
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