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ヤマニンスキー
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ヤマニンスキーとは、1975年生まれの日本の元競走馬、元種牡馬である。
いわゆる持ち込みであり、スーパーカーことマルゼンスキーの一つ下の世代にあたる、「最強代替種牡馬」。

な勝ち
1980年:中日スポーツ

競走馬として

まず最初に言っておくと、ヤマニンスキーは競走馬としては三流もいいところの成績である。
通算成績の22戦5勝という数字はそんなに悪くなさそうに見えるが、な勝ちは、中日スポーツ杯(1700万以下条件)と地方競馬騎手招待競走(800万以下条件)であり、オープンクラスで走ったのは僅かに一回(しかも重賞ではなく普通オープン戦)なのだ。
地方競馬騎手招待競走では手綱を握った若き日の安藤勝己騎手中央競馬勝利プレゼントしていたりするが、特筆すべきところはそれぐらいしかない。
最終的に、初挑戦のオープン戦を4着、自己条件に戻って2着と本格化が期待されたところで脚部不安を発症。結果らしい結果を残せないままに引退することとなった。

まあ、擁護するならばヤマニンスキーは生まれつきに不安を抱えており、それが原因で結果を残せなかったと言われている。
もしもがしっかりしていれば、もっと違った結果を出せていたのかもしれない。 

種牡馬入りへ

さて、そんなな条件のヤマニンスキーだが、引退するとすぐに種牡馬となるためにヤマニンベン牧場へ向かった。普通ならば重賞勝利という結果を残さなければなれない種牡馬にヤマニンスキーがなぜなれたかというと、それは彼の血統に答えがあった。

ニジンスキー バックパサー

これは持ち込み先輩であるマルゼンスキーと同じ血統構成で、彼はデビュー前の時点で種牡馬入りが内定していたほどの良血だったのだ。
当然のように順番待ちとなっていたマルゼンスキー代替種牡馬としてヤマニンスキーは種牡馬入りし、一年日本で走って条件止まりだったとしては破格の32頭の繁殖牝馬を集める。
さらに翌年には初年度を上回る68頭に種付けし、順調なスタートを切ったヤマニンスキーは、産駒デビューするとその評価をさらに高めていくこととなる。
数はともかく繁殖牝馬の質は悪かったのだが、一年産駒からは有馬記念3着のハシケンエルドを輩出し、3年産駒であるヤエノムテキ重賞初制覇、GI初制覇の栄誉を届けてくれた。
さらに翌年の産駒からはオークスライトカラーも登場。押しも押されぬ一流種牡馬へと駆け上がっていくこととなる。 

マルゼンスキー代替種牡馬という地位を脱し、人気種牡馬となったヤマニンスキーはこれ以降GIホースこそ誕生しなかったもののコンスタントに活躍を輩出し、1998年の転倒事故死亡するまでマルゼンスキーと共に内有種牡馬として第一線で活躍していた。
条件から駆け上がり、良血というバックボーンがあったとはいえ血統通りに結果を出せるわけでもない(実際に血を買われて種牡馬入りした条件が失敗することも多々あった)繁殖界で大成功を収めた彼は、シンデレラボーイと呼ぶのにふさわしい存在なのかもしれない。 

血統表

Nijinsky II
1967 鹿毛
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Flaming Page
1959 鹿毛
Bull Page Bull Lea
Our Page
Flaring Top Menow
Flaming Top
*アンメンショナブル
1970 鹿毛
FNo.9-b
Buckpasser
1963 鹿毛
Tom Fool Menow
Gaga
Busanda War Admiral
Businesslike
Petticoat
1961 栗毛
Palestinian Sun Again
Dolly Whisk
Sabana Bryan G.
Satsuma
競走馬の4代血統表

クロスMenow 4×4(12.50%)、Bull Dog 5×5(6.25%)、Blue Larkspur 5×5(6.25%)

主な産駒

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代表産駒ヤエノムテキの勇姿

こちらはライトカラー

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1 ななしのよっしん
2012/07/27(金) 10:38:50 ID: V/qT2/WpqI
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2 ななしのよっしん
2012/07/27(金) 10:52:12 ID: EQ6gNOWczD
いやいやニコニコではマイナーすぎるだろこの記事w
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3 ななしのよっしん
2012/07/27(金) 18:40:28 ID: reKGj4NUtG
>>1
トウショウボーイって代替種牡馬じゃなくね?
テスコボーイ代替って言いたいなら子はさすがに違う気がするし
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4 ななしのよっしん
2012/07/27(金) 18:42:20 ID: EQ6gNOWczD
安くて走るから生産者の間でお助けボーイって呼ばれてた由来のことじゃないの?
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2012/07/30(月) 11:58:11 ID: V/qT2/WpqI
トウショウボーイは当初まだテスコボーイが存命だったこともあり現役時代は「天馬」と言われていたとはいえ種牡馬としての人気はそこそこレベルだった(内産というだけで種牡馬としての人気が悪かった)。

けど種付け料が安くてしかも良く走る、クズも少ない。安定していいを出すことで中小牧場の味方だったことから人気絶頂のテスコボーイの代わりにトウショウを!というのが当時はあったとか。「お助けボーイ」「神様より尊い」などといわれたことも。

だいたい、シービークインも当初はテスコボーイが付けられる予定だったし(ブックフルだったため、千明牧場理を承知でトウショウボーイを付けることに)。
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6 ななしのよっしん
2012/07/30(月) 13:19:50 ID: reKGj4NUtG
>>5
代替種牡馬人気種牡馬に血統構成が似た種牡馬のことだから、系が別物のトウショウボーイサンデーに対するフジキセキみたいに普通に後継種牡馬扱いでは?
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7 ななしのよっしん
2012/08/01(水) 15:33:33 ID: V/qT2/WpqI
>>6
まあ普通はそうなんだけど…まあいいや

とにかくヤマニンスキー代替種牡馬として活躍したことは間違いないw
そこには疑問をはさむ余地はない。ただトウショウボーイ代替としての役を果たした時期があったことだけは分かってほしかったと思って書いた。
まあそれは個々の判断によるところだし、考えは人それぞれだから強く文句は言えないw
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8 ななしのよっしん
2013/07/01(月) 05:08:44 ID: 5d94jH21nT
最後の書き込みが1年近く前の掲示板に書くのもアレだけど。
自身の競走成績と繁殖成績のギャップとか、G1勝ちの数とか産駒G1獲得数とか、の孫からG1が出たとか、地味系が繋がってるとかを考えると、マグニテュードが凄いかもしれない(苦笑)
まあ、1か0かみたいな印のある種牡馬ですが……。

ところで、ミルジョージ代替種牡馬ってあまり聞かない気がしますが。いや、すごい今更ですけども。
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9 ななしのよっしん
2014/03/14(金) 11:43:40 ID: BfYLfVH2tA
最強代替種牡馬ブライアンズタイムじゃなかろうかと思う…
サンシャインフォーエヴァーなるの代わりに買われたらしい
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10 ななしのよっしん
2023/02/27(月) 16:24:01 ID: Z7ssFva8Mr
トウショウボーイテスコボーイ代替って認識してる競馬ファンってまずいないと思うけどな…後継ならともかく…
代替種牡馬ってなら系までそっくりじゃないと代替にならないでしょ
当時でもトウショウボーイテスコボーイの次善の選択肢って認識だったよ
確かにテスコボーイの代わりにトウショウ付けようって思っても「代わりに=代替種牡馬」ってことじゃないよ
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