ユリエスキ・グリエル(Yulieski Gourriel Castillo、1984年6月9日-)とは、キューバ出身のプロ野球選手(内野手)である。
概要
ヒューストン・アストロズ #10 | |
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ユリエスキ・グリエル Yulieski Gourriel |
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基本情報 | |
国籍 | ハイチに亡命 |
出身地 | ![]() |
生年月日 | 1984年6月9日 |
身長 体重 |
183cm 89kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 三塁手、二塁手 |
プロ入り | 2001年 |
経歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | ![]() |
五輪 | 2004年、2008年 |
WBC | 2006年、2009年、2013年 |
プレミア12 | 2015年 |
メジャーリーガーテンプレート |
2001年に、キューバ国内リーグのカジョス・デ・サンクティ・スピリトゥスに17歳で入団。2005年から2006年のシーズンには本塁打・打点王の二冠王を獲得し、当時国内リーグ史上初の20本塁打・20盗塁を達成した。
国際大会では2004年のアテネオリンピックをはじめ、2003年・2005年のワールドカップなどでキューバ代表の優勝に貢献。2005年のワールドカップでは8本塁打を記録し、他の選手を圧倒した。
2006年の第1回WBCには二塁手として出場し、打率.273・出塁率.342・長打率.515の成績で大会ベストナインに選ばれた。
2014年5月13日に横浜DeNAベイスターズが、1年契約を結んだことを発表した。5月31日に来日し、6月2日に入団会見を行った。背番号は10。なお、弟のルルデス・グリエルjrとの契約も発表された。62試合に出場し、11本塁打30打点を記録した。
2015年は弟のルルデス・ジュニアも契約。しかし兄弟そろって故障で来日が大幅に遅れ、7月2日に契約を解除され、ルルデスに関しては制限選手となった。
2016年はカリビアンシリーズに出場し、大会が終わった後にハイチに亡命。7月16日にヒューストン・アストロズとマイナー契約を結び、8月21日にメジャーに昇格。その日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビューした。背番号10。
2017年は一塁手としての出場がメインとなり、139試合に出場した。ワールドシリーズの際にダルビッシュ有を差別するジェスチャーを行い、後に2018年の開幕から5試合出場停止処分が下された。
人物
- 5ツールプレイヤーであり、選球眼も持ち味の万能型選手。2000年代のキューバ野球界での最高の選手とみなされており、国民的英雄オマール・リナレスの背番号10を継承。
- MLBスカウトからは「もしドラフト指名されるならば1順目だ」と評価されている。
- 日本食が苦手で、2013年WBCでの来日の際には、2週間で5kgも体重が落ちたという。
- 実父のルルデス・グリエルは、日本の社会人野球でのプレイ経験がある。
通算打撃成績
(2017年終了時点)
通算:15年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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CNS:14年 | 1136 | 5069 | 4335 | 920 | 1444 | 272 | 53 | 242 | 969 | 135 | 5 | 57 | 586 | 86 | 391 | 118 | .333 | .418 |
NPB:1年 | 62 | 258 | 239 | 46 | 73 | 22 | 0 | 11 | 30 | 3 | 0 | 2 | 15 | 2 | 40 | 4 | .305 | .349 |
MLB:2年 | 175 | 701 | 659 | 82 | 192 | 50 | 1 | 21 | 90 | 4 | 0 | 7 | 27 | 8 | 74 | 19 | .291 | .324 |
関連動画
関連項目
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読み:ユリエスキグリエル
初版作成日: 14/06/02 02:07 ◆ 最終更新日: 18/03/18 06:36
編集内容についての説明/コメント: 【追加】2017年シーズン
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