ライスシャワーとは、
である。この稿に於いては2.について解説する。
概要
93年、天皇賞(春)。
その馬の名は…
ライスシャワーは1989年生まれの競走馬。「関東の黒い刺客」「高速ステイヤー」「レコードブレーカー」と呼ばれた名馬である。競馬界一のKYとして有名。主戦騎手は的場均騎手。
父リアルシャダイ母ライラックポイント母父マルゼンスキーという血統。リアルシャダイはナリタブライアンの父ブライアンズタイムと同じRobertoの血を引いており、中長距離で良く走る馬を出した種牡馬である。
生まれた時から「小さいが良い馬だ」という評判であり、馬産地ではダービー候補として名が上がっていた程だったという。しかしながら体質が弱く、骨折などもあり出世は遅れた。皐月賞は8着で、トライアルもさっぱり。ようやくダービーに出られたものの、16番人気だった。
ところがライスシャワーは激走し、桁違いに強かったミホノブルボンにこそちぎられたものの、マヤノペトリュースを差し返す根性を見せて2着に突っ込んだ。馬番連勝は3万馬券という大波乱だった。もっとも、馬産地ではこの激走はそれほど驚かれなかったらしい。なんでも「ライスシャワーがダービーに出れたら買い」は常識だったらしく、ミホノブルボンとの馬連馬券を1000円ずつボーナス代わりに配った牧場もあったとか。
秋、セントライト記念と京都新聞杯を二着したライスシャワーは、絶好調のまま菊花賞に望む。
このレースは皐月賞、ダービーを圧倒的な強さで逃げ切ったミホノブルボンが無敗で三冠を達成するかどうかが焦点だった。ライスシャワーは2番人気。正直、淀を埋め尽くしたお客さんの大半はブルボンの三冠達成の瞬間を見に来ていた筈だ。
ところが、3~4コーナ途中で先頭に立ったミホノブルボンを直線ねじ伏せてライスシャワーが勝利。ダービー2着の雪辱を晴らしたのだったが、観衆からは「あ~」という溜息が漏れ「よけいなことすんな!」という罵声も上がる始末。この時からライスシャワーにはヒール役が定着する。
翌年、ライスシャワーは天皇賞(春)への挑戦を決める。そこには天皇賞(春)を二連覇中。骨折休養明けながら産経大阪杯を5馬身差のレコードで楽勝していたメジロマックイーンが出走を予定していた。
はっきり言って、メジロマックイーンは物凄く強い。ライスシャワー陣営は生半可な事ではマックイーンを負かせない事をよく理解していた。マックイーンを負かすため、ライスシャワー陣営はライスシャワーを徹底して鍛える事を決意する。その調教は壮絶なもので、様子を見た他の調教師からは「レースの前に馬が潰れるぞ!」とさえ忠告されたという。出走時、ライスシャワーは前走から12kg減の馬体だった。それは正に試合前のボクサーを思わせる究極の仕上がりで「もはや馬には見えなかった」と的場均騎手が述懐したほどだった。
レースは愛すべきバカメジロパーマーを先頭に、その直後にマックイーンが陣取るメジロ勢のペースで進んだ。ライスシャワーと的場騎手はこのマックイーンを徹底してマーク。背後に影の様に忍び寄った。直線入り口でメジロパーマーを交わし堂々と先頭に立つメジロマックイーン。そこへ外から黒い馬体が襲い掛かり、メジロ勢の2頭を一気に抜き去った。ライスシャワーである。身体を撓わせるような凄まじいフォームでライスシャワーは一着でゴール。メジロマックイーンの春天三連覇の夢を打ち砕いたのだった。ゴールの瞬間、的場騎手はガッツポーズなどせず、左手でそっと愛馬の首を撫でた。
これで現役最強馬の座は確定か?と思わせたのもつかの間、ライスシャワーは勝てなくなってしまう。9戦中二着が一回あるだけという惨憺たる有様で、ファンからは「ブルボンの三冠を阻んだのにだらしない」「こんなことならマックイーンに勝たせてやればよかったのに」「ナイスネイチャの指定席を盗るんじゃねぇ(有馬で3着した時)!」などと罵られた。連覇のかかった天皇賞(春)を目前に重度の骨折を負う不幸もあり、正直ライスシャワーは終わった馬扱いされるようになっていた。
6歳になり、ライスシャワーは天皇賞(春)に2年ぶりに出走した。前年の三冠馬ナリタブライアン、後の年度代表馬サクラローレルといった有力馬が相次いで故障で戦線離脱したのだが、負け続けたせいでレコードホルダーの看板も色あせてしまったのか、4番人気であった。しかし、レースでは3コーナーの下り坂でスパート。一気に先頭に立って逃げ込みを図った。おお!勝ったか!と思ったところで脚が止まり、外からステージチャンプが並びかけたところがゴールだった。思わずステージチャンプ鞍上の蛯名正義騎手がガッツポーズし、勢いでライスシャワー勝利の実況をした杉本清氏が直後に青ざめたほどのタイミングだったが、実は鼻差でライスシャワーが凌いでたのだった。蛯名さん大丈夫です。ウイニングランしてないからセーフです。
この勝利で、ライスシャワーへの評価は一変した。負け続けても諦めずに走り続け、遂に復活した小さな根性馬という評価になったのである。
このため、続く宝塚記念ではファン投票数一位になり、体調が微妙なので出走を躊躇していた陣営も、結局出走させることにした。この年は阪神競馬場が阪神大震災のために使えず、宝塚記念がライスシャワー得意の京都競馬場で行われる事になっていたということもある。
そして運命の宝塚記念。3コーナーでライスシャワーは崩れ落ちた。映像でも分かるほど左前足が折れていた。もう、助からない。誰の目のもそれは明らかで、誰もが胸を引き裂かれるような思いを抱いた。馬体を動かすことすらできなくなったライスシャワーはその場で予後不良処分が取られた。ライスシャワーの遺体を運ぶ馬運車に向けて最敬礼をする的場騎手の姿は涙無しでは見られない。
ミホノブルボンを破った菊花賞とメジロマックイーンを破った天皇賞は共にレコード勝ちで、無尽蔵のスタミナと息の長い末脚が持ち味の高速ステイヤーだった。反面、どうしようもなくダッシュ力が無く、とにかく長距離を走らないと真価が発揮できない不器用な馬でもあった。この頃から競馬体系が短距離重視に切り替えられつつあったのがライスシャワー最大の不幸であったろう。度重なる故障で順調さを欠いた事も痛かった。
ライスシャワーの事故、いわゆる「淀の悲劇」は衝撃的だったために、ライスシャワーと言えばあの事故、と言われるようになってしまったのは残念な事である。はっきり言って、競馬場で馬が予後不良になることは珍しい事ではない。悲しいが、競馬とはそういう過酷な場所なのであり、ライスシャワーのあの事故「だけ」を取り上げて悲劇にしたり美談にしたりするのはおかしい。
しかし、菊花賞と天皇賞を二つともレコード勝ちするような高速ステイヤーは滅多に出てこない。ましてや絶対と言われたライバルを堂々打ち負かすような馬は。
京都を駆け抜けた黒い刺客。憎たらしいほど空気が読めなかったレコードブレーカー。ライスシャワーを思い起こす時はまずその勇姿を思い起こして欲しいものである。
「疾走の馬、青嶺の魂となり」。京都競馬場にあるライスシャワーの記念碑にはそう刻まれている。
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読み:ライスシャワー
初版作成日: 10/11/27 16:16 ◆ 最終更新日: 12/05/13 11:00
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