ラッセル(Russell)のパラドックスとは、20世紀の数学者バートランド・ラッセルが考えたパラドックスである。
概要
ニコ厨のあなたは、ニコニコ大百科に新しい記事を作ろうとしていた。
あなたが作ろうとしている記事は、次の二つだ。
記事A:記事の中に自分自身へのリンクがある記事の一覧
記事B:記事の中に自分自身へのリンクがない記事の一覧
記事Aには多くの記事が当てはまる。例えば「ニコニコ動画」という記事には、本文中に「ニコニコ動画」という言葉があるため、記事の中に自分自身へのリンクが存在する。したがって、記事Aの一覧の中に入る。
一方、記事Bにも多くの記事が当てはまる。概要すら満足に書かれていない立て逃げされた記事や、リダイレクト用の記事などだ。
ニコニコ大百科に存在するすべての記事は、AとBのどちらかに属するはずである。つまり、この二つの一覧をあわせれば、ニコニコ大百科の全記事を網羅できる。
あなたは早速、この膨大な作業に取り掛かった。長い月日を、あなたはこの一覧の作成に捧げた。そしてついに、あなたは一覧の完成の一歩手前までやってきた。
いまや、一覧に載っていない記事はたったの二つ――記事Aと、記事Bだけだ。あなたは、この二つも一覧に載せようとした。
記事Aは、記事Aに載せることにした。こうすれば、記事Aは「記事の中に自分自身へのリンクがある記事」になるので、記事Aの一覧の条件を満たすからだ。
次に、記事Bを一覧に入れようとして……あなたの手は止まった。
記事Bは、「記事の中に自分自身へのリンクがない記事の一覧」だ。だから、記事Bを記事Bに載せることはできない。載せた瞬間、記事Bは「記事の中に自分自身へのリンクがない記事」ではなくなってしまうからだ。
では、記事Aだろうか? だがそれもおかしい。記事Bには、「記事の中に自分自身へのリンクがない」から、記事Aには載せられない。
なんということだ! すべての記事は、記事Aか記事Bのどちらかに載るはずだ。しかし記事Bは、そのどちらにも、決して載せられないのだ!
数学的説明
上の説明で記事A、記事Bとしたものは、集合を意味する。それぞれの定義は以下の通りである。
集合A:自分自身を要素とする集合の集合
集合B:自分自身を要素としない集合の集合
集合Aには、例えば「要素の個数が無限である集合の集合」が属する。要素の個数が無限である集合は無限に存在するので、「要素の個数が無限である集合の集合」もまた要素の個数が無限となり、「要素の個数が無限である集合の集合」自身に属する。
一方、集合Bには、例えば「遊びの集合」が属する。「遊びの集合」は「集合」であって「遊び」ではないため、「遊びの集合」に「遊びの集合」自身は属さない。
すべての集合は、自分自身に属するか、属さないかの、どちらかである、つまり、すべての集合は、集合AかBのどちらか一方だけに属するはずである。
1)集合Aについて。
どちらでも良い――どちらかではあるが、どちらであるか、決めることはできない。どちらに属するとしても、矛盾はない。
2)集合Bについて。
仮に、集合Bが集合Bに属するとしよう。すると、集合Bは「自分自身を要素とする集合」になる。よって、集合Bは集合Aに属する集合となる。これは矛盾。
反対に、集合Bが集合Aに属するとしよう。すると、集合Bは「自分自身を要素としない集合」になる。よって、集合Bは集合Bに属する集合となり矛盾する。
結局、集合Bは集合Aに属するとしても、集合Bに属するとしても、矛盾を来たす。
すべての集合は集合AかBのどちらかに属するはずなのに、集合Bはそのどちらにも属さない。
数学への影響
数学史において、このパラドックスは重要な役割を担った。
一言で言えば、このパラドックスによって、数学の基礎が粉砕される事態となった。
ラッセルがこのパラドックスを発見した1900年頃とは、ヒルベルトが「ヒルベルト・プログラム」を打ち立てるなど、数学の基礎を確立しようという動きが強まっていた時代であった。
そんな中、強力な武器として選ばれたのが論理であり、集合である。ド・モルガンやブール、フレーゲ、ペアノといった論理学者たちが、論理学における革新的な研究を行っていた。
論理と集合は、切っても切れない関係で、「AならばBである」という論理は、「集合Aは集合Bの部分集合である(A⊆B)」という集合の言葉に書き換えられる。属すという言い方をするなら、Aの任意の要素aがBに属す(a∈B for ∀a∈A)といえる。たとえば、「エビフライは揚げ物である」という論理は、エビフライの集合は揚げ物の集合の部分集合であるし、任意のエビフライは揚げ物(の集合)に属すともいえる。(任意なので、たとえばあなたが最近食べたエビフライでもいい)
さて、フリードリヒ・ルートヴィヒ・ゴットロープ・フレーゲは1893年に、野心的な著書『算術の基本法則』を出版した。彼は算術(自然数の法則)のあらゆる定理が、論理のみから導けると考えていた。もしそのことが証明できれば、数学に強固な基礎を確立することができる。
そのためにフレーゲはまず、論理のみを使って自然数を定義した。彼が使ったのは、「外延」という考え方だ。例えば自然数5を定義するには、対象の個数が5であるすべての概念をかき集めれば良い。その概念の集合が「数5」の定義となるとした。あなたの知っている5人組のグループや5つで1セットのものがいくつかあるかもしれないが、それらをかき集めるということ。
フレーゲはこのように、集合を使って算術の定理を証明しようと試みた。彼にとって、集合こそが算術の根幹を成していた(何しろ、集合によって自然数を定義したのだから)。
さらにフレーゲは、論理や集合の基本となる公理を用意した。その公理を真(正しい)とし、そこから証明を始めるのだ。
ところがラッセルは、ここに矛盾を発見した。フレーゲの用意した公理から、上述したパラドックスが導けることを示してしまったのだ。
1902年6月16日、ラッセルはこのことを手紙にしたため、フレーゲに送った。奇しくもそのときは、フレーゲが『算術の基本法則』第2巻を出版しようとしていたときであり、フレーゲは大きなショックを受けたという。
だが数学史において、パラドックスの発見は決して悲観すべき出来事ではない。むしろ、数学を次のステージへと進める足がかりになる。このパラドックスは、「集合とは何か?」という、それまでほとんど問われなかった問いを発したのだ。
パラドックスの解決
このパラドックスを解決したのは、ほかならぬラッセル自身である。ラッセルは、フレーゲの「算術のあらゆる定理を論理のみから導く」という発想そのものは正しいと思っていた。そこでラッセルは、ある方法でパラドックスを解決した。
簡単に言えば、「集合Bは、実は集合ではない」というのが解決策である。集合ならば必ずAかBのいずれかに属するが、Bは集合ではないのだから、どちらにも属さなくても矛盾しないのである。ついでに言えば、Aもまた、集合ではない。
ラッセルの考えは「型理論」と呼ばれる。型理論では、集合はその要素よりワンランク上の型に属すると考える。
例えばA中学校のBクラブの生徒Cさんについては、「Cさん」は型0で、「Bクラブ」は型1、「A中学校の部活動全体の集合」は型2、そしてA中学校のすべての部活動が属する「あらゆる部活動の集合」は型3、などとなる。
ラッセルは、集合を自分自身が要素となる概念を使って定義してはならない、と主張した。例えば、「富士山」という要素は「山の集合」に属するが、この「山の集合」の定義に「富士山」を用いてはならない、という意味だ。
「自分自身を要素としない集合の集合」は、その定義の中に「(同じ型の)集合」を用いてしまっている。これが、パラドックスを引き起こしていたのだ。
現在では「ZFC公理系」という、集合を厳密に定義するための公理系が存在する。この公理系から、集合AやBのようなものは「集合ではない」と結論することができる。
最初の話では
記事Bは「記事の中に自分自身へのリンクがない記事の一覧」とした。だが、自分自身へのリンクがない記事に、「記事」と呼べるようなものは存在するだろうか?
例として挙げたように、記事Bに属する記事は、立て逃げされた記事や、リダイレクト用の記事だけである。立て逃げされた記事だって、最初に「○○とは××である」くらい書いてあるものだ。それすらない記事を、「記事」として認めることはできないだろう。
記事Bも、自分自身へのリンクがないということは、冒頭に「記事の中に自分自身へのリンクがない記事の一覧とは、記事の中に自分自身へのリンクがない記事の一覧である」といった説明が書かれていないことを意味する。しかしこのような「記事もどき」を、「記事」と呼ぶことはできない。一方で、記事Bの冒頭にこの一文を追加し、きちんと「記事」としての体裁を整えてやれば、パラドックスは生じない。こう書けば、記事Bは記事Aに載せられるからである。
記事とは呼べないものを「記事」と呼んでしまったので生じたパラドックスであった。
余談
全くの余談であるが、本記事は「記事の中に自分自身へのリンクがない記事」である。果たして本記事は、記事として認められるだろうか。あなたの判断に委ねよう。
関連コミュニティ
関連項目
- 31
- 0pt