ランディ・バース(Randy William Bass)とは、阪神タイガースに在籍した元プロ野球選手で、現在はオクラホマ州の上院議員である。そして、阪神の歴史に欠かせない人物である。
概要
メジャー時代は「ニューヨークからロサンゼルスまで打球を飛ばす男」だといわれていたが、幼少時に足を複雑骨折しており、全力疾走出来ないために、守れないということでメジャーではレギュラーを獲得できなかった。メジャーリーグは5球団を転々として行き、1983年に阪神タイガースが獲得を表明。登録名は「バース(R.BASS)」、背番号は「44」。
本来の読みは綴りが「Bass(ブラックバスの「バス」と同じ)」なため「バス」であるが、阪神電鉄がバス事業を所有しており、活躍時に「バス大爆発」、不振時に「バス大渋滞」などとスポーツ記事で「バス」を使って批評されることを嫌ったため登録名を「バース」にした経緯がある。
前述にある通り、幼少時に足を複雑骨折しているが、それでもライトを守らされていた。しかし、一塁を守っていた藤田平の年齢的な衰えにより、一塁に固定される。しかし、入団当初は調子が上がらず、1983年に一時優勝ムードが流れていたものの、5月に「勝率0割台(1勝15敗)」と大きくチームが負け越し、それをバースのせいだとファンから批判されていた。この年、解雇話が出ており、オルセンの獲得で同期入団のストローターかバースのどちらかを解雇するかを球団側が話し合ったが、何とかストローターの解雇でバースは生き延びた。理由はバースの態度、努力、人格を評価しており、努力の結果、1983年シーズン後半から調子を上げた。ちなみに、この年の本塁打数は35本、打点83と本塁打は多い方であった。また、25試合連続安打も記録。
1984年は打率3割台、本塁打27本、打点73と活躍しているが、守備面の不安から再び解雇話が出た。しかし、この年から指揮を執る「ムッシュ」こと吉田義男の意向でバースは解雇を免れた。
そして1985年、「3番ランディ・バース、4番掛布雅之、5番岡田彰布」の最強クリーンナップが誕生。1985年4月17日は30代以上の阪神ファンにとって忘れられない日となる。対戦相手は読売ジャイアンツ。この日の試合、1-3と巨人が2点リードで迎えた巨人7回裏、2アウト一塁二塁から先発の槙原寛己の第2球目をセンターバックスクリーンに弾丸ライナーで運び、逆転3ランホームランで4-3と逆転する。この時、バースの打率は.133で、これがシーズン第1号だった。その後、掛布が槙原の3球目をバックスクリーン左へ、岡田も槙原の2球目からバックスクリーンに運び、「バックスクリーン3連発(昭和の3連発)」が誕生。試合は9回に2点取られたが、6-5で勝利。この年のバースは至る球場でホームランを放ち、また、ヒットも量産していった。結果、打率.350、本塁打54、134打点、174安打を挙げて見事、セリーグ史上初の外国人三冠王(最多安打を含めると四冠)を達成した。また、セリーグ史上初の外国人本塁打王でもある。この年のバースの活躍ぶりは他の選手にも影響し、阪神は真弓(34本)、バース(54本)、掛布(40本)、岡田(35本)だけで163本塁打を放ち、チーム合計219本塁打の大爆発でセリーグ優勝、さらに日本シリーズで西武ライオンズを相手に4勝2敗で初の日本一に輝いている。当時、ファンがバースに似ているとしてケンタッキーフライドチキン道頓堀店でカーネル・サンダース人形を胴上げし、道頓堀に誤って落としたことは余りにも有名。その後、日本一になっていないのは「カーネルの呪い」と言われている。尚、そのカーネル・サンダース人形が2009年3月10~11日にかけて眼鏡・左手・両足首を除いて引き揚げられたが、その年に阪神は優勝できなかった。
また、優勝翌年のバースはヒットを量産し、打率が現在も破られていない日本プロ野球記録の打率.389に達し、本塁打47、打点109、176安打でパリーグの落合博満(当時ロッテ)と同時に2度目の三冠王(最多安打を含めると四冠)を獲得している。シーズン最高打率.389はイチローですら破ることが出来ず(2000年、.387)、2008年に首位打者となった内川聖一(.378)も破ることが出来なかった。
1987年にも打率.320、37本塁打、打点79で活躍しているが、1988年、その時は訪れた。バースは長男の水頭症で急遽帰国(その息子は現在結婚してグッドイヤー勤務)。フロントがバースとの契約内容に「家族の保険」をかけていなかった(1980年代当時でも本来なら入っていて当然のもので、球団側が加入を怠っていた。後に示談金が支払われた)ことが判明し対立、阪神退団を決意した。当然阪神にとってはこの代償はあまりにも大きく、1988年シーズン序盤で打率も3割台と好調だっただけに阪神の勢いは低下、更に当時の阪神球団社長がが東京のホテルで投身自殺する事態にまで発展してしまい、阪神は名実ともに暗黒時代を迎えることとなる(この事から、当時のオーナーであった久万俊二郎を疫病神とするファンもいる)。
帰国後は牧場経営の傍ら、度々来日。「モルツ」のCMやマスターズリーグにも登場している。また、あるテレビ番組では現役さながらで東京ドームで本塁打を放ったことがある。その時はバックスクリーン3連発の際にセンターを守っていたウォーレン・クロマティも一緒に出演していた。また、東京スター銀行の名誉大阪支店長にも選ばれている。
2002年に公開された阪神映画「ミスター・ルーキー」(ダメ虎時代のタイガースを長嶋一茂扮する覆面のストッパーが救うという内容)では、Mr.バース役として本人自ら出演、特大のホームランを放っている。これはCGでも何でもなく、50歳間近のバースが撮影で実際に放った正真正銘のホームランである。ただし、当然のことながら打つのに何十回とテイクを重ねている。2012年(57歳)にもテレビの企画で、神宮球場にて金属バットながら何発もホームランを放ってみせた。
2004年よりオクラホマ州の州議会議員選挙に立候補し、当選している。党派は民主党。アメリカのBSE問題では現役時代に神戸牛を好んで食べていたこともあり、日本でアメリカ産牛肉が冷やかに見られた際、アメリカ政府は日本に対し強く対立していたが、バースは「日本人が牛肉にかける思い、情熱を私ほど理解している政治家はアメリカにはいない」と語っている。その政治手腕についても絶大な支持を得ており、再選を経て現在も州議会議員である。
バースの応援歌は現在、「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で360°モンキーズの杉浦双亮が口ずさみ、マイク・イースラーのモノマネをしているせいか、いつの間にか「イースラーのテーマ」に変わっている。
ちなみに、阪神タイガースの応援団はバースの応援歌をバース以外の助っ人外国人に流用したことがある。バースの解雇によって後釜として急遽獲得したルパート・ジョーンズと、数年後に入団したケビン・マースである。当然のことながら双方とも成績はバースに及ぶどころか惨憺たる物で、特にジョーンズは入団する前から既に肩がぶっ壊れていたという全く笑えない逸話も残っている。そして何よりも阪神の新外国人打者が好調な場合の在阪マスコミの謳い文句は「バースの再来」である事からも、現在も阪神ファンにとってバースの存在は大きい。
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読み:ランディバース
初版作成日: 09/08/20 05:32 ◆ 最終更新日: 12/01/25 19:50
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