ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―単語

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ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―とは、フランスなど7かにまたがる世界遺産(文化遺産)である。2016年7月登録。

近代建築巨匠ル・コルビュジエが手掛けた建築物17件で構成される。

概要

スイス出身の建築家コルビュジエは、創意を凝らした建築を数多く展開した。その意は、当時の住宅問題都市問題の解決策に繋がるような先取性をも体現している。

またコルビュジエは「近代建築の五原則」を提唱し、20世紀の建築都市計画を刷新した近代建築運動に多くのを与えた。自身の建築でもそれを体現し、近代建築を牽引するとともにその発展に大きく寄与した。

このことが世界に評価され、2016年世界遺産として登録された。

本件の構成資産フランスを中心とした7かにまたがっており、各世界遺産として扱われる。日本からは、東京都にある国立西洋美術館本館1件のみ登録されている。

広域に及ぶ資産を1つにまとめて登録することをシリアル・ノミネーションというが、大陸を跨いでの適用は前例のない大規模なものである。

ル・コルビュジエとは

来歴

本名はシャルル=エドゥアールジャンヌレ=グリ1887年、時計製造業が盛んなスイス都市ラ・ショー=ド=フォンに生まれる。

時計職人である父親の跡を継ぐため、地元の美術学校で彫刻と彫を学ぶ。在学中に当時の校長建築の才を見出されると、短期間ではあったが著名な建築家に師事し、実地で建築を学んだ。

1920年にアート系の雑誌『レスプリ・ヌーヴォー』を創刊し、ペンネームとしてル・コルビュジエ名前を使い始める。

1928年より開催された近代建築会議では中心メンバーとして活躍。1932年に発表したソ連ソビエト殿建設案は、後に代々木体育館や東京都庁を設計する丹下健三建築家を志すきっかけとなる。

第二次大戦後は、かねてより提唱していたドミノシステム(後述)による集合住宅を建設したほか、インド都市チャンディーガルの都市計画にも参画した。また日本国立西洋美術館の設計にも携わるなど、各地でその才を発揮した。

1965年フランス南部のロクブリュヌ=カップマルタン海水浴中に心臓発作を起こし、78歳で死去。妻やを相次いで亡くしたのち、自伝をまとめた直後であったため、自殺とする説もある。

建築思想

自身の著作『建築をめざして』に書かれた「住宅は住むための機械である」という言葉が、彼の代表的な建築思想である。合理的で機性を重視したモダニズム建築を提唱し、それを自身の手によって発展させた。

1914年、コンクリート建築において、スラブ(床)・柱・階段のみが建築要要素だとするドミノシステムを発表する。四隅に配した柱をスラブでつないだものをドミノとし、このドミノを前後左右はもとより上にもつなげていくことで、自由に大きな間を生み出すことができるというものである。

このドミノは柱に十分な強度があるためや内装などに制限がなくなり、自由に設計することができる。また大きな屋上間を生かした屋上庭園や、1階部分は柱のみとして人や乗り物自由な往来を可にするピロティなども提唱。現在で見かける商業ビルアパートなどの建築様式は、コルビュジエによって確立されたものである。

また、人を高層ビルに集中させる代わりに、周囲にを育てる「都市」計画(1930年)も提唱している。当時は異端的な考えで採用例は少数であったが、都市問題が深刻化している現代では、その注度は増している。

近代建築の五原則

正確には「新しい建築の5つの要点」。

ドミノシステムにみられる建築様式を発展させたもので、クック邸において初めて体現された。

  1. 自由
  2. 連続
  3. 屋上庭園
  4. ピロティ
  5. 自由ファサード(建物正面)

登録までの経緯

1回目の推薦

オーストラリアシドニーオペラハウスチェコブルノトゥーゲントハット邸など、20世紀の建築物が世界遺産として登録される例が増えていることを受けて、フランスのル・コルビュジエ財団が中心となって世界遺産登録をした。また、フランス政府の打診に対してスイスドイツなど5かが応じ、2006年に「ル・コルビュジエの建築都市計画」として暫定リストに登録された。

2008年際記念物遺跡会議(ICOMOS)による視察を受けたが、「登録延期」を勧告される。コルビュジエの作品自体は世界遺産に相応しいとされたものの、それらがあまりにも広範囲に及ぶことから、シリアルノミネーションの適用や資産の「連続性」について議論となった。

結局、世界遺産委員会ではICOMOSの勧告より一段階上の「情報照会」と決議され、登録は持ち越しとなった。

2回目の推薦

構成資産推薦理由を抜本的に見直し、推薦名も「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」にめられた。

推薦書を全面稿して臨んだICOMOSの2回の審であったが、本件は前回より厳しい「不登録」勧告を受ける。近代建築運動との関わりを強調したが、コルビュジエひとりの実績ではないことを理由に否定され、稿が裏に出た格好となった。

2011年世界遺産委員会は「継続審議」の決議を下した。

3回目の推薦~登録

2014年、初回の推薦書提出前に辞退していたインドが加わり、計7かによる推薦となった。

構成資産を見直し、17件の資産推薦ICOMOSの事前で「登録」勧告が出され、世界遺産リスト入りが確実となった。

2016年世界遺産委員会に諮られることとなったが、会場となるイスタンブール周辺の治安が悪化。審議が一時延期されるというトラブルはあったものの、事前の勧告通り本件は「登録」の決議を受け、晴れ世界遺産登録となった。

構成遺産の一覧・関連動画

と構成資産の順番はフランス語りによる。

名称 画像 所在 概要
ヴァイセンホフ・ジードルングの住宅 画像募集中 ドイツ
シュトゥットガルト

1927年に開催された住宅展に出展した住居。「ジードルング(Siedlung)」は、ドイツ語で「集落」を意味する。

近代建築の五原則」を発表した直後の作品で、完成度も評価もいまひとつだった。出展者17人の作品中、単位面積当たりの建築費が最も高い建築物であったという。

クルチェット邸 画像募集中 アルゼンチン
ラプラタ

1949年外科医であるクルチェットの依頼により、自宅兼診療所として造られた。南米一のコルビュジエ建築

敷地が狭いという制約のもと、日よけ格子と建物のU字配置で中庭にを作るなどして暑い気に対応させた。

ギエット邸
画像募集中 ベルギー
アントウェルペン

1927年、画のギエットの依頼で建てられた邸宅。左右非対称のをはじめとした「自由ファサード」の典例。

安価で大量生産できる住宅「シトロア」構想に忠実に建てられている。「シトロアン」の名は、安価自動車の大量生産に成功したシトロエンから付けられた。

ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸 画像募集中 フランス
パリ

1925年に建てられた2世帯住宅。現在はル・コルビュジエ財団の本部が入っている。

依頼銀行のラ・ロッシュと、コルビュジエの実音楽家ジャンヌレの2名。自由な設計・建設で得た経験が、後の「近代建築の五原則」へと繋がっていく。

サック集合住宅 画像募集中 フランス
サック

製糖工場の経営者フリュジエが、工場労働者向けの集合住宅として依頼し、1924年に建設された。

住宅が並ぶという、コルビュジエの都市観構想が実現した数少ない例だったが、建設当時は地元住民の干渉や高額な建設費など多くのトラブルを抱えていた。

サヴォア邸 画像募集中 フランス
ワシ

1931年行政官のサヴォア夫妻が週末を過ごす別邸として依頼し建設された建物

近代建築の五原則」全てを高い完成度で実現させ、傑作との呼びも高い。内装の一部に曲線を用いることでゆったりとした印を与えるほか、建物の雰囲気に合うようデザインされたコルビュジエ・チェアが多数配置されている。

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパート 画像募集中 フランス
ローニュ=ビヤンクール

1934年に建てられた集合住宅。2階部分はコルビュジエのアトリエと住居があった。

建築規制や入居者不足による資難などにより、計画通り建築とはならなかった。制約がある中でバスやキッチンなどの内装、セントラルヒーティングや地下ガレージなど、使用人の住環境には十分な配慮がなされている。

ユニテ・ダビシオン

ホテル ル・コルビュジエexit

画像募集中 フランス
マルセイユ

第二次世界大戦後の復期に建てられた、18階建て、全337戸の巨大な集合住宅。

3フロアが1ユニットとなる構造で、L字と逆L字を組み合わせ、間に廊下を通している。1961年には3階と4階にホテルが開業しており、一般客でも宿泊できる。

サン・ディエ工場 画像募集中 フランス
サン・ディエ

第二次世界大戦で破壊されたメリヤスなどの織物工場を、1946年から51年にかけて再建したもの。

戦後のための都市計画参画がわなかったコルビュジエだが、その計画を支持していた工場の所有者が依頼し実現した建築である。

ロンシャンの礼拝堂 画像募集中 フランス
ロンシャン

第二次世界大戦で破壊された教会に代わり、1955年に建てられた礼拝堂。

カニの甲羅をモチーフにしたとった屋根は、音響効果雨水収集を考慮した構造となっている。また面には、破壊された教会の瓦礫を活用している。

カップマルタンの小屋 画像募集中 フランス
ロクブリュヌ=カップマルタン

1951年に建てられた、丸太を用いた休憩小屋。コルビュジエの妻イヴンヌに贈られた。

底辺3.66m四方、天井高2.66mというコンパクトな造りで、自身の構想にある「最小限住宅」の実践でもあった。

ラ・トゥーレットの修

公式HPexit

画像募集中 フランス
エヴー

1960年工の修院。コルビュジエの建築構想が、修正や反対を受けることなく実現した建物である。

意図的に斜面に建設されており、礼拝堂の壁コントラストが美しい、コルビュジエ後期の代表作の1つ。

フィルミニのレクリエーション・センター
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フランス
フィルミニ

1960年フィルミニに新たに整備された住宅地区に、文化・居住施設として依頼された建築群。コルビュジエは完成を待たずしてこの世を去っている。

建築費用の高騰によって建設が中止されていたが、観光として話題作りを論んだ市長によって、計画開始46年後にしてサン・ピエール教会工した。

チャンディーガ

公式HPexit

画像募集中 インド
チャンディーガ

1947年パキスタンの分離独立によって、新たなパンジャーブ州の州都として建設された都市チャンディーガの設計にコルビュジエが携わった。

格子状の区画にドミノシステムで造られた建物を並べたほか、行政施設では曲線ブリーズ・ソレイユ(日よけ)が特徴的な建築物となっている。

国立西洋美術館
(こくりつせいようびじゅつかん)

公式HPexit


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東京都
台東区

フランスからコレクションが返還されるにあたり、その受け入れ先として建設された美術館東アジア一のコルビュジエ建築であり、1959年に開館した。

コルビュジエの「無限成長建築」というコンセプトに基づいた設計で、外側へ建物を継ぎ足して拡できるようになっている。

彼の設計案では付属棟や劇場ホール棟の建設計画もあったが、財政難のため見送られた。ホールは後に、彼の子にあたる前川によって、美術館の向かいに東京文化会館として建設されている。

レマン湖畔の小さな

スイス政府観光局exit

画像募集中 スイス
コルソー

1924年、コルビュジエが両のために建てた住宅。「小さな」の名前通り、長さ20m、幅3mという非常にコンパクトな造りである。

快適に過ごせるような具の配置や、大きなによるレマン湖アルプス山脈の借など、コルビュジエの工夫が随所に見られる。

ムーブルクラルテ 画像募集中 スイス
ジュネーブ

1932年にジュネーブに建設された集合住宅。コルビュジエが初めて手掛けたアパートである。

可動式の仕切りビルイン具を備えているほか、金属製造業者の協のもと、初めてスチール・フレーム工法が採用された。

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ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―

1 ななしのよっしん
2017/09/23(土) 17:06:15 ID: jr169zYkIR
「ル・コルビュジエとは」の節、ル・コルビュジエの記事に書いてはどうか?
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