ルードヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム(Ludwig von Goldenbaum)とは、「銀河英雄伝説」の人物である。
「ルードヴィヒ」の名
ゴールデンバウム王家に「ルードヴィヒ」の名を持つ人物は最低で4人いるが、史上ゴールデンバウム王家に誕生した「ルードヴィヒ」という名の皇太子はいずれも帝位につくまでに夭折ないし暗殺されており、同じく3人が3人共帝位につけなかった「カール」の名とともに凶運の名として忌避されている。
この項目では、3人の前例にもかかわらず嫌がらせかのようにそんな名前をつけられてしまった4人目のルードヴィヒ皇太子について解説する。フリードリヒ自重。
概要
その不運さんは、ゴールデンバウム朝銀河帝国第36代皇帝フリードリヒ4世と皇后との間の長男である。
長男であるために皇太子に立てられた「ルードヴィヒ大公」は、父フリードリヒ4世の作った28人の子供のうちの一人である。しかし、ゴールデンバウム王家の衰退を示すものか、そのうち15人は流産と死産で現世に生まれいでること能わず、のこり13人のうち成年に達しえたのは4人に過ぎず、成人するまで残存したのはルードヴィヒと名も残らぬ一人、それにのちのブランシュヴァイク公爵夫人となったアマーリエ、リッテンハイム侯爵夫人となったクリスティーネの4人だけであった。そして彼ルードヴィヒと名も残らぬ一人すら、帝国暦486年までに失われた。
ルードヴィヒも皇太子としての責務を果たすために子を作ったが、門閥の出でなく立場の低いその相手との間に生まれたのは男子が一人だけであった。後の第37代皇帝、エルウィン・ヨーゼフ2世である。
余談
外伝1巻「星を砕く者」では、ルードヴィヒ皇太子の死は帝国暦477年のアンネローゼ入内以前のことである。宮内省の職員がアンネローゼを「発見」した事件が、フリードリヒ4世が希望する清楚な少女の探索にルードヴィヒの死によって新たに「男児をもうけるため」との名分が立って以降のこととされているからである。
一方、息子であるエルウィン・ヨーゼフ2世は、その6ページ後の記述では帝国暦486年時に4歳とされている。
すなわち、彼の誕生は帝国暦482年前後のことと推定できる。
……待て、誰の子だ。
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