レガシィ(LEGACY)とは、富士重工業(スバル)が製造・販売する乗用車である。
概要
1980年代までスバルブランドの屋台骨であったレオーネの上位車種として開発された、現在の富士重工業を支える看板車種である。ステーションワゴンの「ツーリングワゴン」、セダンの「B4」[1]、クロスオーバーSUVの「アウトバック」[2]の3タイプがあり、2014年に発表された6代目からは「B4」と「アウトバック」の2タイプとなった。
レガシィとは「大いなる伝承物」「遺産」という意味。
バブル最中の当時、海外輸出に過度に依存していたスバルは円高によって倒産の危機に瀕しており、「この車が売れなければ終わりだ」という想いを込めてこのような意味の車名を付けたという話がある。
ちなみにオーストラリアのみ「レガシィ」という単語が戦争を想起させるためか[3]、「リバティ(LIBERTY)[4]」という名で輸出している。
なお、「レガシー」「レガシィー」といった表記も散見されるようだが、「レガシィ」が正解である。お間違えのないように。
歴代モデル
初代:BC・BF系 (1989年~1993年)
もっとクルマになる。
当時発売されていたフラッグシップクーペ「アルシオーネ」の流れを汲む端正なデザイン、発表当時クラス最強の220馬力(セダンRS)、伝統の4WDなど正にスバルの集大成とも言える車。BC型がセダン、BF型がワゴンとなる(以下の代も同様の順)。
また、セダンとステーションワゴンのみの設定とし、バンの設定は前身に当たるレオーネに残し販売することで、当時の日本ではバンと混同されることもあってあまり評価の芳しくなかったステーションワゴンを一躍日本に広めることとなった。特に、ワゴンのターボモデル「GT」登場後は、バブル景気によるスキーブームだった当時「速い・快適・荷物が載る」という三拍子揃ったこの車は大ヒットとなり、倒産寸前だったスバルは息を吹き返した。
余談だがツーリングワゴンのデザインは富士重工業で当時カーデザインを担当していたパラダイス山元氏である。
2代目:BD・BG系 (1993年~1998年[5])
他社が次々と同クラスの車種を3ナンバー化していくのを横目に頑なに5ナンバーを堅持。しかしホイールベースは拡大され後席の快適性は向上している。デザインはメルセデス・ベンツで活躍した[6]オリビエ・ブーレイであり、この車はマイバッハ 57/62と並んで氏の代表作でもある。
1996年、「全性能モデルチェンジ」としてフルモデルチェンジに匹敵する大改良(ビッグマイナーチェンジ)を実施。セダン「RS」とワゴンGTの上位グレード「GT-B」は2リッターの量産車としては世界で初めて280馬力を達成。また、高級ダンパーであるビルシュタイン社製を採用し大ヒットとなる。バブル崩壊後なのにも関わらずワゴンは飛ぶように売れ、中でも最高グレード「GT-B」はレガシィのハイパフォーマンスグレードの代名詞となった。2代目セダンの販売台数の少なさに触れてはいけない。
「グランドワゴン[7]」が初めて設定されたのもこの型(BG系)である。アメリカでは最初から「OUTBACK (アウトバック)」の名で販売された。またアメリカではセダンのアウトバックも2007年まで売られていた。
このモデルはワゴンとSUVのクロスオーバーと言えるモデルで、車高を上げるなどし路外走破性を高めている。アウトバック登場以後、同様の車両は国内外の同業他社から発売され、現在ではCUVとして一ジャンルを築いている[8]。
3代目:BE・BH系 (1998年~2003年[9])
バブルの追い風や280馬力エンジン、ビルシュタイン製ダンパーといった話題で初代・2代目と好調な売り上げを続けてきたレガシィだが、レガシィの「ブランドを高める」ことでレガシィブームを一過性のものではなく継続させることを目標に開発が進められた。
初代、2代目ではセダン、ワゴン共に同日発売されていたレガシィだが、3代目ではワゴンが先に販売される形となった。一般にステーションワゴンはセダンの設計後にそれを流用して行うことが多い(初代、2代目レガシィも同様)が、3代目では敢えてワゴンから設計しセダンと設計を分かつことで、設計の束縛を解きながら走行性・居住性・積載性といったレガシィワゴンとしての商品力が更に高められることとなった。
一方、これまで地味な存在であったセダンには「B4」というサブネームが付けられ、スポーツセダンとして売り込むことでワゴンとの差別化が計られている。これまでは「レガシィ=ワゴン」というイメージが強かったが、B4のスポーツイメージを強調するスタイリングやワゴンよりも更に優れる高い走行性能を押しだした戦略が成功しこれを覆すこととなった。
また、今ではレガシィおなじみとなったMcIntosh社製オーディオがオプションに設定されたのも、スバルの安全性能を支える新環状力骨構造が採用されたのもこの型からである。安全性に関しては、設計制約上不利な5ナンバー車にも関わらず、当時のクラウンなどの価格面で上の車よりも更に高い衝突安全性評価を受けている。
ポルシェデザインが監修したエアロパーツを纏った限定モデル「BLITZEN (ブリッツェン)」もこの代から限定生産された。ちなみにポルシェ社とポルシェデザイン社に資本的繋がりは無いため、ちょっと詐欺じゃね?と思う方もおられると思うが、まぁ…こまけぇこたぁいいんだよ!!
モデル末期にはレガシィ初のSTIコンプリートカーとなるS401が発売された。また、北米ではランカスターをベースにしたピックアップトラック「Baja (バハ)」という派生モデルも存在した。
ちなみに記事のトップにあるお絵カキコもこのBE型(の後期モデル)である。
4代目[10]:BL・BP系 (2003年~2009年)
存在として美しいか、否か。
衝突安全基準対応、欧州での販売を考慮しついに3ナンバーになった。しかし徹底的な軽量化対策を行っているため重量は先代より基本的に軽く、車幅増によって前輪舵角より確保されたため取り回しはむしろ良くなっている。それまでレガシィの象徴とも言えるクリアーテールが無くなったのも特徴のひとつ。また本モデルより採用された等長等爆エキゾーストマニホールドにより、低音が響く独特の排気音(通称ボクサーサウンド)が消滅した。懐古的なスバリストの中には、これらの変更を快く思わない人も少なくない。
2003年日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞。スバル車では初の受賞であった。
また、後期型からスイッチによってエンジンの出力特性を変化させる「SI-DRIVE」という面白い機能が搭載されている。無論国の基準を満たすためには基準を満たしなおかつ検査を受ける必要があり、このようなものを搭載すると手間が3倍になる訳だが、それを実際にやってしまうのがスバルの変t…スバルたる所以。
この4代目は安定した人気があったためか、はたまたインプレッサやフォレスターのモデルチェンジに加えエクシーガの開発が重なった為か、モデルライフでは歴代最長の6年である。
5代目[11]:BM・BR系 (2009年~2014年)
ついにレオーネからの伝統であるサッシュレスドアやレガシィワゴン伝統のDピラーのブラック処理が廃止。アメリカ市場を重視し車体の大型化、電動パーキングブレーキの採用などかなり思い切った改良が行われた。そのため従来のスバリストやレガシィファン達からは不満の声が上がることが多かった。車体は従来どおりB4、ツーリングワゴン、アウトバックの三種類。
エンジンは4気筒エンジンはEJ25に統一され、6気筒エンジンはEZ36と排気量拡大がなされた一方、国内販売グレードでも2.0Lモデルは無くなった。EJ25 NAの組み合わされるCVTはリニアトロニックと呼ばれる新開発されたもので、動力性能と燃費の両立に貢献している。また、エンジンを車体に固定するに当たり、クレードル(揺り篭)と呼ばれるサブフレームを使っている。クレードルはエンジンを囲むような枠組みであり、エンジンのロール重心高とサブフレームとの固定位置がほぼ同じになり、低重心化と振動の抑制に貢献するものである。
2010年5月の一部改良では、運転支援システム「EyeSight (ver.2)」を搭載するグレードを追加した。これはADAから進化してきたステレオカメラを使用したもので、ADAから数えて3世代目に当たる。この変更により、発売当初にあったレーダークルーズコントロールは廃止された。
2012年5月の一部改良(D型)は「全性能進化」をコンセプトにフルモデルチェンジ並の改良を実施。
新世代FBエンジン&アイドリングストップの採用、フロントフェイス一新、電動パーキングブレーキ移設、マルチインフォメーションディスプレイ搭載、リニアトロニックの軽量・コンパクト化等、その改良点は多岐に渡る。
その中でも最大のトピックと言えるのが、BRZに採用された新世代FA20型エンジンに新開発の直噴ターボを組み合わせた新グレード「2.0GT DIT[12]」の追加であろう。同時にリニアトロニックの高トルクとVTD-AWDへの対応、SI-DRIVEのS#モード時のみ8段ステップ化等によりハイパフォーマンスと環境性能の両立を目指している。
また本モデルよりMT車が全廃された。
6代目[13]:BN・BS系 (2014年~)
2014年2月、シカゴオートショーにて6代目(B4・セダンタイプ)が世界初公開され、同年4月にニューヨーク国際自動車ショーにて3代目アウトバック(SUVタイプ)が世界初公開された。両モデル共に同年10月に日本で発表された。
両車種共に、フロントデザインにはレヴォーグやWRX S4/STIと同様、ヘキサゴングリルやホークアイヘッドランプを採用し、運転支援システム「EyeSight (ver.3)」を搭載。
エンジンは5代目・D型と同じFB25型エンジンを搭載するが、およそ8割の部品を新設計とした改良型となり、CVTのリニアトロニックも改良され、アクセル開度によって変速特性を切り替えるオートステップ変速制御と6速マニュアルモードのパドルシフトが搭載された。アウトバックのみ4代目フォレスターに搭載された「X-MODE」も搭載される。
また3代目からメーカーオプションで設定できたMcIntosh社製オーディオシステムに代わり、国内のスバル車で初めて、ハーマン・カードン製サウンドシステムを搭載したハーマン・カードンサウンドシステム&SDナビゲーションがメーカーオプションに設定できるようになった。
国内仕様では両車種共に2.5Lエンジンの標準グレードと上級グレードのLimitedが用意され、地域によっては2.5Lエンジンの他に水平6気筒3.6Lエンジンを搭載するグレードもある。
なお、ツーリングワゴンに関しては、売上の低迷により6代目から廃止となった。レガシィといえば一時期は国内におけるステーションワゴンの代名詞でもあったのだが、これも時代の流れというものであろう。
国内向けには、レガシィツーリングワゴンの実質的な後継モデルとして「レヴォーグ」が販売されている。
東京オートサロン2015および大阪オートメッセ2015にて「LEGACY B4 BLITZEN CONCEPT」を参考出展。ちなみにBLITZENは3代目と4代目の特別仕様車として発売されていた。
モータースポーツ
スバルでWRCといえばインプレッサのイメージが強いが、実はレガシィも参戦していた。デビューは1990年サファリラリー。当初からエンジンのパワー不足に泣かされ、無冠の帝王ことマルク・アレンは「ノーパワー・ノーエンジン!」と叫んだとか。引退試合である1993年のラリー・ニュージーランドでコリン・マクレーが最初で最後の勝利をあげ、有終の美を飾った[14]。その後インプレッサによってスバルはコンストラクターズタイトルを手にすることになるが、レガシィの経験が数多く生かされた結果だということはいうまでも無い。
SUPER GTでは2009年シーズンに第6戦よりR&D SPORTが5代目の新型車種にて参戦した。同年はシーズン後半での投入であり、実戦をしながらマシンを調整していくに等しく、不調に終わった。しかし2010年には改良を行い、Super GT第6戦・鈴鹿700km耐久ではGT300クラスで優勝している。詳しくはR&D SPORTの項目を参照のこと。
関連動画
関連商品
関連項目
外部リンク
脚注
- *3代目以降。初代は「ツーリングセダン」、2代目は「ツーリングスポーツ」。
- *3代目以降。初代は「グランドワゴン」、2代目は「ランカスター」。
- *第1次世界大戦後の1923年に設立された、戦争未亡人や孤児などの援助基金「Legacy Australia」という団体が存在する。
- *日産・リバティとは無関係。
- *グランドワゴン(BG系)は1995年〜1998年
- *後に三菱でさんざんな目に遭う。
- *後のランカスター→アウトバック。
- *この手の車両を初めて出したのがスバルというわけではなく、1979年にアメリカンモーターズからEagleという車が販売されていた。しかしアメリカンモーターズがクライスラーに吸収されると間もなく消滅した。
- *ランカスター(BH系)は1998年〜2003年
- *アウトバックは初代
- *アウトバックは2代目
- *Direct Injection TURBO:直噴ターボ。
- *アウトバックは3代目
- *ちなみに、スバルのラリーカーといえば目を引く青色という印象が強いが、レガシィがその色を纏ったのは終盤のみで、それ以前の時期はスポンサー不足から白地ベースの簡素な塗装だった。
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