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単語記事: ロドニー・ペドラザ

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ロドニー・ペドラザとは、福岡ダイエーホークスに所属していた劇場守護である。巨人にもいた…ような…

よく間違われるが、「ペトラザ」ではない。「ペラザ」である。

概要

1999年福岡ダイエーホークスに入団。先発要員としての獲得だったが、城島健司の進言でリリーフに回り、5月に初セーブを挙げると、藤井将雄吉田修司篠原貴行と強勝利の方程式を形成。48試合に登し、3勝1敗27セーブ防御率1.98という好成績を挙げ、ダイエー初の優勝・日本一の胴上げ投手となった。

2000年渡辺正和吉田篠原らとともに奮闘。51試合で3勝4敗35セーブ防御率2.15の成績でセーブ王タイトルを獲得。リーグ連覇の原動となる。35セーブは当時のリーグ最多タイ記録。この2年間は絶頂期で、非常に定感のある優秀な守護だった。

……が、2001年からは勤続疲労による球威・制球の低下で徐々に行きが怪しくなる。この年は54試合で4勝4敗、34セーブを挙げ2年連続のセーブ王いたのだが、防御率は3.65。99年には0、2000年は3だった被本塁打が10に増するなど、前年までの定感は消え失せ、劇場守護として名を馳せることになった。ロッテファンの間で伝説となっているボーリックナイトはそれを徴する出来事といえる。

2002年の衰えは隠せず、岡本らが抑えを務める場面も増え、34試合で1勝2敗21セーブ防御率3.30という成績に終わる。本人は翌年もダイエーでのプレー希望していたが年俸面で折り合わず、この年限りで退団。

翌年、衰えが明らかだったにもかかわらず、なぜか読売ジャイアンツが獲得。河原純一に繋ぐ中継ぎ河原の代役の抑えとしての獲得だったが当然のように炎上し、6月には右肩痛で帰、そのまま解雇された。

全盛期でも速球は140km/h台で剛球タイプではなかったが、球持ちの良さと制球の高さ(2000年は年間で僅か4四球)、変化の大きい縦スライダーを武器に活躍した。ダイエー時代に挙げた通算117セーブは当時の球団記録(のちちに馬原孝浩が更新)。連覇時のっぷりと2001年以降の劇場っぷりの落差がしいが、最高の助っ人クローザーは誰か?という話では今でもよく名前が挙がる。

現在は引退し、テキサスで牧場をしているらしい。

ちなみに、『ドカベン プロ野球編』に登場したことがあるしい外国人選手(権利関係が複雑なので普段は滅多に外国人選手は出てこない)。

関連動画

ボーリックナイトの動画しか無いとは……。

関連項目

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読み:ロドニーペドラザ
初版作成日: 11/05/28 02:19 ◆ 最終更新日: 11/05/28 02:33
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ロドニー・ペドラザについて語るスレ

1 : ななしのよっしん :2011/05/28(土) 12:38:10 ID: rViG97uRVE
また懐かしい外国人選手を
やっぱり99年の優勝の徴の一人だよなあ・・・。
その後ガタガタになったのが残念だったけど。
2 : ななしのよっしん :2011/06/29(水) 04:58:27 ID: 7yAX5MrXDZ
パワポケ32000年データ)でのコントロールは、まさかのMAX255
3 : ななしのよっしん :2011/11/21(月) 01:25:08 ID: yfrgCaiLbf
落ちる球で三振とる姿。
今も忘れられない。
4 : 名無し :2012/02/15(水) 13:04:03 ID: uMgLt/HS+E
ドカベン殿が球持ちの良さを解説してたのが印
5 : ななしのよっしん :2012/05/23(水) 22:58:21 ID: 7qqRJvvWSM
>>4殿の解説の時の実況が物分り悪くて吹いたw
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