ロバノパンヤとは、1995年生まれの日本の競走馬である。まぎれもない馬である。
古き日本の情緒
競馬好きな方なら言わなくてもわかるだろうが、馬主は珍名の大家、小田切有一氏である。
馬名の由来は、昭和の初期ごろからロバや馬に馬車を引かせてパンの移動販売を行った「ロバのパン屋」から。なお、今でも営業は続いており、時代とともに乗用車を使った販売形態へと変化していったが、現在も「ロバのパン屋」の名称でパンの移動販売を行っている。
父は地方競馬を中心に活躍馬を輩出した米国産のプリンスオブバーズ、母は浦和桜花賞と関東オークスを制した南関東の名牝、ハナブサクインである。血統の面では見るべきところのないとまでではないが、地味なのは否めない馬である。
だが、小田切氏は血統のいい馬ではなく、自分で見て気に入った馬を買うのが好きである。かくしてロバノパンヤはオダギラーとなり、古き良き日本の情緒を感じさせる名前を与えらえた。馬なのに
チンカラリンロンやって来る
栗東の谷潔厩舎に入厩したロバノパンヤは、新ロバ戦に出走させられるでもなく、無事1997年の9月に阪神の新馬戦でデビュー。素質が評価されたのか、名前が面白かったからかは定かではないが2番人気となり、2着と好走。
2週間後の次走は1番人気に推され、これを見事に勝利。ちゃんとした馬であることを無事証明した。
次走は強気にデイリー杯3歳S(GII)を狙ったが、これは7番人気の8着と惨敗し、続く500万下白菊賞も6着に沈んだ。
ここまですべて芝レースであったが、ここで芝に見切りをつけてダート路線に転向。もともとダート向きの血統だったこともあり、これが見事にはまった。
12月の500万下樅の木賞を4着とすると明けて1998年2月のカトレア賞も4着、その後もダートの500万下を3着、3着、2着と好走し、4月の500万下でついに勝利した。
世界一速いロバ
この勝利を機にオープンへの挑戦を始め、端午S、白百合S、菖蒲Sとダートオープンを3連続2着とし、次走の900万下しゃくなげ賞は4着に終わったものの、続く900万下利根川特別は勝利。3勝目を挙げた。
次走は2回目の重賞となるユニコーンS(GIII)に挑戦。当時のダートを支配していた名馬ウイングアローに次ぐ2着と好走。続いて大井競馬場のスーパーダートダービー(GII)も3着と好走し、重賞馬相手に一歩も引かない最速のロバの名は一躍有名になった。
やっぱりロバは遅い?
順調な成長ぶりで重賞制覇への期待も高まるロバノパンヤだったが、ここへきて足踏みを始める。
トパーズS(OP)、シリウスS(GIII)をいずれも惨敗して3歳のシーズンを終えると、続く4歳(1999年)は11走もしたにもかかわらずマーチS(GIII)で3着に入った以外には大敗を続け、秋にはオープンをあきらめて1600万下の条件戦で走るようになったが、負けっぱなしでシーズンは終わった。
ロバ、されど馬
みじめな4歳シーズンは終わり、5歳(2000年)になるとロバノパンヤは復調した。1600万下のアレキサンドラS、洞海湾S、アクアマリンSを連続2着とすると、続く甲南Sで22戦ぶりに勝利。
その後オープンをシーズン9戦して4回掲示板に載るなど成績は比較的安定し、ダート路線の名脇役的存在となった。
平地競走も障害も なんでもやりますチンカラリン
6歳シーズン初戦は平安S(GIII)であったが、これを11着と大敗。これを機にロバノパンヤは障害競走に転向することになった。
陣営にも勝算はあったらしく、名手熊沢を背に9月に阪神の障害未勝利で障害デビュー。5着に入ると、次の2勝を連続で2着とし、障害馬として順調な滑り出しを見せた。
だが、7歳になって5月の初戦を6着とすると、続く6月22日、阪神での障害未勝利に出走したが、競走中に右後脚を粉砕骨折。予後不良となり、天国へ飛んで行ってしまった。
通算49戦4勝、2着11回、獲得賞金1億7232万3千円。ただの珍名馬ではなく、頑丈でよく走る、本当に素晴らしい馬であった。
血統表
*プリンスオブバーズ 1985 栗毛 |
Storm Bird 1978 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
South Ocean | New Providence | ||
Shining Sun | |||
Special Key 1975 栗毛 |
Key to the Mint | Graustark | |
Key Bridoe | |||
Better Bigin | Buckpasser | ||
Glad Rags | |||
ハナブサクイン 1982 鹿毛 FNo.7 |
*カウアイキング 1963 黒鹿毛 |
Native Dancer | Polynesian |
Geisha | |||
Sweep In | Blenheim | ||
Sweepesta | |||
シンポーシア 1974 栗毛 |
*トラフィック | Traffic Judge | |
Capelet | |||
ゴルトプラネット | *シーフュリュー | ||
*イマジネーションゼセカンド | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Native Dancer 3×5(15.63%)
- 父プリンスオブバーズは5戦3勝でアイリッシュ2000ギニー優勝馬。主な産駒はマルチマックス(1993年スプリングS・GII)、Queen's Ransom(2001年南インドオークス)。ただし産駒で最も賞金を稼いだのは本記事のロバノパンヤとなる。
- 母ハナブサクインは地方で18戦8勝で1985年浦和桜花賞、関東オークス優勝馬。
- 母父カウアイキングは1966年ケンタッキーダービーで1着入線のダンサーズイメージが薬物により失格になったため繰り上がりでダービー馬になったいわく付きの馬。ただし二冠目のプリークネスステークスで文句なしに優勝し二冠を獲得した。三冠目は故障で不出走。
- 4代母の登録名イマジネーション「ゼ」セカンド(Imagination 2)は誤植ではない。(リンク先はJBIS Search)
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関連項目
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