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ロビンソン・カノ(Robinson Cano、1982年10月22日-)とは、ドミニカ出身のメジャーリーガー(内野手)である。
名前の由来は黒人初のメジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソンにちなんでいる。
概要
アトランタ・ブレーブス #22 | |
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ロビンソン・カノ Robinson Cano |
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基本情報 | |
国籍 | ドミニカ共和国 アメリカ合衆国 |
出身地 | ドミニカ共和国 サンペドロ・デ・マコリス州 |
生年月日 | 1982年10月22日 |
身長 体重 |
183cm 93kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 2001年 |
経歴 | |
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国際大会 | |
代表チーム | ドミニカ共和国 |
WBC | 2009年、2013年、2017年 |
日米野球 | 2014年 |
メジャーリーガーテンプレート |
父親のホセ・カノもメジャーで6試合に登板した投手だった。ロビンソン自体はドミニカ共和国で育つ。サンペドロ・アポストル高校で野球とバスケットボールの選手として活躍し、2001年にニューヨーク・ヤンキースとプロ契約を結ぶ。ヤンキースとしては、デレク・ジーター以来の生え抜き選手だった。
経歴
ヤンキース時代
AAAで打率.333を記録し、2005年5月3日にメジャーデビューを果たす。その年に三年連続盗塁王に輝いた事もあるトニー・ウォマックから二塁手のレギュラーを奪い取る。週間MVPや9月の月間新人MVPを受賞した。同シーズンアメリカンリーグの新人王投票で2位に入った。打撃は好成績を残したが、連係プレーに課題が残るなど守備はあまり上手いとは言えなかった。
2006年のオールスターファン投票では二塁手部門でトップだったが膝の違和感から故障者リスト入りし、出場できなかった。成績では打率、二塁打数、打点でリーグトップであった。欠場の影響で欠けていた規定打席数にも9月末に到達し、首位打者争いに絡む活躍を見せた。9月月間MVPにも輝く。最終的に残した打率.342は同僚デレク・ジーターに1厘差に迫るリーグ3位の数字であった。また二塁打数もリーグ2位に輝く。同年のMVP投票では総合22位に入った。シルバースラッガー賞も受賞。
2007年にはロジャー・クレメンスがヤンキースに復帰する可能性を作るため、背番号22から24に変更した。また、体重もメジャーデビュー時は80kgも無かったが、92kgに増やした。
2008年2月7日、球団と調停を回避し4年総額3000万ドル(約32億円)で延長契約を結んだ。開幕から打率が低空飛行を続け、5月13日の時点で39試合に出場し、打率は.183という有様だった。それ以降の試合では120試合で打率.299、10本塁打、61打点と復調した。メジャーデビュー以来毎年.290以上の打率を残していたが、2008年は打率.271に終わった。
2009年は、自己最高且つリーグ最多タイの161試合に出場し、打率は2年ぶりの.300以上の数値を記録した。また、自身初の200安打以上と25本塁打も記録した。シーズン終了後のMVP投票では7位にランクインした。
2010年には2年連続となる200本安打を達成し、自身4度目の打率.300以上を記録。また、本塁打は自己最高の29本塁打、打点は自身初の100以上を記録した。 また、四球が自己ベストを記録した事で、出塁率も自己最高の数値を記録した。また、オールスターゲームは、自身2度目となる出場を果たした。シーズン終了 後には初のゴールドグラブ賞を受賞し、守備力の上達を決定的なものとした。
2013年にはWBCドミニカ共和国代表に選出され、大会MVPを獲得した。10月31日にFAとなり、シアトル・マリナーズと10年契約を結んだ。背番号22。
マリナーズ時代
2014年オフに行われる日米野球に出場したが、第3戦で西勇輝から死球を受けて帰国した。
2015年9月24日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で通算2000本安打を達成した。
2016年は161試合に出場し、自己最多の39本塁打と長打力が復活した。
2017年は第4回WBCドミニカ共和国代表に選出され、3大会連続出場となった。8月4日のロイヤルズ戦で通算500二塁打、9月21日のテキサス・レンジャーズ戦で通算300本塁打を達成した。
2018年は5月13日のデトロイト・タイガース戦で死球を受けて故障者リスト入り。そんな中でフロセミドによる薬物規約違反に引っかかったため3ヶ月出場停止。キャリアワーストの80試合の出場に留まった。
メッツ時代
2018年オフにトレードでニューヨーク・メッツに移籍した。背番号は24。
2019年は5月7日に史上101人目の通算2500本安打を達成。しかし直後に左大腿四頭筋を故障。8月には左ハムストリングスの負傷で戦線離脱した。そのため107試合の出場に留まり、打率.256、13本塁打、39打点だった。
2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で60試合に短縮。49試合の出場で打率.316、10本塁打、30打点を記録した。オフに薬物検査で禁止薬物が検出されたため、1年間の出場停止処分を受けた。
2022年は2年ぶりに出場したが、打率.167、1本塁打、3打点と結果を残せず5月2日にDFAとなった。
パドレス時代
2022年5月13日にサンディエゴ・パドレスと契約した。背番号は24。しかし打率.091、1打点と結果を残せず、6月2日にマイナー落ちした。
ブレーブス時代
2022年7月11日に金銭トレードでアトランタ・ブレーブスに移籍した。背番号は22。
成績
- (2021年終了時点)
年度別打撃成績
年 度 Year | 球 団 Team | 試 合 G | 打 席 PA | 打 数 AB | 得 点 R | 安 打 H | 二 塁 打 2B | 三 塁 打 3B | 本 塁 打 HR | 打 点 RBI | 盗 塁 SB | 犠 打 SH | 犠 飛 SF | 四 球 BB | 死 球 HB | 三 振 SO | 併 殺 打 GDP | 打 率 AVG | 出 塁 率 OBP |
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2005年 | NYY | 132 | 551 | 522 | 78 | 155 | 34 | 4 | 14 | 62 | 1 | 7 | 3 | 16 | 3 | 68 | 16 | .297 | .320 |
2006年 | 122 | 508 | 482 | 62 | 165 | 41 | 1 | 15 | 78 | 5 | 1 | 5 | 18 | 2 | 54 | 19 | .342 | .365 | |
2007年 | 160 | 669 | 617 | 93 | 189 | 41 | 7 | 19 | 97 | 4 | 1 | 4 | 39 | 8 | 85 | 19 | .306 | .353 | |
2008年 | 159 | 634 | 597 | 70 | 162 | 35 | 3 | 14 | 72 | 7 | 1 | 5 | 26 | 5 | 65 | 18 | .271 | .305 | |
2009年 | 161 | 674 | 637 | 103 | 204 | 48 | 2 | 25 | 85 | 2 | 0 | 4 | 30 | 3 | 63 | 22 | .320 | .352 | |
2010年 | 160 | 696 | 626 | 103 | 200 | 41 | 3 | 29 | 109 | 5 | 0 | 5 | 57 | 8 | 77 | 19 | .319 | .381 | |
2011年 | 159 | 681 | 623 | 104 | 188 | 46 | 7 | 28 | 118 | 3 | 0 | 8 | 38 | 12 | 96 | 18 | .302 | .349 | |
2012年 | 161 | 697 | 627 | 105 | 196 | 48 | 1 | 33 | 94 | 8 | 0 | 2 | 61 | 7 | 96 | 22 | .313 | .379 | |
2013年 | 160 | 681 | 605 | 81 | 190 | 41 | 0 | 27 | 107 | 7 | 0 | 5 | 65 | 6 | 85 | 18 | .314 | .383 | |
2014年 | SEA | 157 | 665 | 595 | 77 | 187 | 37 | 2 | 14 | 82 | 2 | 0 | 3 | 61 | 6 | 68 | 19 | .314 | .382 |
2015年 | 156 | 674 | 624 | 82 | 179 | 34 | 1 | 21 | 79 | 2 | 0 | 4 | 43 | 3 | 107 | 26 | .287 | .334 | |
2016年 | 161 | 715 | 655 | 107 | 195 | 33 | 2 | 39 | 103 | 2 | 0 | 5 | 47 | 8 | 100 | 18 | .298 | .350 | |
2017年 | 150 | 648 | 592 | 79 | 166 | 33 | 0 | 23 | 97 | 1 | 0 | 3 | 49 | 4 | 85 | 18 | .280 | .338 | |
2018年 | 80 | 348 | 310 | 44 | 94 | 22 | 0 | 10 | 50 | 0 | 0 | 2 | 32 | 4 | 47 | 9 | .303 | .374 | |
2019年 | NYM | 107 | 423 | 390 | 46 | 100 | 28 | 0 | 13 | 39 | 0 | 0 | 3 | 25 | 5 | 69 | 16 | .256 | .307 |
2020年 | 49 | 182 | 171 | 23 | 54 | 9 | 0 | 10 | 30 | 0 | 0 | 1 | 9 | 1 | 24 | 7 | .316 | .352 | |
MLB:15年 | 2234 | 9446 | 8673 | 1257 | 2624 | 571 | 33 | 334 | 1302 | 51 | 10 | 62 | 616 | 85 | 1189 | 284 | .303 | .352 |
通算守備成績
機構 | 守備位置 Pos | 試合 G | 刺殺 PO | 補殺 A | 失策 E | 併殺 DP | 守備率 Fld% |
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MLB | 一塁手 | 14 | 87 | 3 | 1 | 9 | .989 |
二塁手 | 2158 | 4040 | 5833 | 124 | 1409 | .988 | |
三塁手 | 2 | 2 | 2 | 0 | 1 | 1.000 | |
遊撃手 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- |
表彰・その他
表彰 | |||
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MLB | ルーキー・オブ・ザ・イヤー | 1回 | 2005年9月 |
シルバースラッガー賞 | 5回 | 2006年、2010年-2013年 | |
ゴールドグラブ賞 | 2回 | 2010年、2012年 | |
オールスターゲームMVP | 1回 | 2017年 | |
WBC | ベストナイン | 1回 | 2013年 |
その他 | |||
MLB | オールスターゲーム出場 | 8回 | 2006年、2010年-2014年、2016年、2017年 |
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関連項目
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