ローマとは、現在のイタリアの首都であり、イタリアのローマ県の県都である。またヴァチカン市国の所在地でもある。
概要
コロッセオやトレヴィの泉など、そのたぐいまれなる美しさから、「永遠の都」と称される。世界遺産の圧倒的な多さは有名で、場所によっては歴史のテーマパークである
人口はイタリア最大の約270万人。
スポーツはサッカーが大変人気のようで、1960年にはオリンピックが開催された。ラグビーも人気があるみたいだが、その成績はあまり芳しくない。
経済的にみると、都市のGDPは1440億ドル(世界第43位)。イタリア内の金融においてはミラノに次ぐ第2位であり、世界規模でみると第48位。内、大半は観光による収益で成り立っている。
北西部にはキリスト教カトリック教会の総本山、ヴァチカン市国が存在する。このためローマには毎年10万人ほどの巡礼者が訪れるので、ヴァチカン周辺は夏になるとひたすらに蒸し暑い。
ローマはヴァチカンとは宗教的にも歴史的にも深い関係にあり、現在は互いの存在を認め合っている。
歴史
古くは、古代ギリシャと並ぶヨーロッパ文化の源泉である、ローマ帝国の都であった。「ローマの平和」とされる1世紀から2世紀ごろには、人口が100万人に達し、都市開発も進展した。この点においては、よく暴君といわれるネロ帝が尽力し、火災の後に区画の整備を行い、今日まで残るローマの世界遺産の礎を築いた。
- 395年、ローマ帝国が東西に二分。ローマは西ローマ帝国の側に。
- 5世紀、ゴート人やヴァンダル人の侵入。
- 476年、西ローマ帝国滅亡。ローマは帝国を滅ぼしたオドアケル、次いで東ゴートの傘下に。
- 6世紀中ごろ、東ローマ帝国の領土に。再びローマ帝国の領土となる。
このように諸々の国家の奪い合いの後、 カール大帝の援助により、ローマはローマ教皇領となり繁栄を取り戻す。そして独自のローマカトリック文化を徐々に開花させ、飛んで15世紀半ばから、ローマはルネサンス文化の中心となる。15世紀末にはフィレンツェを超える一大文化都市となり、ミケランジェロやラファエロらがローマ教皇の為に傑作を輩出。そして16世紀の末には、あのサン・ピエトロ大聖堂の丸屋根が完成した。
それからも多くの芸術的財産を生み、18世紀には緩やかな平安を享受していたが、19世紀初頭に台頭したナポレオンにより占領。貴重な美術品を多く盗まれたが、後にウィーン会議にて再びローマ教皇領となる。
- 19世紀中ごろ、第2帝政に入ったフランスにより占領。
- 1861年にイタリアの大部分が統一。
- 1871年、イタリア王国がローマを含むローマ教皇領を吸収・統合。
- 1929年2月11日、教皇の代理とムッソリーニ首相の下、ヴァチカン市国が成立。
また、ローマはローマ帝国の首都という経歴上、多くの国家に欲され、あるいは理想とされた。
東ローマ帝国は都コンスタンティノープル(現トルコのイスタンブル)を「第二のローマ」とした。神聖ローマ帝国は初期においてはローマを領土とし、手放した後もしばしば奪還のためにイタリアへ南下した(イタリア政策)。
その他、東ローマ帝国の後継と自称するロシア帝国においては、首都モスクワを「第三のローマ」と称した。この標語は現在になっても残り続けている。
余談
- ローマという名前の由来は、ロムルスが建てたという伝説から。
- 「ロマン(roman)」という言葉の由来。ロマンとは、本来「ローマの~」を意味する英単語だから。
- 東京都とは姉妹都市。
- ルーマニアは「ローマ人の国」という意味。
- 嘘つきの手を切り落とすことで有名な「真実の口」は、古代ローマの下水溝のマンホールだった。
- 恋のキューピッドの元ネタであるクピードーはローマ神話から。ちなみにギリシャ読みでエロス。
- 2011年にはマフィアのスタンド使いが内部抗争を繰り広げた。
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読み:ローマ
初版作成日: 11/07/21 02:16 ◆ 最終更新日: 11/10/10 01:16
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