ヴァシリ・グリゴーリエヴィチ・ザイツェフ(1915年3月23日 - 1991年12月25日)とは、ソビエト連邦の軍人・狙撃手である。
同時代に活躍した女性狙撃手リュドミラ・パヴリチェンコと並び知られる、伝説的なスナイパー。
概要
現在のチェリャビンスク州に生まれる。ウラル山脈に育ち、猟師として銃の腕を十全に磨いた。
建築専門学校を卒業後、1936年にソ連海軍に入隊する。意外な事だが、当初はロシア太平洋艦隊の会計班長、つまり事務方だった。
戦局の悪化に伴い1942年9月に第1047狙撃連隊に配属、スターリングラード攻防戦に参加する。
同年11月から12月の間に225人のドイツ軍兵士を狙撃により殺害。その際使用したのは特別仕様ではないモシンナガン・ライフルで、ひとえに彼が培ってきた狩猟の腕前による成果だった。
「英雄」の評判はやがてソ連軍に広まっていった。史上最大の市街戦、地獄の如き激戦地において、ザイツェフの活躍に励まされる将兵も多かったという。
翌年1月に目を負傷して前線を退くが、治療により回復、前線に復帰。かねてより選抜した兵士28名を狙撃手として育成し、教範本を執筆するなど、後進の育成にも尽力していた。教え子はザイツェフの語源であるザーイカ(ウサギ)の子、すなわちザイシャ(子ウサギ)と呼ばれ、最終的に3000人以上のドイツ軍兵士を殺害している。
ザイツェフが始動した狙撃に対する手法はツーマンセル×3組、合計6名で行動する「シェスチョールカ」である事が知られている。これにより同一地帯をカバー、相互に連携しながら敵軍兵士を次々と仕留めていったという。
ソ連邦英雄称号の他、レーニン勲章、赤旗勲章(2回)、その他各種勲章を多く授与された。
戦後はキエフの工場の管理職を歴任し、1991年に死去。キエフに埋葬されたが、2006年に生前の意思を受け、ヴォルゴグラードのママエフ・クルガン(ママエフの丘)に改葬。『母なる祖国像』に見守られながら、静かな眠りについている。
映画化
アメリカ・イギリス・アイルランド合作の映画『スターリングラード』(原題『Enemy at the Gates』)が2001年に公開された。
ジュード・ロウ演じるザイツェフの活躍と、彼を倒すべく送り込まれたドイツ人狙撃手・ケーニッヒ少佐との戦いを描いている。
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