七夕の悲劇とは、以下のことを表す。
- 1998年7月7日千葉ロッテマリーンズがプロ野球史上初の17連敗を喫した時の黒木知宏投手のエピソード。本記事で解説。
- 2017年7月7日の東京ヤクルトスワローズに訪れた劇的な逆転劇のこと。→「七夕の悲劇2017」を参照。
- THE IDOLM@STER Live For You!の765Comm@ndが発覚したために、これまで費やされてきた抜き作業の苦労が一瞬にして水泡に帰してしまった悲劇のこと。→「七夕革命」を参照。
概要
ぺーぺーで、毎日必死だったなあ。あの時は何やっても勝てなくてね。
打ったら、もっと点を取られるし、投手が抑えたら向こうがもっと抑えて。
野球って難しいね。勝つ時は、あっさり勝つのに
当時ここ10年間は1995年に2位で終えた以外は最下位と5位を行き来していたロッテ。この年は優勝候補にも挙げられるほど戦力が充実していた。
前評判通り、千葉ロッテマリーンズは開幕から好調だった。4月を終えた時点では首位。5月に入りやや調子を落としたものの、序盤戦を20勝21敗とほぼ5割の成績で乗り切り、ここから再び首位を狙っていく、はずであった。
6月13日、対オリックス・ブルーウェーブ12回戦。先発の小宮山悟が5回途中5失点と大乱調。試合も逆転負けを喫する。ここからが長いトンネルの始まりだった。
連敗トンネル
そこからは投打のかみ合わない試合が続いた。
18安打を放ちながら勝てず・・・
9回に逆転するも勝てず・・・
背景には、抑え不在による終盤の不安定さがあった。“ダブルストッパー”成本年秀、河本育之の故障に加え、補強したスコット・デービソンも5月に故障。その為近藤昭仁監督は窮余の策として、連敗の前日好投していた先発投手・黒木知宏を配置転換。5連敗中の日本ハム戦で抑えとして登板させた。
しかし、コレも裏目。先発完投型の黒木はリリーフに適応できず、2試合で立て続けに炎上。更にそれから2試合後の近鉄戦、延長11回に登板するも、ここでも打ちこまれ決勝点を与えてしまう。実に救援失敗を3度も繰り返し、チーム20年ぶりの10連敗を喫したところで、近藤監督はストッパー黒木を諦めた。
一方で先発陣は、小宮山悟が防御率リーグトップになりながらも勝てず、薮田安彦に至っては12安打を浴びて炎上して負けがつく一方、完投しても対戦相手の西武・西口に完封を喰らい負けるなど、ツキもなかった。実際抑え不在を除けば、チームのどこかが明らかに不振に陥っている訳ではなかった。
打線も福浦和也、フリオ・フランコ、初芝清(とマーク・キャリオン)の上位打線はそれなりの威力を発揮してはいたが、投手陣の継投や打線の援護は恐ろしいほど噛み合わず、野手陣は打ちながらも拙攻が続いた。逆に乱打戦となれば、投手陣は崩壊した。
そういう試合を繰り返し、マスコミが徐々に注目をし出す中、気付けばチームは最下位に真っ逆さま。連敗中、投手コーチは更迭され、球団社長は謝罪した。
パ・リーグの連敗タイ記録15がかかるホームゲームの試合では、試合前に前代未聞のお祓いが行われたが
その試合も9回裏土壇場で追いつくも、その後ダイエー・井口の2ランで息の根を止められ、またしても延長戦で敗戦。
気がつけば15連敗。次負ければ、パ・リーグ新記録&日本タイ記録という状況にまでなってしまっていた。
1998年7月5日 対福岡ダイエーホークス12回戦
連日の連敗記録はスポーツニュースで盛んに取り上げられるようになり、記録がかかったこの日のマリンスタジアムには2万人超の観客が集まった。
しかし試合はダイエーが城島健司、井口資仁のホームランなど21安打の猛攻。対するロッテは2度の満塁機を含む3併殺などで相変わらず打線が噛み合わず、10-3で敗戦。ヤクルトアトムズが1970年に作ったNPB記録に、とうとう並んでしまった。7日に先発予定の黒木知宏はロッカールームでモニター観戦していたが、10点目をとられた7回で見るのをやめたという。
なぜなら1996年、ダイエーの選手らが乗るバスをファンが取り囲み、生卵を投げつける事件があった。それを思い出して恐ろしくなった黒木は、試合途中で球場から逃げ出してしまったのだ。
だが、自宅でスポーツニュースを見た黒木は、愕然とする。黒木が恐れたとおり、試合終了後のスタジアム正面には、500人ものマリーンズファンが集まっていた。
しかし…
俺達の誇り、千葉マリーンズ!
どんなときも、俺達がついてるぜ!
突っ走れ、勝利の為に!
さあ行こうぜ!千葉マリーンズ!ラララララ......
16連敗を喫したマリーンズを「俺達の誇り」と歌い続けるファンの姿が、そこにあった。黒木はファンを恐れ、逃げだした己を恥じた。そして誓った。
「これからはファンの為に投げよう。懸命に投げよう」
「次は最初から目一杯行く。腕が千切れたって構わない!」
1998年7月7日 対オリックスブルーウェーブ13回戦
ロッテ先発はエース・黒木知宏、対するオリックス先発は木田優夫であった。パ・リーグで、かつ5位と6位の試合。しかも平日のナイター。にも関わらず、グリーンスタジアム神戸には2万人を超える観客が詰めかけた。さらに、テレビの全国中継まで入っていた。
試合はロッテが福浦和也、フリオ・フランコの犠牲フライ、マーク・キャリオンのHRで3点を取り試合を優勢に進める。黒木は4回に暴投で1点を与えたものの、イチロー擁するオリックス打線を8回2安打に抑え、打線の援護に応えた。この間、黒木は全く覚えていないという。
真夏の夜に初回から飛ばし過ぎたツケで、体は途中から脱水症状を起こしていた。どんなに水を飲んでも体調は戻らず、球威も徐々に落ちていった。
ところが9回、黒木の球威は突然復活した。黒木曰く「ゾーンに入った状態」だったという。先頭のイチローを空振り三振にきって取る。1アウト。次打者トロイ・ニールはヒットで1アウト1塁。続く谷佳知は三振で2アウト1塁。そしてバッターは今日無安打のハービー・プリアム。
勝てる・・・勝てるんだ・・・!
カウントは2-1、あと1ストライクで勝てる・・・!
だが、黒木が投じたこの試合の139球目は福澤洋一の構えたミットではなく…無情にも、マリーンズファンが集まるレフトスタンドに吸い込まれていった。
プリアムの同点HR。
その場に崩折れた黒木は、立ち上がることができなかった…
その後、試合は延長12回にオリックスの代打、広永益隆が代打満塁サヨナラHRを放ちオリックスが勝利。
この瞬間、ロッテの17連敗が確定し、連敗の日本記録を更新した。力を使い果たした黒木は脱水症状からくる全身の痙攣に襲われ、一時は命を落とす危険性すらあったという。
その後
結局翌日の試合も負け、連敗記録は18まで伸びたが、翌々日は連敗の始まりとなった試合の敗戦投手である小宮山が完投(9回140球6失点)し勝利。黒木の139球は報われ、晴れて連敗は止まったのであった。
皮肉にもこの敗戦によって人気を得た黒木はその後、初めてオールスターに選出された。そしてこの年、投手三冠まであと一歩(最多勝、最高勝率、防御率2位)という素晴らしい成績を残すことになる。
この黒木の活躍に加え、河本の復帰や6月に獲得していた新助っ人ブライアン・ウォーレンのフィットによるリリーフの安定、初芝やフランコ、盗塁王に輝いた小坂誠ら打撃陣の活躍もあり、連敗脱出以降のロッテは打って変わって好調を維持。18連敗のツケはあまりに重く最下位脱出こそならなかったものの、20まで膨れ上がっていた借金を10まで減らし、最終的には優勝した西武にわずか9.5ゲーム差の61勝71敗3分け(勝率.462)という、最下位チームとしてはかなり高い勝率でシーズンを終えた。チーム打率.271はリーグ1位、チーム防御率3.70もリーグ2位であり、当時「史上最強の最下位」とまで呼ばれたほどである。しかし最下位であることには変わりがなく、シーズン終了後の1998年10月8日に近藤昭仁監督は辞任を発表した。近藤監督は辞任の際に「もっと強いチームでやりたかった」と発言したとしてロッテファンから批判を浴びたが、これについてはのちの取材で「再建期のチーム(97年の就任時点で前年12勝の伊良部、14勝のヒルマンが揃って移籍したことで投手陣が手薄になっていた)で勝利を目指すことは難しく、それでも2年連続最下位になってしまった以上『来年も続ける』とは言えなかった」という意味での発言だったと述べている。皮肉にもこの日は近藤がかつて率いていた横浜ベイスターズが38年ぶりのリーグ優勝を決めた日であった。
このように、この年のロッテは決して「弱小チーム」ではなく、むしろ戦力的にはかなり充実したチームだった。そんなチームが、まるで悪魔に魅入られたように一時期だけ全く勝てなくなったことも、この連敗が「悲劇」と形容される一つの理由であろう。
この日に球界で起こったその他よもやま
余談までに、1998年7月7日に球界で起きたその他の出来事を以下に記す。
- イチローはこの年前人未到の5年連続首位打者を達成するも、この試合では黒木に打棒を封じられ空振り三振を含む6打数1安打の大ブレーキを喫した。また5月に4試合連続併殺打も記録するなど、日本で最もスランプに苦しんでいた時期とされていて、イチローが「黒木ほどボールに魂を感じるピッチャーはいない」と評す所以となっている。
- 日本ハムファイターズでまだ2年目の若手だった小笠原道大が、この日一軍に昇格し対近鉄バファローズ戦に即出場、代打でプロ初ホームランを放った。なおこの時の小笠原は左手人差指の骨折が完治しておらず、これが切っ掛けでガッツという愛称が付いたと言われている。
- 福岡ダイエーホークスが、この年優勝する西武ライオンズを相手に11-0と完勝。球史に残る真の史上最強打戦"ダイハード打線"はほぼ完成し、翌年の優勝を予感させた。
- セ・リーグでは、この年優勝する横浜ベイスターズの絶対的守護神・佐々木主浩が、阪神タイガース・矢野燿大から逆転サヨナラヒットを喫した。この年の防御率は0.64で、これが唯一の黒星となっている。
19年ぶりの神戸
それから19年後の2017年シーズン、この七夕の悲劇以来となる神戸でのロッテ対オリックス戦が開催された。前回同様平日のナイトゲーム、ロッテ先発はエースの涌井秀章、対するオリックス先発はルーキーの山岡泰輔だった。
オリックスは小刻みな安打で涌井を攻め、5回裏に小谷野栄一のタイリーヒットで先制する。しかし7回表にジミー・パラデスのソロホームランでロッテが同点に追いつくと、両軍継投に入るが9回に登板したオリックスの守護神・平野佳寿が1死2,3塁のピンチを作ると、奇しくも19年前のロッテの選手唯一の生き残りである福浦和也が代打で登場し犠牲フライを放ち1点、その後満塁となったところで、19年前はダイエーに所属し18連敗中のロッテを苦しめていた井口資仁が押し出し四球を選び更に1点をとり2点の勝ち越しに成功する。
その後その裏を内竜也が無失点に抑えてこの試合を終え、ロッテが勝利。ヒーローインタビューには福浦が選ばれた。しかもこの試合の3-1というスコアは、前述の黒木がプリアムを抑え完投勝利した場合のスコアである。
こうしてパリーグとロッテの歴史に一つの終止符が付いたのであるが、一方同日、セリーグでは東京ヤクルトスワローズが新たな七夕の悲劇を生んだことも話題となった。詳細は「七夕の悲劇2017」を参照のこと。
関連動画
関連項目
- スポーツ
- プロ野球
- 千葉ロッテマリーンズ
- オリックス・ブルーウェーブ
- 黒木知宏
- ハービー・プリアム
- 福浦和也
- 七夕の悲劇2017
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外部リンク
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