上村愛子(うえむらあいこ)とは、日本を代表する女性モーグルスキーヤーである。
概要
幼少時代
出身は長野県白馬村と思われがちだが、兵庫県伊丹市である。幼少時代に父のペンション経営のために長野県長和町に移り住み、この時に近くにあったスキー場でスキーを始めた。(当時3歳)その数年後に別のペンションの経営のために現在の白馬村に移り住んだ。
小中学校では地元の学校に進学し、アルペンスキーを始めて、中学校ではスキー部に入部するが、いじめに遭い、すぐに退部した。その後は自主的にアルペンスキーの練習をしていた。
モーグルとの出会い
中学2年時にカナダへ旅行して、モーグルの世界大会を観戦した際、その時に滑っていたロシアのセルゲイ・シュツプレォフ選手の滑りに感動し、アルペンスキーからモーグルへ転向することを決心する。その後に滑った日本の里谷多英選手の滑りも観戦した。
高校へは長野県立白馬高等学校へ進学。中学以来、再びスキー部に進学し、全日本選手権などに参戦し3位入賞。この活躍が評価され、全日本スキー連盟のナショナルチームメンバーに選抜される。
長野から世界へ、オリンピックへ
高校1年生の時にワールドカップ最終戦のマイリンゲン大会に出場を果たし、これが世界大会デビューとなる。この大会で3位入賞といきなり好成績を叩き出し、頭角を現した。ちなみに男子大会優勝は坂本豪太選手で史上初の日本選手優勝と同時に史上初の男女アベック表彰台であった。
長野五輪
1998年、18歳の時に長野五輪に出場。オリンピックデビューとなる。好調な滑りを見せて7位入賞を果たす。この時の活躍や、ルックスなどでメディアに大きく取り上げられ、日本の代表的なウィンタースポーツ選手となった。同年3月に白馬高校を卒業し、北野建設に入社。現在も社員として活動している。
ソルトレーク五輪
4年後のソルトレーク五輪にも出場を果たし、決勝まで駒を進めたが、僅かにジャンプの着地が乱れてしまい、スピードが伸びずに6位入賞。同じく出場していた里谷多英選手は銅メダルを獲得する。
トリノ五輪
3回目の出場となるトリノ五輪では、当時女子選手では珍しかったモーグル最高難易度を誇る「コークスクリュー720」(縦回転しながら横回転するエア大技)を披露し、五輪出場メンバーで唯一成功するが5位入賞。メダルには届かなかった。
バンクーバー五輪
トリノ五輪後、フィンランドのヤンネ・ラハテラ氏をコーチとして師事し、ターン技術を大幅に改造して望んだバンクーバー五輪では予選5位で通過。決勝でも磨きをかけたターンで好調な滑りを見せ、2位に入ったが、後続の選手に次々上回られ、4位。メダル圏内にあと一歩及ばなかった。
ソチ五輪
バンクーバーの後、長期休養をして2013年にワールドカップと世界選手権に出場。3位、5位と好成績を残してソチ五輪出場が決定。
2014年2月6日に行われた予選では21.06点で7位にランクインし、一発で決勝進出。
決勝では一回目の滑りで9位となり2回目進出(12人勝ち抜け)、2回目ではギリギリの6位で3回目進出(6人勝ち抜け)。
迎えた決勝3回目、トップバッターとして登場し、第一エアはヘリコプター(横水平1回転)、第二エアでバックフリップ(縦後ろ1回転)を披露し、ターンもミスなく滑り、30.46秒の最速タイムを叩き出し20.66点を獲得。暫定1位となった。
だがしかし、後続のカナダのデュフーラポワント姉妹に上回られ、3位に後退。
カーニー選手は第一エアで披露したバックフリップの着地直後にターンが乱れ、なんとか修正したが所々でやや乱れた。第二エアではヘリコプター(?)を披露し、滑り終えたがタイムは31.04秒で上村より遅かった。
しかし、得点は上村より上の21.66点。これによってデュフーラポワント姉妹のメダルが確定し、カーニー選手は銅メダルを獲得。上村選手は4位に後退し、またもやメダルには一歩届かなかった。
なお、このインタビューでソチが最後の五輪になることを示唆した。
また、このカーニー選手の判定には、疑惑の判定としてTwitterなどで日本のみならず、世界中から非難が殺到している。
結婚
2009年にはアルペンスキーの皆川賢太郎選手と結婚し、バンクーバー五輪では夫婦そろって出場果たした。なお、結婚後でも、上村姓を名乗って選手登録をしている。
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