上条政繁単語

29件
ジョウジョウマサシゲ
2.1千文字の記事
  • 0
  • 0pt
掲示板へ

上条政繁(じょうじょう・まさしげ 1545? ~ 1643?)とは、戦国時代の越後の武将である。長尾上杉臣であり、上条上杉の当畠山義春(はたけやま・よしはる)は別名とも、別人(養子)ともいわれる。

概要

通称は弥五郎、号は宜順斎。

能登畠山氏の出身で、上杉謙信の養子を経て上条を継ぐも、のち後継者の上杉景勝と対立して上杉を出奔。実家である畠山姓に戻し畠山義春を名乗り江戸時代には旗本として取り立てられて能登畠山氏を復させた。

…という説がある一方で、上条政繁と畠山義春は子関係の別人であるとの説もある。政繁自身の出自についても諸説あり、何かとの多い人物。

江戸幕府が編纂した系図(寛政重修諸譜)では同一人物扱いなのだが、米沢上杉の系図では別人扱いとなっており、江戸時代の時点で既に情報が錯綜している。

生涯(一人説に則った場合)

能登畠山氏8代当である畠山義続の子。幼少の頃に上杉への人質に出されるが、そこで上杉謙信に気に入られて養子となった。のち、断絶していた上条上杉越後上杉氏の庶流)を継ぎ、上条政繁を名乗る。

1576年、謙信能登畠山氏を攻めた際には、彼を新たな当補として大義名分を得ている。ただし実際には畠山氏は滅亡・断絶し、彼が当となる事はかった。なお、この時に生き残っていた所を救出されて謙信養子となった、という説もあるが、この場合はもちろん直前の擁立話とは両立しないので注意。また翌年に謙信は死去するので、この説では養子となっていた期間はわずか1年ほどという事になる。

謙信の死(1577年)~1580年の間ごろに出して「宜順斎」と号した。御館の乱では上杉景勝の側について勝利に貢献。勝政権の中核の一人を担う…と思われたが、徐々に不和となり、1586年頃に越後を出奔する。

その後は秀吉直臣などを経て、徳川家康に接近。関ヶ原の戦いでは東軍に属している。複数の子がおり、次男・上杉長員(うえすぎ・ながかず)は上条上杉を、三男・畠山(はたけやま・よしざね)は能登畠山氏を相続し、どちらも高家旗本として存続する。長男米沢に仕えた。1643年に89歳の長寿で死去した。1625年とも。

親子説

近年は別人・子であるという説の方が有視されている。単純に言えば「出奔後は名したのではなく、子・畠山義春の事跡である」という話である。して宜順斎を号した後、再び上条五郎が登場しているという点から、この時期に世代交代が行われたというのが根拠。

親子説における上条政繁(1545 ~ ?)

初名は上条義(~かげよし)。出自については

…と諸説あるが、いずれにしよ上杉一族の出身であり、上条上杉を継いだ。謙信死後に宜順斎を号して、のち出奔するところは同じだが、その後は活動の記録がなく、死去したものと思われる。

親子説における畠山義春(1563? ~ 1643?)

一人説における能登畠山氏の部分。人質として送られたか七尾陥落時に保護されたかして、謙信養子を経て上条政繁の養子となった。上杉景勝姉妹を妻としている。

その後、に次ぐ形で上杉を出奔。後の流れは一人説の後半生とほぼ同じで、畠山姓に復し、秀吉家康配下を経て江戸幕府旗本の地位を得る。

なお、戦国大名としての能登畠山氏最後の当である畠山王丸(畠山の子)を義と同一人物とする説もあるが、これは「」の字が共通している為に混同してしまったものといわれる。王丸は謙信七尾攻めの最中にわずか6歳で病死している。

また畠山義続とされるが、彼は1566年に能登を追放されており、幼少の義が以後どのように過ごしていたのか、これまた不明。

関連動画

補足

信長の野望」(PCシリーズにおける上条政繁の力一覧。

シリーズでは一貫して一人説が採用されており、血筋設定は能登畠山氏。であるが何と言っても長寿命が魅。彼が出奔した後の時代を舞台にしたシナリオは少ないので、謙信死後に内紛で弱体化してしまった上杉では重な戦の一人。シナリオによっては能登畠山で元時期を迎える事もあり、戦不足な実家では更に重用される。

軍事 内政
戦国群雄伝(S2) 戦闘 67 政治 79 72 野望 73
武将風雲録(S1) 戦闘 63 政治 66 63 野望 67 教養 65
覇王 采配 63 戦闘 68 智謀 39 政治 66 野望 67
天翔記 戦才 152(A) 智才 118(B) 政才 132(B) 68 野望 68
将星 戦闘 74 智謀 69 政治 67
烈風 采配 60 戦闘 57 智謀 59 政治 62
世記 采配 50 智謀 49 政治 52 野望 50
蒼天録 統率 53 知略 44 政治 54
下創世 統率 54 知略 44 政治 54 教養 56
革新 統率 68 武勇 71 知略 49 政治 61
統率 68 武勇 71 知略 49 政治 61
創造 統率 66 武勇 68 知略 51 政治 60

関連商品

関連コミュニティ

関連項目

【スポンサーリンク】

  • 0
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

ニコニ広告で宣伝された記事

小春六花 (単) 記事と一緒に動画もおすすめ!
提供: ゲスト
もっと見る

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

上条政繁

1 ななしのよっしん
2016/04/25(月) 21:50:05 ID: INwXE3kFAd
謙信書状で畠山の妻三条殿とその息子七尾陥落時に謙信に保護され、息子謙信の養子に、三条殿は北条広の妻になっているはずだが、義三条殿息子となると王丸自身か、王丸のでなくてはおかしい。
だがそうすると、勝のを妻にするにはいくらなんでも幼すぎる。
謙信七尾陥落時に保護し養子にした「畠山息子」と勝の姉妹を妻にした「上条五郎畠山義春)」は別人と考えるべき。
謙信畠山氏の息子最低2人は養子にしていたのだと思われる。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
2 ななしのよっしん
2016/06/12(日) 23:16:31 ID: sJ8oOy5ox/
>>1
すると今度は七尾陥落時に保護された養子がその後どこに行ってしまったのかという新たながw
👍
高評価
0
👎
低評価
0
3 ななしのよっしん
2018/11/17(土) 17:01:58 ID: I049Y08+qB
天翔記能登畠山で出てくるとエースになれる

それまでちまちま臣の値を上げつつ土下座外交しながらの七尾内政で戦国の名が出来上がる

高が半端じゃないし商業値、兵質共に普通と悪くないので引きこもりプレイではなかなか最適な
臣一同智得がAなので遊佐の暗殺を算盤で伝授させると防御では無敵のおが出来上がる
天翔記仕様上籠時に入ってきた敵を殲滅すると技の使用がリロードされるのでほぼ無限に暗殺が出来る。

もっとも、上条が出てくる頃には敗のが出来上がっているがw
👍
高評価
0
👎
低評価
0
4 ななしのよっしん
2018/11/19(月) 21:46:40 ID: zJKwY3lnET
畠山義春の子も
次男の上杉員は1582年生まれなのに、三男の義は1579年生まれという矛盾がある。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
5 ななしのよっしん
2023/10/29(日) 22:48:15 ID: 09gRC/wpuO
それなりの生まれで大大名の養子を経て高家となる血筋でもわからん事ってあるもんなんだなあ。
👍
高評価
0
👎
低評価
0