中内功とは、スーパーマーケット「ダイエー」を創業した実業家である。
概要
1922年8月2日大阪府生まれ。2005年没。
薬局を営む家庭に生まれ、兵庫県立神戸商業高等学校を卒業後、まもなく軍隊に召集され、
フィリピンで終戦を迎える。
苦しい戦争体験は、その後のダイエーの創業や拡大に大きな影響を与えた。
復員後、神戸で薬局を開店し製薬事業にも参入するが、その後九州のスーパーマーケットの
開店に関わった際に「主婦の店」の名称を取得し、
1957年に医薬品や日用品・食品を販売するダイエー1号店「主婦の店・ダイエー薬局」を
大阪市旭区の千林駅前に開店する。
翌年には神戸三宮に2号店を開店し、その後も店舗数を増やすが、
価格はメーカーではなく小売店が決めるという価格破壊ともいえる流通革命を起こして、
有名な松下電器産業(現・パナソニック)との値引きを巡るダイエー・松下戦争も勃発した。
多くの消費者は安いほうがいいに決まっているので、
ダイエーはその後も成長を続け、1980年には小売業界初の売上高1兆円を突破する。
大企業との争いも辞さない中内は身内に対しても厳しく、彼が店舗を巡回すると売場には緊張が走り、
怒りを買ってモヤシを投げつけられた担当者もいるそうである。
良い商品を安く消費者に提供するという信念の元、
拡大を続けたダイエーグループはその後プロ野球球団「福岡ダイエーホークス」を持つまでに至ったが、
戦争での飢餓体験を持つ中内には人間不信の一面があり、経営を身内に委ね、
意に沿わない幹部たちを次々と放出した。
1989年には長男の中内潤を副社長に据えるが経営は次第に傾き、
2004年には産業再生機構の支援を受けることになる。
2015年にイオンの子会社となり、戦後の高度成長期と共に発展し、
最盛期には売上高3兆円超、従業員6万人以上を誇った中内帝国ともいうべきダイエーは
姿を消そうとしている。
典型的なカミナリ親父でもあった中内功は強い意志でダイエーグループを成長させたが、
時代の流れは彼にとって望む結果をもたらす事はなかった。
2001年にはダイエーを退任し、2005年9月19日に83歳で脳梗塞の為この世を去る。
退任後すべてのダイエー関連資産を整理したが、
彼が私財を投じて設立した流通科学大学では、今も学生たちがなりたい自分を発見すべく学んでいる。
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