中国国民党とは、過去においては中国全土(中華民国)を支配した一党独裁政党であり、現在は台湾(と福建省のごく一部など)における主要政党の一つである。
概要
起源は、孫文、汪兆銘らが清朝末期の1912年(宣統3年、中華民国元年)元日に中国大陸に樹立した中華民国の一党独裁政党である。(さらに遡れば1914年に孫文の亡命先であった日本・東京で結成された中国革命党が母体ともいえる。)
孫文の死後、名目的には中華民国の名の統一国家だが軍閥による群雄割拠状態の現状から真の国家統一樹立の為「北伐」という軍事行動を開始し、その間に蒋介石は上海クーデターと呼ばれる党内の中国共産党員の粛清(第一次国共合作の崩壊)や汪兆銘ら左派との対立などを経て南京に国民政府を樹立する。1937年の盧溝橋事件を発端とする日中戦争(支那事変)が開始されると対立していた中国共産党とも手を結び(第二次国共合作)ながら徹底抗戦を展開、南京が陥落すると重慶に拠点を移し日本軍による攻撃をしのぐ。
太平洋戦争での日本の敗戦後、旧満州国地域と台湾は国民党政府に返還され、日本軍は中国本土から撤退し、国民党政府は中国大陸と台湾の両地域を領土とした。しかし、1945年11月から国共内戦が再開されるが、ソビエト連邦政府が支援する共産党に対する劣勢を挽回できず、1949年10月1日には国民党政府は内戦に敗れ、台湾島に逃れた。このため、中国国民党の実質統治範囲は、建国以来の福建省(馬祖・金門)と、1945年の日本降伏後に連合国として統治していた台湾島一帯だけとなった。
台湾移転後も蒋介石による一党独裁下の与党として政権を担ってきたが、蒋介石死後に総統となった蒋経国が1987年に政党結成を解禁したことにより(党禁)、国民党一党独裁体制は終結した。そして、2000年の総統選挙で民進党の陳水扁に敗れて野党になり、2001年には立法院(議会)でも第二政党になったが、2008年に立法院第一党に返り咲くとともに、現党主席の馬英九が総統選挙に勝利し、8年ぶりに政権与党の座に復帰した。
二・二八事件
中国国民党支配下の台湾における、中国人と台湾人との衝突によって生じた大規模な虐殺事件。
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関連項目
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読み:チュウゴクコクミントウ
初版作成日: 10/09/07 13:01 ◆ 最終更新日: 12/02/01 21:20
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