(有)未来検索ブラジルが運営するあらゆる言葉についての記事を閲覧・編集したり、コメントをしたりするサイトです。

単語記事: 中日ドラゴンズ

編集
セントラルリーグ
中日ドラゴンズ
基本情報
創設 1936年
本拠地 ナゴヤドーム
優勝回数
リーグ優勝 9回
日本一 2回
アジアチャンピオン 1回
永久欠番
・10:服部受弘(1960年-)
・15:西沢夫(1959年-)
経歴
名古屋軍(1936年-1943年)
・産業軍(1944年)
・中部日本軍(1946年)
・中部日本ドラゴンズ(1947年)
中日ドラゴンズ(1948年-1950年)
名古屋ドラゴンズ(1951年- 1953年)
中日ドラゴンズ(1954年-)
プロ野球球団テンプレート

中日ドラゴンズとは、日本プロ野球セントラル・リーグの球団である。

本拠地はナゴヤドーム。現在の監督高木守道2012年~)。

概要

セ・リーグの強豪球団の一つで、東海地方一の球団ということもあり熱心なファンが多い。

あまり知らない人もいるようだが、昔は打撃を重視した攻撃的チームであった。現在でも”強打線”と呼ばれるのはその名残である。本拠地をナゴヤドームに移してからは、豊富な投手を擁する球団として、ほぼ毎年のように優勝戦線に絡んでくるチームである。

近年の戦績

2007年(78勝64敗2分、2位) 監督:落合博満

育成選手中村紀洋を獲得。

シーズンを通して上位をキープし、巨人阪神との三つとなる。レギュラーシーズン2位に終わったが、クライマックスシリーズ阪神巨人を無敗で制し、2年連続で日本シリーズ出場を決めた。

前年同様、日本シリーズでは北海道日本ハムファイターズと対戦し、4勝1敗で53年ぶりの日本一いた。「リーグ優勝をせずに日本シリーズを制した」初のチームとなった。

2008年(71勝68敗5分、3位) 監督:落合博満

前年度日本一となったドラゴンズは、移籍した福留孝介の代役としてFA宣言していた和田一浩西武ライオンズから獲得。2008年リーグ優勝、日本一の二つを期したシーズンとなった。

シーズン当初は防御率1点代の投手を擁して順調に勝ちを重ねた。しかし野手・投手ともに故障者が続出。またタイロン・ウッズが不振に陥り、序盤に積み重ねた勝ち越し数を取り崩す厳しい戦いを強いられる。

それでも決して低迷せず順位も上位をキープし続けたのは、持ち前の投手に裏付けられた地の強さをドラゴンズが有していたからに他ならない。それでも、北京オリンピックによる選手の離脱及びその影はあまりに大きく、一時は四位転落、負け越しという事態に陥った。

だが終わってみれば順位は3位のAクラス。結局は阪神タイガースに大きく負け越したのが最後にいた形になっただけで、その他巨人広島横浜には五分以上の戦いをしていたドラゴンズは二年連続のクライマックスシリーズ進出を果たす。その後のクライマックスシリーズファーストステージでは苦手阪神を、タイロン・ウッズ藤川球児から2点本塁打を放つなどして撃破する。

しかし、三年連続の日本シリーズ進出をしたが、セカンドステージでは巨人相手に善戦するも敗退。中日ドラゴンズ2008年シーズンは課題を多く残して終結した。

シーズン終了後、エース川上憲伸MLBアトランタ・ブレーブスへ、中村紀洋東北楽天ゴールデンイーグルスFA移籍、タイロン・ウッズが退団。野球浪人中の河原純一日本ハムを戦外となった小山桂司、そして、“ウッズの後釜”としてドミニカからトニ・ブランコを獲得。これが、翌年予想だにしないことに…。

2009年(81勝62敗1分、2位) 監督:落合博満

シーズンオフには川上憲伸MLB移籍),T・ウッズ(解雇),中村紀洋FA移籍)と言った級の選手の離脱により、開幕前には”もしかしたら久しぶりのBクラス2001年が最近)も有り得るかも”とも言われていた。そして、追い討ちをかけるかのように繁の開幕直後の1ヶの離脱があった。
だが、投手ではチェン川井雄太吉見一起河原純一と言った選手の活躍、野手では藤井淳志が大ブレイクしたこともあり、5月の半ば頃までは勝率五割弱程度と頑っていたほうである。

そして、5月半ば頃から丁度トニ・ブランコが絶好調となったこともあって、6月は13勝4敗、7月は17勝7敗と、すさまじい勝率をたたき出し、リーグ順位2位大躍進

8月9月も大苦戦していたイメージは強かったものの(実際、ブランコなどは不調であった)結局は8月:15勝10敗、9月:12勝14敗とそれほど悪い成績ではなかったりする。

だが、結果的には首位巨人相手に8勝16敗と負け越したのが大きくき、12ゲーム差の2位に終わり、CSでも第2ステージで1勝4敗と、巨人相手に苦戦した形であった。

また2009年シーズン終了をもって、ドラゴンズの一時代を築いた井上一樹立浪和義の2選手がファンから惜しまれつつ引退した。

2010年(79勝62敗3分、優勝) 監督:落合博満

昨年のブランコに続き、助っ人外ディオニス・セサルを獲得。しかしネルソンが実弾所持により逮捕され出場停止処分、更に開幕直前に荒木雅博が故障で離脱、昨年ブレイクした藤井の出遅れなど、2年連続となる不な幕開けとなった。  

序盤は先発が不振だったが、和田一浩,森野将彦中継ぎでは浅尾拓也,高橋聡文らが奮起し、そこそこ好調を維持していた。しかし5月以降は先発投手外国人助っ人の不振、井端弘和の離脱が大きくき、6月終了の時点で3位と苦戦を強いられたが、7月から向きが変わった。

野手では若手の堂上直倫をはじめ、堂上剛裕大島洋平野本圭岩崎達郎らが台頭。更に前半崩れかかっていた先発投手がついに復調し、7月16日から20日にかけてプロ野球新記録となる5試合連続完封勝利を記録。中継ぎも前半同様に好調を維持し、お得意の「守り勝つ野球」を前面に出せる試合が増えていった。

8月に入ると、今度は中堅~ベテラン勢である荒木小田幸平谷繁元信山本昌らが大奮起。上位2チームバテで失速する中、中日のみ好調をキープし9月初旬には総戦の末、遂に首位奪還に成功。 以降はそのまま首位を譲らず、一時期首位巨人につけられていた8ゲーム差をひっくり返す大逆転優勝を成し遂げた。

CSは初戦を勝ち抜いた巨人を相手に順調に勝ちを重ね、4勝1敗(内、首位アドバンテージによる1勝)という定した成績で勝利しCS制覇。

しかしこの勢いは日本シリーズまでは続かず、千葉ロッテには闘の末2勝4敗1分で破れ、悲願である完全優勝(ペナント-日本シリーズ制覇)は夢と終わった。

チーム防御率は12球団トップの3.29、ホーム勝率7割5分という鉄壁な「守り」を誇った反面、チーム打率が11位の.259、アウェー戦の借18、という貧弱な「攻め」が立つ、非常に両極端なシーズンであった。

シーズン終了後、セサル,二軍監督川相昌弘が退団。後任に井上一樹が就任した。

2011年(75勝59敗10分、優勝) 監督:落合博満

外国人としてジョエル・グスマンエンジェルベルト・ソトを獲得。また横浜ベイスターズを戦外になった佐伯貴弘代打の切り札として獲得。しかし、高橋聡文が開幕前に故障、吉見一起チェン・ウェインの両エースが開幕に間に合わず、マキシモ・ネルソンが開幕投手を務めたが、いきなり浅尾拓也が打たれてサヨナラ負けというまたしても不な幕開けでスタートした。

この年は、前年貧打のチームを牽引した森野将彦和田一浩が統一球の影か、揃って開幕から大不振に陥り、類を見ないほどの圧倒的貧打に苦しめられることになった。ただ点が取れないとかそういうレベルではなく、そもそも相手投手が誰であろうともヒットすらまともに出ないという有様で、実に無得点試合が22試合、1得点の試合が30試合という惨憺たる状態であった。チーム打率(.228)、総得点(419)ともに12球団最下位チーム首位打者が荒木雅博.263チーム打点王が和田一浩54打点と笑うに笑えない数字ばかりが並ぶ。

投手こそ吉見チェンが復帰、小林正人が左殺しとして活躍、浅尾が無敵セットアッパーとして君臨し、岩瀬も前半戦不調ながらセーブ日本記録を達成するなど、リーグトップチーム防御率で貫定感を誇ったものの、打線がこんな状態ではそうそう勝てるはずもなく、6月にはトニ・ブランコ谷繁元信が戦線離脱。我慢して使い続けたジョエル・グスマンは振るわず、平田良介小池正晃堂上剛裕らがアピールを見せたもののチーム状態を劇的に改善させるほどのは無く、7月終わり頃には借生活に突入。ヤクルトが独走する中、8月には5位まで沈み、ファンですらもうほぼ完全に諦めムードに入っていた。

しかし。8月半ばに繁が、8月終わりにブランコが復帰すると、チームはじわじわと上昇を始める。ブランコ繁の2人が4番・5番に座って、ここぞの場面で勝負強さを発揮。接戦に持ち込んで競り勝つといういつもの勝ちパターンが戻り、失速し始めたヤクルトを少しずつ追い上げはじめる。

だが、この追い上げムードを快く思わない者たちがいた。その正体はあろうことか、球団のフロントであった。もともと様々な事情から地元経済界での評判が良くない落合監督を辞めさせる機を伺っていたフロントは、首位ヤクルトに3.5ゲーム差と迫り、全勝すれば逆転首位という直接対決4連戦という王山の直前、9月22日落合監督の今季限りでの退任を突如発表する。表向きの理由は3年契約の満了と観客動員の伸び悩みだが、球場に客を呼ぶのは営業の仕事であって監督の仕事ではない。加えて外様のコーチたちも軒並みシーズン限りで解任、さらに坂井球団社長が敗戦時にガッツポーズをしていたという言まで現れる。

このチームを優勝させたくないとしか思えないフロントの妨の数々に、選手たちが発憤する。直接対決でヤクルトきのめし、10月6日についに単独首位に立つと、そのまま首位を譲らず、10月18日球団史上初のリーグ連覇を達成した。最大10ゲーム差をつけられながら、我慢して我慢してシーズン終盤に照準を合わせての大逆転優勝は、まさしく8年間の落合野球の集大成とも言うべきシーズンだった。ちなみにチーム打率・総得点が12球団ワーストでの優勝は史上初である。

劇的なシーズン制覇ののち、巨人1stステージで制した東京ヤクルトスワローズを迎えたクライマックスシリーズファイナルステージ、両チーム均得点は中日が2.2、ヤクルトが1.6と投手戦となる。中日が初戦をエース吉見で取り、アドバンテージを含む2勝とするも、2戦チェン、3戦を山井で落として2勝2敗のタイに持ち込まれる。ヤクルトエース館山が1stステージ1戦先発から中4日ファイナル2戦に抑えとして登セーブを挙げたその後中2日で先発するなど、まさに捨て身の特攻を仕掛ける。それに対し4戦川井の好投で勝利し日本シリーズ進出に王手をかけた中日は、5戦吉見が中3日で先発し、館山と熱戦を繰り広げる。最後は井端の2ランホームランで試合を決め、4勝2敗で因縁のライバルとの闘を制し突破する。

遂に迎えた日本シリーズ、圧倒的な強さで11球団に勝ち越す完全優勝を果たし、秋の風物詩も払拭した福岡ソフトバンクホークス突する。両者共にそれぞれのリーグを制したチームとして、周囲の期待も高まっていた。だがどうしても下評は「中日は1勝できれば御の字」という声が多く、ソフトバンクの圧倒的勝利かと思われた。

福岡で開幕した第1戦、中日吉見でもネルソンでもなく、チェンをマウンドに送る。この奇襲とも思える戦法にソフトバンク営は困惑。チェンは先取点こそ許すが、その後はって11奪三振の快投を見せる。打線は和田毅に対して7回途中までヒットすら打てない状況であったが、和田一浩HRを打ち1-1の同点に持ち込み、試合は延長戦へ。10回、馬原孝浩から小池正晃HRを打ち勝ち越し、2-1で初戦をものにする。 中日の1勝

第2戦も吉見内の息詰まる投手戦となる。試合が動いたのは7回、中日平田良介のあわやHRタイムリーで先制、ソフトバンクはその裏、川崎宗則タイムリーで同点、またもや延長へ。中日は10回、原から森野タイムリーで勝ち越し、最後は岩瀬が抑え、2-1で勝利、福岡で連勝し、2勝

名古屋に戻って摂ネルソンで迎えた第3戦、ソフトバンクは初回、松田タイムリーで1点、4回に多村の2ランHRで加点、8回には細川ソロHR中日は6回井端のセカンドゴロの間に1点、8回荒木の犠牲フライでもう1点返すも反撃及ばず、2-4で敗北、2勝1敗

第4戦はホールトン川井ソフトバンクは初回、小久保タイムリーで先制、松田セカンドゴロの間に2点を挙げる。中日は5回、荒木タイムリーで1点返すが、6回、無死満塁の絶好期に福から1点も取れず、そのまま2-1で敗戦、2勝2敗のタイとなる。

第5戦は山田チェンで始まるが、初回に小久保タイムリーで1点、7、8回に加点され、0-5でまさかの名古屋3連敗、王手をかけられる。

福岡に戻った第6戦、吉見和田毅先発。初回、中日和田一浩2点タイムリー三塁打で先制、吉見は4回に内川タイムリーで1点を返されるが、エースりを見せ、7回途中8奪三振の好投。その後は岩瀬、浅尾と繋ぐリレーで勝利、逆王手をかける。

運命の第7戦、先発は山井対内、ソフトバンクは3回、満塁から押し出し四球で先制、4回には川崎、7回は内川タイムリーで加点する。内は7回無失点に抑え、その後ファルケンボーグ福、摂リレーの前に中日打線は遂に尽き、敗戦、日本一の夢はわなかった。なお、シリーズ史上ワーストの7試合9得点、チーム打率.155と、最後まで貧打であった。

就任8年で全てAクラス入り、リーグ優勝4回、日本シリーズ進出5回、日本一1回と紛れもなく時代を築いた名将・落合博満は、悲願の「リーグ優勝からの日本一」だけは成し遂げられないまま、中日のユニフォームを脱ぐことになった。

浅尾拓也中継ぎ投手として史上初のMVPゴールデンラブを受賞。吉見一起が最優秀防御率、最多勝、最高勝率ベストナインを獲得。谷繁元信大島洋平ゴールデンラブを受賞した。

オフ落合監督以下首がほぼ刷新され、高木守道監督以下、中日OBだけで固めた営となった。楽天を戦外になった山崎武司ブレーブスから川上憲伸のOB2人を獲得。佐伯貴弘河原純一らが戦外となり、チェン・ウェインメジャー挑戦のため自由契約となりオリオールズへ移籍。小池正晃FAで古巣の横浜へ移籍し、小山桂司楽天銭トレードとなった。

特記事項

大百科に記事のある選手・首脳陣・関係者

首脳陣

選手

投手 捕手 内野手 外野手

球団スタッフ

OB・関係者

あ行 か行
さ行 た行
な行 は行
ま行 や行
ら行 わ行
  • ----

関連動画

携帯版URL:
http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E4%B8%AD%E6%97%A5%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%BA
ページ番号: 599200 リビジョン番号: 1538485
読み:チュウニチドラゴンズ
初版作成日: 08/09/27 14:48 ◆ 最終更新日: 12/05/26 01:50
編集内容についての説明/コメント: OBに前田幸長追加
記事編集 / 編集履歴を閲覧 /

中日ドラゴンズについて語るスレ

411 : ななしのよっしん :2012/05/05(土) 23:29:09 ID: 7XSyp1qAsH
>>409
こんなにすぐにお友達内閣になってたら無能ってレベルじゃないだろw

けど来年か、再来年かもっと後かは分からないけど
OBで固めるのが当たり前の事になっていったら
なあなあな雰囲気になって、仕事も今より中途半端にやりだすようにはなるだろうな
412 : ななしのよっしん :2012/05/07(月) 15:17:25 ID: wmnRqeK1+6
>>411
確かにそれもそうだww
落合の時はあまりにも外様で固めすぎだったけど、
今後のチーム編成がどうなっていくかはしっかり見守らなきゃいけないかな。

あと、>>408も言ってたけど、もっと後ろの投手は大事に使ってほしいかな
何だかんだ言って今までも後ろの投手に助けられてきたんだし、先発はもっと引っっていいんじゃないか?
投手に関しては、落合政権(というよりコーチ?)の方が采配が上手かったと思うわ

さすがに「優勝するのが当然」なんて思ってないから、
この調子でしっかり野手を育てていって欲しい。今のがいなくなっても大丈夫なように。
少なくとも去年、一昨年よりは、確実に点が取れるようになってきてる。
413 : ななしのよっしん :2012/05/10(木) 23:02:35 ID: S6+6xVBbxX
なんか高木投手のことコーチ任せにしてることにヤフコメ落合信者から批判が出てるけど、落合もそうじゃなかったけ?落合批判されてたのか?
414 : ななしのよっしん :2012/05/11(金) 02:22:50 ID: +FG9EDM9va
むしろオッチのが投手に関して放任してた
川崎を開幕投げさせるって事以外何も投手の事に口出ししてない位らしい

てか、批判するならコーチ任せとかじゃなくて連投回跨ぎの酷使だろうと
415 : ななしのよっしん :2012/05/11(金) 23:32:58 ID: hWY2qqCeoi
敗戦のインタでそのことを発言してるのが問題なんじゃね?
投手管理を一任するのは良いとしてもそのことに対する責任は取らんと
「知らん」だの「後は権藤がやる」だの他人事のようにってちゃあいかん
416 : ななしのよっしん :2012/05/12(土) 10:07:02 ID: S6+6xVBbxX
確かに最近は私の責任です(こいつを使った馬鹿だった、コーチに任せたのが失敗だった)って言う監督が流行ってるからなぁ・・・。
高木みたいなのはゆとりには受け入れられんかもね。
417 : ななしのよっしん :2012/05/13(日) 05:10:52 ID: Us9DZkmtfp
落合になってからの世代だからどうしてもあの責任感ないように見える高木には違和感を覚えるんだが
418 : ななしのよっしん :2012/05/15(火) 04:46:53 ID: HS/e+zsAW0
浅尾2軍か…まぁ、仕方ないねリフレッシュリフレッシュ。
419 : ななしのよっしん :2012/05/17(木) 23:21:00 ID: wmnRqeK1+6
浅尾だけならまだしも岩瀬までこうも勝ちを消してしまうとは…
まさか同時にガタが来るとは思わなかった。
後ろの投手が不調だとこんなに苦戦するのね。

打線の状態が例年になく良いだけに残念
後ろさえしっかりしていれば独走態勢に入れたかもしれないけど、
そう上手くはいかないもんだね
420 : ななしのよっしん :2012/05/18(金) 18:01:50 ID: wmnRqeK1+6
後でもう一回見直して、
さすがに独走は無いか、と思い直した
ページトップへ戻る