概要
中村鴈治郎を父に持つ、歌舞伎界の名門から生まれた大女優。夫も大映の二枚看板が一枚であった勝新太郎と、役者として生まれるべくして生まれた女性である。林玉緒の名前で1953年に銀幕デビューを飾るも、当初は泣かず飛ばずの日々であった。大映に入社しても変わらず、娘役で出演した作品はどれも売れるきっかけにはならなかった。
しかし、1970年代に脇役を演じるようになってからは事態が好転し始める。この頃までに鍛えた演技力を使い、右に出るものがいないと言わしめるほどの不幸な母親を演じたことで業界内外の評価へとつなげたのだ。さらに、プライベートでは勝関係で痛い目に遭うなど、リアルでも不幸な母親だったこともあり(でも家庭自体は円満)、女優として徐々に評価を高めていくことになる。そんな奥村家では唯一、逮捕歴が無いのが彼女だったりする(子供や夫はクスリで逮捕)。
そんな彼女も1994年に『明石家多国籍軍』などで見せた天然ぶりが好評となり、現在のほがらかなコメンテーターとしてのポジションも獲得するようになる。さらにはパチンコ好きとして、おおらかにパチンコを打つ姿をカメラに収めたられたこともある。
主なエピソード
- 実は玉緒さん、しゃぶしゃぶのことをしゃぶと略して呼んでいたことがある。当然、白いクスリの方を連想した同業者が怒ったのは言うまでもない。
- 親バカである。舞台で息子との共演した際、出番が少ないからと言って脚本を書き直したほど。
- バラエティ番組に出るようになったのは病床に伏せている勝を励ますためであった。
- 「手にキスを受けた記録」(87回 / 分)のギネス記録保持者
- 現在も勝が残した借金を返済中。その為、「さんまのSUPERからくりTV」のロケ中にサラ金の広告で立ち止まることも。
- 携帯電話の着信音が鳴ると驚き、なかなか電話が取れないという困った癖がある。その為、プライベートで仲の良い人をやきもきさせることも。厄介なことに、パチンコ中以外にも発動する。
- さんまとバラエティで共演し始めたときのエピソード。勝がさんまに「共演者を抱けるくらい好きになってバラエティーをつくれ」と言い残し、さんまと玉緒が二人きりの状態で去っていった。すかさす玉緒がこういった。「で、どうしまひょ?」
- 第一期「たまごっち」ブームの頃、一発当たった製品の常として様々な亜種が作られたが、何と「中村玉緒を育成する」と称して「玉緒っち」が発売された。しかも、当商品はパチモノではない。どういうことかというと「中村玉緒とバンダイの正式ライセンスを受けて」製造販売された正規品である。1998年2月発売。しかも恐ろしいことに、発売15年経った今でも購入可能らしい。
- パチンコ好きはあまりにも有名。10数年程前には自身の名前を冠したパチンコ台も登場している。休日には開店前に並ぶほど熱中している。現在75歳とかなりの高齢であるが、年齢の割に健在なのは、パチンコのおかげなのかもしれない。
関連動画
関連商品
関連項目
- 0
- 0pt