久保建英単語

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久保建英 (くぼ たけふさ、2001年6月4日 - )とは、日本プロサッカー選手である。
スペインラ・リーガレアル・ソシエダ所属。サッカー日本代表

173cm67kg。ポジションはFW、MF。利き足は左足。称は「タケ(TAKE)」。

概要

神奈川県川崎市出身。小学生の頃からスペインの名門FCバルセロナの下部組織(カンテラ)で育ち、「日本至宝」と称されるほど、幼い頃から将来の日本代表エースとして期待されてきた逸材である。

バルセロナ規約違反15歳のときに一度日本へ戻るが、18歳になった2019年6月バルセロナライバルチームであるレアル・マドリード契約。その後、マジルカビジャレアル、ヘタフェとラ・リーガクラブレンタル移籍した後、レアル・ソシエダ全移籍。
レアル・ソシエダに移籍後、才が開しており、これまで日本人にとって門になっていたラ・リーガチームの年間最優秀選手海外メディアが選ぶシーズンベストイレブンに選出されるなど現地でも高く評価され、クラブを10年ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ出場に導いている。

2024年1月の時点での市場価値はアジア人選手のトップとなる6000万ユーロ(約97億円)とされている。

日本代表には2019年18歳デビューし、2022 FIFAワールドカップにも出場したが、なかなか立った結果を残せずにいた。それでも2023年ではソシエダで見せているハイレベルプレーを披露するようになり、代表のに定着。

攻撃的な二列ポジションであればどこでもこなすことができるが、もっとも得意としているのは右のウイング。また、幼い頃からスペインで育ったことからスペイン語カタルーニャ語完璧に話すことができ、現地の文化習も理解できている。

経歴

生い立ち

2001年長男として生まれ、6年後に生まれたもいる4人家族で育つ。父親ミサワホームの総務部長で、筑波大学サッカー部に在籍した経歴を持つ。両長男であるものの次男のように育てるという方針を持ち、自分の気持ちをストレートに表現できる子に育てようと考えていた。

ボールを蹴り始めたのは2歳のときで、近所の公園父親と一緒に毎1時間弱サッカー練習を始めるようになる。

3歳になった2004年父親コーチとして参加していた坂サッカークラブへ入団し、本格的にサッカーを始める。

小学1年生で地元川崎市麻生区にある「FCパーシモン」に入団。1年生最初の招待試合で優勝し、優秀選手にも選ばれ、すでに非な才を見せていた。

2009年小学2年生のときに横浜で開催されたFCバルセロナキャンプに参加し、MVPに選ばれる。翌年4月FCバルセロナスクールの一員として選ばれ、ベルギー開催のソデクソ・ヨーロピアカップに参加。チームは3位だったにもかわらずMVPに選ばれる。この頃から一部メディアの間では、天才少年として取り上げられていた。

小学3年生のときに川崎フロンターレの下部組織に入団。当初はU-10チームに所属していたが、小学4年生になったばかりの頃には、2学年飛び級であるU-12チームの試合に出場している。

バルセロナ下部組織

2011年8月FCバルセロナの下部組織カンテラの入団テストに合格。地元カタルーニャ出身で尚且つ13歳以上の入団条件でありながら、弱冠9歳の外出身選手として特例中の特例で11歳以下のアレビンCに入団し、ラ・マシアで英才教育を受けることになる。

すると、U-11のリーグ戦年間30試合で74得点記録し、得点王にく。2013-14シーズン地中海カップU-12トーナメントにおいて大会得点王とMVPく。2013年には、バルセロナの一員として来日し、U-12の大会に出場している。バルセロナカンテラで中心選手として君臨する日本人の存在は、日本サッカーファンの間でも将来の日本希望として注されるようになり、スペイン内でも将来のバルセロナエース補として期待される存在となる。

2014-15シーズン14歳以下のインファティルAに所属するが、外国人補強問題でFCバルセロナFIFAから罰則を受けた事で、公式試合に出場できなくなり退団することに。

FC東京

2015年3月日本へ帰し、FC東京の下部組織に入団。古巣川崎含め複数のクラブで争奪戦となったが、マスコミをシャットアウトプレーに集中できる環境が決め手となった。

2016年中学3年生ながらFC東京U-18に飛び級で昇格。8月日本クラブユース選手権では、大会史上初となる中学3年生での得点王にき、チーム優勝に貢献している。9月には、FC東京トップチームに2種登録される[1]中学生Jリーガーとなった。同年11月5日J3第28節長野パルセイロ戦でゴールを決め、Jリーグ史上最年少得点記録を塗り替える。

2017年11月1日FC東京プロ契約を交わし、正式にトップチームへ昇格。11月26日J1第33節サンフレッチェ広島戦で途中出場し、J1デビューを果たす。しかし、長谷川健太監督が守備時の運動量を要したこともあってJ1リーグではなかなか出場の機会が与えられず、J3リーグでの出場が戦場となっていた。

2018年トップチームベンチ入りすら果たせず、J3での出場がメインだった事に危機感を募らせ自ら期限付き移籍を志願し、同年8月15日横浜F・マリノスへ期限付き移籍。8月25日J1第24節ヴィッセル神戸戦にてJ1ゴールを決める。しかし、マリノスが残留争いを繰り広げるなか出場機会を徐々に失い僅か5試合の出場に留まった。

2019年に期限付き移籍が満了しFC東京へ復帰。開幕戦川崎フロンターレ戦にてスタメンとなり、4月10日秩父ラグビー場で行われたYBCルヴァンカップグループステージサガン鳥栖戦においてFKでシーズンゴールを上げる。その後5月12日ジュビロ磐田戦でリーグシーズンゴールを上げる。に4-4-2の右サイドハーフ戦場プレーし、リーグ戦13試合で4ゴール記録チーム5月の中断期間の時点において首位に押し上げる活躍を見せた。

レアル・マドリード→マジョルカ

2019年6月14日、古巣であるバルセロナからもオファーを受けたが、条件面で上回っていたレアル・マドリードに5年契約全移籍することが発表された。1年はBチームであるカスティージャでプレーすることになっていたが、ジネディーヌ・ジダン監督から才を買われてトップチームのプレシーズンツアーに帯同。同年8月22日トップリーグでのプレー希望したこともあり、プリメーラ・ディビジオンに所属するRCDマジルカへの期限付き移籍が決定。

2019年9月3日ラ・リーガ第3節バレンシア戦において途中出場で待望のリーガデビューを果たし、第13節のビジャレアル戦では後半8分にラ・リーガでの初ゴールを決める。しかし、降格圏に低迷するチームの中で守備での貢献度の低さが問題となり、チームトップの技術を持ちながらなかなかスタメンで起用されない時期が続く。それでも、2020年2月9日の第25節ベティス戦で6試合ぶりにスタメンで起用されると、1得点1アシストを含むチームの全3得点に絡む大活躍を見せる。これがきっかけでレギュラーに復帰。新型コロナウィルスによる中断明けとなった6月13日には、古巣であるバルセロナと対戦。チームは0-4で敗れた中で1人躍動し、強存在感を見せる。以降、攻撃の中心として君臨し、2020年7月1日セルタ・デ・ビーゴ戦では2アシストを含む4ゴールに絡む圧巻のプレーを見せる。チームは1年でセグンダ・ディビジオン(2部)に降格となったが、個人としては結果を残し、飛躍のシーズンとなった。UEFA公式サイトによるラ・リーガの「ブレイクイレブン」に選出されるなど、その活躍ぶりは内外から注を浴びる。

ビジャレアル

保有先のレアル・マドリードは、引き続きレンタルで経験を積ませようと考え、スペイン内外の多数のチームが獲得のオファーを出し、移籍先が注された中、2020年8月10日ラ・リーガビジャレアルCFへのレンタル移籍が決定。レンタル料は3億円をビジャレアルが支払うことになり、契約が成立した背景にはウナイ・エメリ監督が直接会談するなど獲得に意欲的だったことがあげられている。

2020-2021シーズンラ・リーガでは開幕から5試合連続でスタメンを外れ、いずれも出場時間が10分未満と出場機会を得られない日々が続く。10月18日ラ・リーガ第6節バレンシア戦では、後半19分から出場し決勝ゴールを演出するが、2度の警告を受けて退場となる。しかし、2度の警告に対してビジャレアル側が異議を申し立てた結果、警告が取り消しとなり、出場停止処分が撤回される。10月22日のUFEAヨーロッパリーググループステージ第1節シバポル戦で移籍後初スタメンを飾ると、移籍後初ゴールに加え、2アシスト大車輪の活躍を見せ、勝利に貢献する。だが、ラ・リーガではスタメンで起用された試合はわずか2試合にとどまるなど満足な出場機会が得られず、保有元であるレアル・マドリード側の意向もあって2021年1月レンタル契約を打ち切ることとなる。

ヘタフェ

2021年1月8日ラ・リーガのヘタフCFへの期限付き移籍が発表される。契約は2020-2021シーズン終了までの半年間。背番号は「5」。加入からわずか3日後の1月11日チーム練習に参加できないぶっつけ本番ながらも後半19分から起用され、2得点を演出する働きによって勝利に貢献する。しかし、ここでもビジャレアル時代と同じく守備の強度不足と戦術がプレースタイルに合わないことが問題となり、出場機会に恵まれない日々が続くようになる。それでも、5月16日ラ・リーガ第37節レバンテ戦で後半30分から出場すると、シーズンゴールとなる決勝ゴールを決め、チームラ・リーガ残留が決まる値千の勝ち点3をもたらす。

マジョルカ復帰

2021年8月11日、1部に昇格したRCDマジルカに再びレンタル移籍することが発表される。チーム合流からわずか3日で試合に出場し、として重要視されていたが、9月22日ラ・リーガ第6節保有先のレアル・マドリード戦で膝を負傷して前半で交代。当初は全治1かとされていたが、その後当初の見立てよりも重症であることが発覚する。11月27日のヘタフェ戦で20分間プレーし復帰。復帰2試合となったラ・リーガ第16節アトレティコ・マドリード戦では試合終了間際にシーズンゴールとなる劇的な逆転ゴールを決め、チームに8試合ぶりとなる勝利をもたらしている。復帰後はフィジカル面が向上し、課題だった守備で成長が見られたが、得点アシストが伸びずにいた。チームが降格の危機に直面したことで2022年3月24日元日本代表監督でもあるハビエル・アギーレ監督に就任するとスタメンから外れることが多くなる。結局マジルカは最終節で残留を果たしたが、自身は1得点0アシストに終わる厳しいシーズンとなり、市場価値も2年前から大きく下落する。

レアル・ソシエダ

2022年7月19日スペイン ラ・リーガレアル・ソシエダ全移籍することが発表される。契約は5年、背番号は「14」。当初、レアル・マドリードレンタルでの移籍以外は認めない方針だったため交渉が難航していたが、久保本人がソシエダへの全移籍を希望したことから、レアル・マドリードが買い戻すことが可50%の保有権を保持することで交渉が成立した。

プレシーズンでのアピールに成功し、8月14日ラ・リーガ開幕戦カディス戦にスタメンとして出場。2トップの一での起用となったが、前半24分に先制ゴールを決めるなど高いパフォーマンスを披露し勝利に貢献。リーガ公式MOMに選出され、リーガ公式の開幕戦ベスト11に選出されるなど、最高の新地でのデビューとなる。9月18日の第6節エスパニョール戦では、21歳3かラ・リーガ100試合出場を達成。この試合で公式戦2試合連続となるアシスト記録している。10月2日ラ・リーガ第7節ジローナ戦では1ゴール1アシストの活躍で勝利に貢献。初のバスクダービーとなった2023年1月14日の第17節アスレティック・ビルバオ戦ではチームの追加点を奪うのみならず、ダメ押しとなるPKを獲得する大活躍ぶりで公式戦7連勝をもたらし、MOMにも選ばれる。また、2月にはダビド・シルバが負傷離脱した中で攻撃の中心として躍動し、リーグ戦3試合連続でMOMを獲得する。4月8日のバリャドリード戦では、シーズン6ゴールを決め、乾貴士の持っていたラ・リーガにおける日本人シーズン最多得点記録更新する。5月2日には古巣であるレアル・マドリードを相手に先制ゴールを決め、チーム勝利に貢献。1年間中心選手として躍動し、公式戦9ゴール6アシストの成績を残し、チームを10年ぶりのUEFAチャンピオンズリーグ出場へと導く。リーグ最多となるシーズン通算9回のMOMに選ばれており、ムンド・デポルティーボなど複数のメディアラ・リーガシーズンベストイレブンに選出。さらには、クラブの年間最優秀選手に選出され、まさに飛躍のシーズンとなった。
シーズンオフには、サウジアラビアから巨額のオファーを受けたもののこれを断り、ソシエダに残留する。

2023-24シーズンダビド・シルバが怪のために現役を引退することになりさらに責任が圧し掛かるシーズンとなったが、2023年8月12日ラ・リーガ開幕戦では前半5分で先制ゴールを決め、MOMにも選出される。9月2日の第4節グラナダCF戦では、前半に2ゴールを決めるなど4得点に絡む大活躍でチームシーズン勝利をもたらす。リーガでは初のドブレーテ達成であり、開幕から4試合連続でMOM選出という快挙も成し遂げる。9月は5試合で4ゴールを挙げるなどハイパフォーマンスを披露し、日本人としては初となるラ・リーガ最優秀選手に選出される。相手からの執拗なマークCL・代表による過密日程に苦しみながらも12月9日の第16節ビジャレアル戦では1ゴール1アシストを含む3ゴール全てに絡む大活躍を見せる。久保のドリブルラ・リーガのDFをもってしてもファウルをしなければ止められなくなっており、その弊として暴力的なファウルを受け、自ら警を鳴らすコメントを発している。アジアカップ参加から復帰したばかりの2024年2月12日にはクラブとの契約2029年6月まで延長。

日本代表

2016年9月インドで開催されたAFCU-16アジア選手権2016U-16日本代表として出場。同年代の選手とべてすでに別格といえるレベルプレーを披露し、グループリーグ最初の2試合で連続2ゴールを決める。準決勝までの5試合中4試合に出場し、U-17ワールドカップ出場権獲得に貢献。11月には、15歳中学3年生)でアルゼンチン遠征をおこなうU-19サッカー日本代表飛び級で選出。史上初となる中学生でのU-19代表メンバー入りを果たす。

2017年5月には、韓国で開催された2017 FIFA U-20ワールドカップに出場するU-20日本代表メンバー15歳で選出される。グループリーグ初戦の南アフリカ戦に途中から出場すると、堂安律の逆転ゴールアシスト。また、第2戦のウルグアイ戦とラウンド16のベネズエラ戦に途中出場している。また、9月にはインドで開催された2017 FIFA U-17ワールドカップメンバーに選ばれ、1年で2つの世代別のワールドカップを戦うこととなる。6点を奪って大勝したグループリーグ初戦のホンジュラス戦では1ゴール1アシストの活躍。攻撃の軸としてチームを牽引し、ラウンド16ではこの大会で優勝したイングランド相手に善戦するが、PK戦の末に敗れている。

2018年10月には、インドネシアで開催されたAFCU-19アジア選手権2018U-19日本代表として出場。グループリーグ初戦の北朝鮮戦では、直接フリーキックを決めて勝利に貢献。準決勝でサウジアラビアに敗れたものの、U-20ワールドカップ出場権獲得に貢献。しかし、翌年のU-20ワールドカップには、コパ・アメリカ出場を優先させるため、出場が見送られた。

2019年キリンチャレンジカップにてA代表に飛び級招集され、6月15日に開催するコパアメリカ日本代表メンバーにも選出された。6月9日に開催されたエルサルバドルとの善試合において後半22分から出場してA代表デビューを果たし、コパ・アメリカでは全3試合に出場。グループステージ敗退に終わったが、久保自身のプレー海外メディアから高く評価された。2020年10月13日おこなわれたコートジボワール戦では、久々にスタメンで出場するが精を欠き、後半16分で交代となる。

2021年3月には東京オリンピックU-24代表に選出され、U-24アルゼンチン代表との2連戦にいずれもトップ下としてスタメンで出場。3月29日の第2戦ではコーナーキックから板倉滉ゴールを2度アシストし、強相手に3-0で勝利した立役者となる。6月12日おこなわれたジャマイカとの善試合では、右足からカットインしながらDF4人の股の下を通す圧巻のゴールを決めている。

2021年7月開催の東京オリンピック本大会のメンバーにも順当に選出。なお、オリンピック本大会前の善試合では背番号「11」と付けていたが、メンバー発表後は背番号「7」に変更されている。7月22日グループステージ初戦の南アフリカ戦では0-0で迎えた後半26分に値千の決勝ゴールを決め、日本勝利に導いている。第2戦のメキシコ戦でも前半6分に2試合連続となる先制ゴールを決めている。さらに第3戦のフランス戦でも3試合連続で先制ゴールを決め、日本の3戦全勝でのグループリーグ突破に貢献する。決勝トーナメントに入ってからも厳しいマークと連戦の疲労を抱えながら攻撃を牽引したが、スペインメキシコに敗れメダル獲得はならず。メキシコ戦後、「サッカーをやっていてこんな悔しいことはない」と人をはばからず悔しを流した。

2022 FIFAワールドカップ アジア最終予選では敵地での中国戦でスタメン出場するが、ラ・リーガでの怪で離脱している間に日本トップ下を置かないフォーメーションに変更したうえに右WGの伊東純也が大活躍を見せたことで控えとなり、重要な2022年2月サウジアラビア戦、3月オーストラリア戦では出場機会が与えられなかった。所属クラブで結果を残せないこともあり、メディアファンから不要論も出始める中、6月10日ガーナ戦で代表17試合にして待望の初ゴールを決める。

レアル・ソシエダ移籍後の活躍が認められ、2022年11月カタールで開催された2022 FIFAワールドカップメンバーに選出される。26人の中で最年少ながらグループリーグ初戦のドイツ戦とスペイン戦の2試合に左サイドハーフとしてスタメンで出場。しかしチームが劣勢に立たされる時間帯で守備のタスクを十分こなしていたものの、本来の攻撃面での持ち味は発揮できず、2試合とも前半45分で交代となった。ラウンド16のクロアチア戦は体調不良のため欠場となり、悔しさの残る初のワールドカップとなった。

2023年6月15日エルサルバドル戦では1ゴール2アシストの活躍を見せる。9月9日ドイツ戦では15分間の短い出場時間ながらも2アシストの活躍を見せる。10月11月の代表戦ではトップ下で起用されるようになり、チームの中での存在感を見せるようになる。11月21日2026 FIFAワールドカップ アジア二次予選のシリア戦では圧巻のミドルシュートで先制ゴールを決め、代表での公式戦初ゴール記録する。

2024年1月カタールで開催されたAFCアジアカップ2023では、直前に左太ももを負傷したもあって初戦のベトナム戦は後半39分からの出場となるが、投入されてすぐに上田綺世ゴールアシストする。第2戦以降はトップ下(右IH)でスタメンで起用され続け、ラウンド16のバーレーン戦では大会初ゴールマークする。しかしいずれの試合も試合中盤で途中交代となり、チームも準々決勝のイラン戦で敗退。ワールドカップのときと同様に消化不良感の残る大会となった。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2016 FC東京U-23 J3リーグ 3 0
2017 FC東京U-23 J3リーグ 21 2
FC東京 J1リーグ 2 0
2018 FC東京 J1リーグ 4 0
横浜F・マリノス(loan) J1リーグ 5 1
2019 FC東京 J1リーグ 13 4
2019-20 マジルカ(loan) ラ・リーガ 35 4
2020-21 ビジャレアル(loan) ラ・リーガ 13 0
タフェ(loan) ラ・リーガ 18 1
2021-22 マジルカ(loan) ラ・リーガ 28 1
2022-23 レアル・ソシエダ ラ・リーガ 35 9
2023-24 レアル・ソシエダ ラ・リーガ

プレースタイル

ドリブル突破、キック精度、パスセンス、高いテクニックを引くが、導者や評論家からはゲームメイクと視野の広さを高く評価されている。バルセロナの下部組織出身らしくボールを持ったときに首振りを何度もおこない、敵と味方の位置を確認しながらプレー選択肢を考えるプレーが特徴的である。

ドリブルの際は、ボールを懐に入れることで相手に間合いに入らせないようにし、相手が奪いにきたら細かいタッチでかわし、来なければそのまま運んでゴールへと近づく。また、常に前を向いておくことで視野を確保することが可となり、相手の出方や味方の動きを観察できる状態を維持している。そのため、味方の動き出しに合わせてパスを出すことができる。

レスキックも得意としており、FKからの直接ゴールを狙うこともできる。ボール技術の高さから正確にコントロールしたシュートをもっとも得意としているが、パワー系の強いシュートも放つことができ、距離のある位置でもに飛ばすことができる。右ウイングプレーする際は、カットインから個人技で左足のシュートを決めるのが得意な形となっている。

一方、フィジカル面では課題を抱えており、チームが守勢に回ったときに存在感が薄くなる傾向があった。だが、ヘタフェやマジルカにぶち当たっていた時期に守備が大きく向上。特に前線からのコースを切る守備は世界でもトップクラスの技術を持っている。フィジカル面もソシエダ加入後は大幅に強化されており、当たり負けのしない強な体を手にしている。

そのプレースタイルから「左利きイニエスタ」とも称される。スペインジャーナリストであるヘスス・スアレス氏は、ワールドサッカーダイジェストコラムにおいてダビド・シルバに似たプレースタイルであるとっている。特にダビド・シルバとはソシエダ移籍1年のときにチームメイトになっており、大きなを受けている。また、本人はす究極形としてベルナルド・シウバ名前を挙げている。

エピソード・人物

久保の非な才は、幼少の頃の両の英才教育の賜物であると言われ、2歳頃は足裏の感覚を養わせるために公園で遊ぶときははだしで歩いていた。幼稚園児の頃は、外遊びをさせるためにおもちゃを置かないようにし、絵本をたくさん読み聞かせることで想像と考えるを養わせている。

バルセロナで活躍していた幼少期の頃から注されていたため、マスコミファンから長年「久保くん」と呼ばれることが多かった。これに対し、プロ契約した後に「これからは久保くんじゃなく、久保建英でお願いします」とマスコミに呼びかけている。

レアル・マドリード移籍が決まった後の試合後、壮行セレモニーがおこなわれたが、このときFC東京サポーターだけではなく、この試合の対戦相手であり1年前のレンタル先でもあった横浜F・マリノスサポーターにも感謝の言葉を述べている。

実はかなりの陽キャであり、ゴールを決めた際はチームメイトリクエストに応えたユニークゴールパフォーマンスを披露している。日本代表チームメイトからも「よく喋る、ずっと騒いでいる」と評されている。ビジャレアルに加入した際は、チームメイトの前で「ドラえもんのうた」を熱唱している。

スペインで長く過ごしていることもあって物事をはっきりと発言するタイプであり、通常日本人が言いづらいことも堂々と話す。ただ謙虚さを好む日本人の感覚に合わず、発言が一部で物議を醸すことがある。

2022年7月にはWOWOWの番組で中村俊輔との対談が実現。その際に直々にフリーキックの蹴り方を伝授されている。

2023年6月20日日本代表ペルー代表の善試合の試合後に、足の怪の治療のためにドクターに診てもらおうとした際に交換したペルーの選手のユニフォームを思わず投げ捨ててしまう。久保はすぐに謝罪の言葉をSNSで述べたが、ペルー人から誹謗中傷コメントが寄せられ、炎上騒ぎになってしまう。

6歳下のである久保史もサッカー選手であり、横浜F・マリノスジュニアユースを経て現在レアル・ソシエダの下部組織に在籍している。また、従妹久保陸上選手として活躍しており、高校1年生にして全高校総体の800mで優勝している。

関連動画

関連書籍

関連項目

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脚注

  1. *同一クラブユースチームに登録されている選手でも、Jリーグ公式戦に出場が可となり、
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久保建英

67 ななしのよっしん
2023/05/24(水) 19:40:57 ID: cbT/QjuOcN
テレビあまり見ないから聞いた話だけど、久保の活躍が地上波スポーツニュースでは全く取り上げられてないとか
21歳でラ・リーガで二桁得点間近なんてけっこうな快挙のはずなのにな。それ以外のプレー内容が本当は凄いんだけど、日本メディアにはそこまではめない
WBCの効果もあって世間の関心が大谷浪、ヌートバーなのは分かるが、もうちょっと取り上げてくれてもいいのになとは思う
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68 ななしのよっしん
2023/06/10(土) 16:46:48 ID: DetaifgH0l
ガチれば羽生結弦藤井聡太も余裕だからな
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69 ななしのよっしん
2023/06/10(土) 16:52:33 ID: 8u1riH4n3V
羽生くんとはいい勝負できそうだけど、ブレイン藤井くんに蹴りでの格闘戦はそら余裕だろうな。当然パワーにも差があるし
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70 ななしのよっしん
2023/06/24(土) 00:11:05 ID: XHeQ1Zx2FW
「愚かな行為。彼の態度は傲慢で幼稚」久保建英が謝罪した“ユニ放置”にペルー連盟幹部が憤慨「日本文化を表わしていない」
https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=134031exit
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71 ななしのよっしん
2023/07/02(日) 13:03:16 ID: cbT/QjuOcN
日本国内より海外のほうが評価が高いんだよなあ
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72 ななしのよっしん
2023/09/11(月) 00:19:43 ID: ic5j09RvFe
今回のドイツ戦はちょっとしか出てないけど2アシスト
クラブも代表もW杯終わってから調子良いね
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73 ななしのよっしん
2023/12/23(土) 10:58:39 ID: cbT/QjuOcN
カディスのDFの久保に対する腹パンハンマー投げ流石にあり得んわ。にヒビ入ったかもって言ってるし
あと、に手を入れて止めようとしたシーンもあったでしょ。一歩間違ったら失明してる怖いプレーだぞ
元々カディスってラフプレー上等の荒いチームだけど、あれを許容してるラ・リーガどうかしてるわ
日本サッカーファンの中にもフィジカルが弱いからなんて久保批判してるバカそれなりにいることに驚いた。あんなのフィジカルどうこうって次元じゃないわ
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74 ななしのよっしん
2024/01/15(月) 21:38:25 ID: cbT/QjuOcN
後半から入ったときのオーラが凄まじいものがあったな。実際、投入されてすぐにアシスト決めたし
ベトナム人には、2014年ワールドカップドログバが出てきたときに日本人が味わった恐怖に近いものがあったのでは?
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75 ななしのよっしん
2024/02/04(日) 16:02:02 ID: cbT/QjuOcN
なんで保さんからあんなに雑に扱われてるんだ?
本来なら代表の役になるべき選手なのに、監督自らそれを阻止しているように見えてしまう
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76 ななしのよっしん
2024/02/19(月) 22:28:38 ID: 3HbNBpN+7P
マジルカ戦で決めたみたいな振りの速いシュートってここ最近得意技になってるよな
いつぞやに佐藤寿人から教わったのってあれか?
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