「予定調和」とは、
- ドイツの哲学者ライプニッツが提唱した概念。予定調和説(pre-established harmony)のこと。
神が各モナド間にあらかじめ定めておいた調和により、世界の秩序が保たれているとする説。
→モナド論 - 予定論、予定説(praedestinatio)の誤用。予定論はキリスト教の神学思想のひとつ。
神によって救済される者とされない者はあらかじめ決まっていて、この世で行ったことではその結末は変えられないとする説。
善人は最初から善人で、悪人はどんなに善行を積んでも決して善人にはなることができないという考え方。 - 予想通りの結末になること。
意外性がないことを例える俗語で、今日では否定的な意味合いで使われることが多い。
現代日本で広く用いられているが、1や2の意味から転じたものだと思われる。
しかし、3の意味は、日本国内でしか通じないため注意が必要である。
3の概要
近年日本で使われている「予定調和」は、一般的に、大衆の予想する流れに沿って物事が進行し、結果も予想通りになることをいう。
結果如何に関わらず、その過程に意外性やハプニング性がないことに落胆する場面で使われることが多い。
創作物だけでなく、現実の政治や経済、芸能の分野でも、ありきたりな結末で終わった場合を揶揄する言葉として用いられる。
汎用性が高いため、「予定調和で終わってつまらなかった」という感想は、非常に便利な言い回しである。
しかし、「予定調和」を用いた感想は世の中に氾濫しすぎていて、皮肉にもそれ自体がありふれたものになっているという見方もできる。
安易に「予定調和」という言葉は使わずに、他の言葉に置き換えられないか、考えるようにしたい。
また、「予定調和」だからこそ、おもしろい作品も存在することを忘れないでほしい。
- 現実味がない展開でみんなハッピーエンドだった→ご都合主義
- 事前に示し合わせて、そうでないふりをすること→やらせ
- あらかじめ決まった結末があるにも関わらず、見た目は競争を装っている→出来レース
- 重要な決定が、特定の実力者によって密かに行われること→密室政治
時代背景
基本的には、創作物のストーリーを鑑賞するとき、観衆の多くはハッピーエンドを期待している。
最終的に主要な登場人物が予定通り全員幸せな結末を迎え、調和が保たれた場合、それは本来歓迎される結末のはずである。
しかし、そこに至る過程において、現実味がない展開で物事を解決したり、意外性のない手段でもめ事が収束した場合、観衆は盛り上がりに欠けて落胆する。
スタートとゴールが決まっていても、平坦な道ではなく、谷あり山ありの険しい道を乗り越えて、ドラマティックなゴールインを期待しているからだ。
日本のドラマやアニメ等では、2009年のリーマンショックや2011年の東日本大震災以降、そうした先の見えない社会不安を反映した作品が多く見られるようになってきている。
ありきたりな展開を回避する手段として、従来の作劇法で構築された約束事から外れた展開や結末が好まれる傾向が強まっているように思われる。
死亡フラグが立っても登場人物は死亡せずに生き残り、時にはバッドエンドも辞さない。
事前の根回し(いわゆるフラグ立て)から予想される先の展開を無視して、敢えて違う結末を選択させる(フラグをへし折る)ことで、観客の予想を裏切る作家が増えてきている。
これらの傾向は、ネット社会になって、良くも悪くもお約束事を知らないアマチュアが容易に作品を発表できる機会が増えたことも関係しているのだろう。
テレビの低予算化ややらせ問題に倦厭して、ハプニング性のあるネット番組が好まれているのも、昨今「予定調和」が歓迎されなくなった一因だと思われる。
あらかじめ予想されたものが勝って、予定された結末になり、その結果何も変わらない。
そんな決められた展開にうんざりしている時代を表しているのが「予定調和」という言葉なのかもしれない。
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