二式砲戦車 ホイとは、大日本帝国陸軍が第二次世界大戦中期に開発、整備した砲戦車(近接火力支援車)である。
量産化されるまでは、(試製)一式砲戦車または、一〇〇式砲戦車とよばれていた。
概要
砲戦車とは、味方戦車の障害となる対戦車火器や敵戦車を制圧したり、時には味方戦車部隊の突撃・後退時に突出し敵の攻撃を引き付け盾となることで、味方戦車部隊の生存性向上させ、作戦を円滑化させるための支援車両である。
自走砲とは異なり、味方戦車部隊に混じって行動するため、密閉式の戦闘室を備え、主力とされた中戦車と同じ機動性を発揮し、更に同一の車体を用いることが条件であり、またその運用法に耐えるため、中戦車よりも大口径の主砲を搭載、重装甲であることが理想的でもあった。
二式砲戦車(以下、ホイと記述)は、最初の砲戦車だったが、2度にわたる計画変更や補助的な兵器故に戦車の中でも特にリソース配分の少なかった等の要因により、開発・研究完了が遅延。最終的に量産されたのは開発開始の1937年から約7年後の1944年である。それも少数の生産であり、全て本土決戦に温存したため実戦の経験なし…という悲運の兵器であった。
性能諸元
主武装 | 九九式七糎半戦車砲×1 |
副武装 | 九七式車載重機関銃×1 |
最大装甲 | 50㎜(砲塔/車体正面) |
最大速度 | 約44km/h(路上) |
エンジン出力 | 240馬力 |
重量 | 16.7t |
接地圧 | 0.69kg/㎠ |
開発前史
ホイの開発の切っ掛けは、1935年(昭和10年)に遡る。
砲兵科と(当時戦車部隊を運用していた)歩兵科が、「高価な戦車を安価な対戦車兵器によって失いたくない」という共通の考えの元、使用方法は異なるが「山砲を搭載したオープントップの自走式火砲」という共通点を持つ、2種類の兵器が提案された。
(なお、ここでいう山砲というのは山岳地帯向けに作られた軽量な短砲身75㎜砲のことである。)
この「自走式火砲」は敵の対戦車火器を制圧し、時には発煙筒で煙幕を貼って射撃を妨害、更に万が一、味方戦車が敵戦車と遭遇してしまった際の対戦車戦闘も想定していた。これらの要素はこの後に生まれる砲戦車にも受け継がれる。
この2つの兵器はその後も研究が続けられ、特に歩兵科案は、昭和12年に「自走式戦車支援砲」の名称で具体的な開発がスタートした。
開発
当初は、山砲を固定式に搭載したオープントップの自走砲として開発が進められていたが、開発開始から約2年後の1939年(昭和14年)6月頃に大幅な設計・計画変更により白紙に戻る。変更後の設計は、一般的な戦車と同様の密閉型の旋回砲塔を備えた物となり、名前も「砲戦車」に改名された。
1940年(昭和15年)12月頃に搭載砲の試作第一号が完成。搭載砲は「試製九九式砲戦車搭載砲」と呼ばれた。搭載砲はその後も修正を受けながら、1941年(昭和16年)3月に九七式中戦車チハを改造した「試製一式砲戦車」に搭載され試験を受けることとなる。
一式七糎半自走砲 ホニIとの比較
この頃になると、この試製一式砲戦車の実用性を疑問視する声が多く挙がるようになっていた。
これは、1939年(昭和14年)に発生したノモンハン事件においては戦車同士の戦闘を経験し、砲戦車にも対戦車能力と動目標に対する命中率の向上が求められ、搭載砲をより高威力の野砲級に改める意見が多数出ていたからである。
この問題を解決するために、当時野砲を搭載していた一式七糎半自走砲(以下 ホニI)に鏑矢が立ち、それまでの試製一式砲戦車であるホイに代わる、「新たな試製一式砲戦車」となり、ホイの対抗馬として比較試験が行われることになった。
試験の結果、ホニIは対戦車戦闘の火力が優れ、動目標に対する命中率も高かったが、ホイと異なり旋回砲塔を有していないため、不意に現れる対戦車砲に対応できず、更に搭載できる弾薬量が少なかったため、砲戦車としてはイマイチだったようである。
ホニIを砲戦車として改良するための案が提案されたものの、結局砲戦車としての適正はホイに軍配が上がり、ホニIは砲戦車としては不採用となった。砲戦車は既定路線通りにホイの開発が進められる事になり、対戦車戦闘に関してはこの時開発が具体化した駆逐戦車に任せるという運びになる。
量産中止
ただ、改めて砲戦車として採用されたホイも、このまま採用されることはなく、コレまでの試験から得たデータを元に搭載砲を改良強化し、新規に開発した車両に搭載される事になる。
(これは、ベースとなったチハは問題が多く、採用された時点で後継機の開発完了が急務だったからである。)
搭載砲は昭和17年2月に完成し、同年12月(5月という説もある)に完成した新車両に搭載され試験が行われた。
ところが再び問題が起きる。1943年(昭和18年)5~6月頃、入手した独ソ戦争の情報によりこれまでの研究方針が改訂され、砲戦車は中戦車とともに対戦車戦闘能力が再び重視されることとなったのである。この直前までホイは後継車両の計画や量産化が決まっていたが、この改定後、ホイは後継車両計画もろとも「いらない子」の烙印を押されたため、整備計画も凍結されてしまった。
復活
一時は開発・整備が凍結になったホイだったが、成形炸薬弾の実用化によりホイの対戦車戦闘能力が大幅に向上し実用性が認められたため、この時に「二式砲戦車」と名を変えて再制式化、初期生産分のみであったが量産が許可された。生産数は30輛。
関連車輌
- 新砲戦車 ホチ
当初ホイの後継として計画されていた砲戦車。四式中戦車の前身であった新中戦車(甲)の搭載砲を短砲身75~105㎜砲に換装したものだったが、計画は中止になった。 - 三式砲戦車 ホニIII
研究方針の大幅変更後に計画された砲戦車その1。ホニIは昭和16年に砲戦車として不採用となったが、採用されていた場合の(当時の)砲戦車改修案を半分採用した物。 - 新砲戦車甲 ホリ
研究方針の大幅変更後に計画された砲戦車その2。五式中戦車の車体を利用する予定だった。長砲身105㎜砲を搭載し、125㎜の重装甲を施した駆逐戦車。 - 一式中戦車 チへ
九七式中戦車の後継。ホイのベースになったとも、逆にホイの車体をこの戦車に流用したともいわれており、どっちが親か卵かハッキリしていない。 - 九七式中戦車(57mm砲搭載型)
開発が遅延したホイの代用として多く用いられた。 - 三式中戦車 チヌ
一式中戦車の火力強化版。
ある意味砲戦車の理想を叶えた車輌であり、実際に本土決戦を控えた有力な戦車部隊に砲戦車として配備されている。
関連商品
関連項目
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