井出有治とは、元スーパーアグリF1チームのセカンドドライバーであり、現在はSUPER GT・ARTA(ARTA HSV-010)、フォーミュラニッポン・MOTUL TEAM 無限で活躍するレーシングドライバーである。
経歴
全日本F3参戦時にパッとした成績を残せず、格下のフォーミュラ・ドリームに再挑戦。資金支援を受けていた鈴木亜久里から「王者になれなかったら引退ね」と言われたが、見事王者になって再びF3へステップアっプ。総合2位となる。1年だけフランスF3にも参戦し、1度優勝を経験した。マカオGPでも5位入賞を記録している。
フォーミュラニッポンでは2年連続で王者争いをして、総合3位と2位。JGTC(SUPER GT)でも総合2位と4位で速さを示した。
2006年にスーパーアグリよりF1デビューを果たす。
しかし、後述のトラブルによりスーパーライセンスを剥奪され、僅か4戦でシートを降りる事になる。
その後日本国内レースに復帰、紆余曲折を経るが、現在はSUPER GTでは鈴木亜久里率いるARTAで、フォーミュラニッポンにはMOTUL TEAM 無限で参戦。
トラブル
F1
2006年F1第4戦サンマリノGP決勝にて、MF1のクリスチャン・アルバースと接触した(この時、アルバースのマシンは4回転半回ったが、アルバース自身は奇跡的に無傷だった)。
この事故がきっかけで井出はスーパーライセンスを剥奪された。
SUPER GT
2006年SUPER GT第6戦・鈴鹿1000kmに、井出は23号車・ザナヴィ ニスモ Zのサードドライバーとして助っ人参戦。決勝の32週目にGT300クラスのフォードGTと接触し、フロントを破損させリタイアに追い込んでしまった。
この行為で、井出はドライブスルー・ペナルティを科せられたが、規定周回(ペナルティが提示されて3周以内に履行しなければならない)になってもピットレーンに入らずにペナルティを履行しなかった為、黒旗が提示され失格となった。しかし、その後も井出はピットに戻らず走行を続けた。
数周後ピットインしたが、ドライブスルーペナルティと勘違いしたのか、ピットレーンを通過してコースに復帰してしまう。
更に数周後、ようやくピットに入り停止した井出は、コントロールタワーに連行された。
これに対して、統括団体であるGTアソシエイションは井出に対して罰金、及び同シーズン残りのレースへのエントリーを拒否する旨の処分を下した。
この処分の背景には、SUPER GTがJAFにもFIAにも属していなかったため、ライセンスに関わる処分が下されなかったものと思われる。
ただしその後、彼にはそのような処分よりもきつい出来事が待っていたのは、言うまでもない。
その後~現在
そのような事もあり、叩かれ、また2chやニコニコ動画などでは散々にネタにされてしまった井出有治だが、翌2007年のSUPER GT、“因縁の”鈴鹿1000kmレースではARTA NSXのサードドライバーとして参戦。搭乗こそしなかったものの2位表彰台を獲得した。
更に翌2008年には#100・チーム国光のRAYBRIG NSXのエースドライバーに就く。
ここでまた“因縁の”鈴鹿1000kmレースで、スタート前にマシントラブルが確認されてピットスタートを余儀なくされながらも、猛追を見せて2位表彰台を獲得。2008年シーズンは獲得ポイント41でランキング11位。
2008年シーズンオフの雑誌インタビューで、2006年当時の出来事を振り返り、「覚悟」をしていたと悲壮な気持ちを語っている。
2009年も変わらずチーム国光・RAYBRIG NSXのエースドライバーを務め、2010年シーズンは、師であり恩人でもある鈴木亜久里が率いるARTA・ARTA HSV-010で参戦。第6戦、鈴鹿1000kmレースから名を変えた、鈴鹿700kmレースで、2004年・第7戦以来の優勝を遂げる。
しかし、2011年にARTAを離れ、自チーム立ち上げを模索していると言う。
関連項目
- 3
- 0pt