単語記事: 人海戦術

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人海戦術とは

  1. 兵員の数で敵を圧倒する戦術。
  2. 転じて、工期や納期を多数の人員で間に合わせることなどをす。機械化や効率化の対極に位置する。

ここでは1について説明する。

概要

二つの軍において、他の条件が同等ならば兵の多寡で勝敗が決まるのは当然であり、これを数式化したものをランチスター法則と言う。だが実戦で兵以外の条件が同等ということはありえず、一般に兵以外の点で劣っているならより兵を増やさねば敵軍に対抗することは難しい。

そういった中で、共産主義国家であるソ連中国が用いた、質を量でカバーする戦術をして人海戦術と呼ぶ場合が多い。ただし、この2つは数が多い点でしか共通点がいため注意が必要である。

また、アメリカ南北戦争での南北両軍、日露戦争順攻囲戦での日本軍第一次世界大戦ヴェルダンの戦いでの独両軍、イランイラク戦争でのイラン軍などについても、時に「人海戦術を使用した」(あるいは「使用せざるを得なかった」)と評されることがあり、共産主義国家のみが用いた戦術というわけではない。

この言葉は明らかになっていないようである。日本語人海戦術」あるいは旧字体での「人術」、中国語「人战术」、英語human wave attack」「human sea attack」「human wave tactics」「human sea tactics」、ロシア語「психическая атака」といった各での用を学術論文などで検索した結果を見ると、1950年代に入ってから初めて出現した用のようだ。一説によると「毛沢東による造である」という話もあるらしいが偽は不明。

歴史

「多勢に勢」という言葉がし示す通り、相手よりも単純に頭数を増やすという事は古今東西を問わずどこでも行われてきた。

しかしながら実際、兵差を覆し勝利した戦いもまた、古今東西どこでもある話である。アッティラ大王チンギス・ハンの軍隊のように兵で劣るが機動で圧倒し世界中を支配した遊牧騎民族や、奇襲攻撃により寡兵で勝利した桶狭間の戦いなど、勝利できた原因もまたそれぞれである。

こうした戦争歴史において重大な転換点は20世紀初頭の日露戦争第一次世界大戦である。日露戦争では地防衛に用いられた重機関銃により攻撃側に多大な損を出した。その後の第一次世界大戦では日露戦争の戦訓が生かされず、条網などの発達でさらに防御が向上した地の重機関銃に対し、それまで常識であった銃剣突撃は多大な損を出した。もはや単純な数のでは、少数によって防衛された地を攻略することは不可能となった。

こうして浸透戦術や電撃戦といった機甲戦術などの新たな戦術思想が発展していくことになる。

独ソ戦

独ソ戦においてドイツ軍の奇襲攻撃を受けたソ連は、当初軍備も兵っておらず全く対抗できなかった。間の悪いことにスターリン有能な将校を粛清しまくっており、指揮官が不在だったことも原因に挙げられる。こうした中で防衛に当たった数少ない兵ドイツ軍の前に粉砕されてしまう。

ソ連はこうした事態に焦土戦術で対抗し、さらにロシア名物冬将軍の到来によって何とか持ちこたえることができた。その間に急ぎ徴兵し兵を整えることになるのだが、頭数は多くても武器も指揮官も少なく、しかも兵士同士で相互に言葉が通じないこともあるなど極めて未熟な軍隊だった。こうした状況でも勝てるよう考案されたドクトリン縦深攻撃で、これが俗に人海戦術と呼ばれるものである。

縦深攻撃を簡単に説明すると、敵を正面攻撃する際、部隊を縦にいくつも並べて突撃させる。前線の部隊が壊滅したとしても後続は構わず前進し敵に殺到する。これを多方向から行い敵の兵を分散させると、そのうちのどれか一つは敵の弱い部分を突破できるはずである。その後は突破口から部隊が前進しながら敵を殲滅、あとは敵を残った敵を包囲殲滅する。

対峙したドイツ軍からしてみるとあらゆる方向から敵兵が殺到し、しかも倒しても次々に後続がやってくるソ連軍は恐怖の徴であった。中戦車T-34が配備されるようになると更に機甲戦の数でもドイツ軍を圧倒するようになり、東部戦線は地と化した。しかし、勝利したソ連の損も凄まじく、当時の20代男性の9割が戦死したとされる。余談だが、これによりソ連女性社会進出が進んだ。

朝鮮戦争

朝鮮戦争中国は表向き志願軍という形を取り、北朝鮮側について参戦した。

ソ連からはロクな航空支援を受けられなかった上、武器はかつて日本軍から鹵獲した38式歩兵などの旧式小銃手榴弾(これだけは産品で大量にあった)が体の軽装歩兵ばかりであり、も機甲戦も持たなかった人民志願軍もまた、取れる戦術の選択肢は限られていた。

そうした結果が夜襲(まだこの時代は間の近接航空支援は難しかった)や待ち伏せ(機械化されたアメリカ軍部隊には追い付けない)、そして軽装歩兵であることを生かした山岳機動である。武装が貧弱であることを逆手にとり道路のない山岳地帯を人えて国連軍の背後に回し、包囲殲滅を行った。

間は山野にはもいないように見えるのにになればチャルメラ鑼が鳴りき、後方だと思っていた場所が襲われる様に道路伝いに移動していた国連軍は恐慌状態に陥り、周囲の山々の全てに敵兵が潜んでいるかのような錯覚に襲われた。これが人海戦術であるかのように思われているが、実際にはマッカーサーを始めとする国連軍の無能による敗北の言い訳に使われている部分も大きく、人民志願軍の総数はそれほど多くはなく国連軍のせいぜい3倍程度であり、しかも質だけでなく物量でも圧倒的に劣っていた。

しかし緒戦で大勝利を挙げた人民志願軍だが、包囲はうまく行っても殲滅するには火力が足りず、結局は国連軍の防御地に突撃をすることになり、第一次世界大戦の戦訓を生かせず大損を出してしまった。またそれまでの共内戦やソ連軍の場合とは違い他である朝鮮半島で行われた戦争であるため、頭数ばかり多い人民志願軍は常に補給の問題で苦しめられることになった。

中越戦争

カンボジアに侵攻したベトナムに対する懲罰と称し、中国1979年ベトナムへ侵攻した。これが中越戦争である。当初中国軍朝鮮戦争で見られたような人海戦術を採った。この部隊は当時の鄧小平国家席にとって障りな毛沢東義者たちであり、彼らが壊滅してくれれば鄧小平にとっても都合がよい政争の面もあった。

カンボジアベトナムが侵攻している隙を突きジャングル内を侵攻してきた人海戦術部隊に対し、ベトナム軍は後方の予備部隊と元ベトミンやベトコンらの民兵での応戦を余儀なくされた。しかし、ベトナム軍は地の利に長け、ベトナム戦争で豊富な実戦経験を積み、鹵獲兵器などで近代化されていた。

結果、人海戦術部隊は、かつてのアメリカ軍同様ブービートラップ落とし穴に苦しみ、進軍にもたつく間にベトナム軍の中国製榴弾で殲滅されてしまった。

その後中国から後続の中国軍ベトナムに来襲したが、ベトナム軍の遅滞戦術でもたつく間にカンボジアからベトナムが帰還してしまい、もともと懲罰というあいまいな戦略標しか持たなかった中国軍ベトナム北部を焼き払って逃走した。

その後

湾岸戦争などで得られた戦訓により、質より量の戦術は、あまりにも質で劣っていた場合先進国の軍隊に対抗できないことが明らかになった。現在ソ連崩壊後のロシア中国でも軍拡が進められているが、近代化による質の向上に専ら眼が置かれている。

まとめ

質を量で補うという意味での人海戦術というのはそれだけで有効な戦術では全くない。単に頭数を増やして突撃するだけではむしろ損が増えるばかりの愚策であるし、必要な補給の増大という重いも見逃せない。勝利するための鍵はむしろ兵員の数以外にあることが多い。

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読み:ジンカイセンジュツ
初版作成日: 16/09/08 18:54 ◆ 最終更新日: 16/09/08 21:59
編集内容についての説明/コメント: 記事作成乙です。記事冒頭太字化。アラビア数字半角統一。概要で非共産勢力での例や語源について追記。不要そうな<span>タグ除去。
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人海戦術について語るスレ

1 : ななしのよっしん :2016/09/09(金) 00:36:16 ID: +EbQnin+I7
作成乙です。

人海戦術っていうと、とりあえ頭だけそろえりゃなんとかなるだろっていう頭の悪い戦術だと思われがちだけど、実は下手な少数精鋭以上に計画性が必要なんだよね。
2 : ななしのよっしん :2016/09/12(月) 22:15:40 ID: gsCqua+S2c
マオくんの戦術はゲリラ潜伏地を増やすことだし、
縦深戦術は各戦線各部隊の連携こそが肝要、
アカ名物数押しwwwwwww」なんてのは的外れもいいとこなんだよなあ
3 : ななしのよっしん :2016/09/12(月) 22:24:53 ID: qv4qjGCOK9
数ありきのって話だもんね
4 : ななしのよっしん :2016/09/12(月) 22:41:21 ID: W5swbncScU
「人民のに敵軍を埋葬する」といった毛沢東の長期埋伏は後年の老害振りからすると想像出来ないほど巧妙だったしな。これと国民党清野日本は消耗していった

歴史的に見れば常ではあるんだけどね。ペルシア軍とか、オスマントルコとか、モンゴル軍とか。むしろ兵站と輸送が問題になるんで戦術というより戦略として見た方がいいのかも。毛沢東のそれも含めて
5 : ななしのよっしん :2016/12/06(火) 13:08:51 ID: dIik1FCi0n
>>1>>2の人に賛同です。
ガリ戦争におきましても、ローマ軍に対して、
量にはおいては勝れども
(個人的戦闘力はともかく、集団戦闘力的な意味での)
戦闘力において優越されていた、とされるガリア軍の、
アンビオリクスは、
1.ローマ軍の一軍団+半軍団の指揮官にニセ情報を流し、
2.そこから詐術でもって移動を誘導し、
3.自分達の誘導した移動路において大軍で伏兵を配置し、
4.事前ローマ軍の戦法を分析して、その対策を構築し、
その為の訓練も行っておき、
5.その上で、に予定通りのルートを移動してきた
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
6 : ななしのよっしん :2017/01/21(土) 19:01:51 ID: GfWDmGs5Z+
これほどと実際の用法とがかけ離れた言葉もしい。
ゲリラ戦の手引き」のがなにゆえ「遮二二な数の暴力」として伝わっているのか。

毛は著作で「中国は広くて兵数も多いが弱い、一方日本軍は兵の質は高いが数が少なく、
全土を占領できない。すると日本軍に包囲されていても実はその外側ではこちらが
包囲しているわけで、ゲリラ戦が単なる戦術でなく長期的戦略になってくる(意訳)」
みたいな鋭い摘をしている。やっぱ政治家より軍人の方が向いてるんじゃ…
7 : ななしのよっしん :2017/01/26(木) 00:03:23 ID: dIik1FCi0n
毛さんは軍人としての実績は非常に高いですからね。
8 : ななしのよっしん :2017/02/19(日) 22:24:05 ID: 2P8I7f1bww
毛沢東共産主義者なったのが間違いだった。
五胡十六国時代か南北朝時代にでも生まれてればよかった
9 : ななしのよっしん :2017/06/16(金) 17:40:37 ID: +EbQnin+I7
>>6
「敵の素晴らしい戦術に敗した」って言うより「連中の数のゴリ押しに負けたんだい!」って言い訳する方がまだ格好悪くないと思ってる人間がいつの世もいるってことだろう。

特に現代日本に入ってくる情報は、常々人海戦術に押される側であり続けるアメリカ由来だからね。
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