伊勢中川駅とは、三重県松阪市にある近鉄大阪線・近鉄名古屋線・近鉄山田線の駅である。旧国名を略して中川駅と呼ばれることも多い。大阪線の終端駅であり、名古屋線および山田線の起点駅である。
概要
駅情報 | |
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所属路線 | 近鉄大阪線 近鉄名古屋線 近鉄山田線 |
電報略号 | ナカ |
開業日 | 1930年5月18日 |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 5面6線 |
駅番号 | D61(大阪線) E61(名古屋線) M61(山田線) |
1930年5月、近鉄の前身の一つである参宮急行電鉄(参急)が開業した駅である。先行して開業した松阪駅と、中勢鉄道との接続駅であった久居駅を接続する路線が開業した際に、途中駅として開業した。開業当時の駅名は参急中川駅であった。
参宮急行電鉄の当初の計画では、戸木村(久居駅の西側に位置する。現在は津市に合併)が名古屋方面との分岐駅となっており、大三駅から戸木村までは現在線の北側を、戸木村から松阪駅までは現在線の東側を迂回するような線形であった。それが直線ルートに改められた結果、名古屋方面への分岐駅の設置地点も変更され、当駅が開業する運びとなったのである。
参宮急行電鉄は標準軌の路線であったが、経営危機に陥り参急と合併した伊勢電気鉄道(近鉄名古屋線の江戸橋駅から桑名駅まで)は狭軌の路線であった。合併後に江戸橋駅が乗換駅となったのだが、参急中川駅と江戸橋駅で二回の乗り換えが必要になることから、1938年12月6日に参急中川駅から江戸橋駅までの約13kmをわずか一晩で狭軌に改軌する工事が敢行された。この結果、大阪から名古屋までは参急中川駅での乗り換え一回のみで済むようになった。
1941年3月に大阪電気軌道(大軌)と参宮急行電鉄が合併して関西急行鉄道(関急)が発足した際に、駅名が現在と同じ伊勢中川駅に改められた。
軌間の違いゆえ、名古屋線から大阪線・山田線への直通運転は長らく実施できず、乗り換えの不便をできるだけ避けるため、当駅では狭軌の名古屋線の列車を真ん中に入れ、それを標準軌の大阪線・山田線が挟む配線が採用された。
また名古屋線のホームは左右双方に設置され、階段の上下を必要とせず対向側の列車に容易に乗り継げる構造が取られている。
1947年、今日の近鉄特急網の創始である名阪特急設定時にはこの構造を活かし、上本町―中川と名古屋―中川間の運転とされ、この駅で乗り継ぐ方法が取られた。上本町―中川の特急は間もなく宇治山田発着となり、3方向乗り継ぎの形態がこの時完成している。
1959年に伊勢湾台風の復旧工事と並行して名古屋線が標準軌化され、これにより名阪間の直通運転が開始される。当初は伊勢中川で運転停車の上、折り返す形態が取られていたが、1961年に駅の北方に中川短絡線と呼ばれる短絡線が敷設され(伊勢中川駅の構内扱い)、甲特急(ノンストップ特急)はそちらを経由するようになった。1963年には名阪乙特急も中川連絡線経由となっている。
中川連絡線の開業により、名阪間の乗り継ぎ駅としての地位は低下したが、現在でも名伊特急・阪伊特急は日中毎時2本が当駅で接続する形態をとり、名阪特急の補完を果たしている。また快速急行・急行・普通は中川連絡線を経由しないため、それらの利用客にとっては今日も重要な接続駅である。
現在でも2・3・4番線の3線は線路の両側にホームを設けた構造であり、列車の接続時に効果を発揮している。
なお駅周辺の開発は最近まで長らく進んでおらず、運転上の拠点でありながら駅そのものの利用客はそこまで多くない、米原駅のような位置づけであった。そのためか短絡線を経由する名阪特急の他、名伊・阪伊甲特急、さらに「しまかぜ」のような名阪間(およびそのルート上に位置する各駅相互間)の利用を想定しない特急は当駅に停車しない。
関連動画
関連項目
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