伊東祐堯(いとう・すけたか 1409~1485)とは、日向国の室町時代~戦国時代の武将である。日向伊東家6代(伊東家11代)当主。伊東家最大の中興の名君との呼び声が高い。
伊東祐立の子。子に伊東祐国、伊東祐邑、伊東祐英、伊東祐円、伊東祐兄、伊東祐岑、伊東祐具らがいる。
概要
父が1444年に落馬が原因で亡くなると家督を継ぐ。一族の曽井氏をはじめとした伊東領内の祐堯に抵抗する家臣や豪族たちを討伐する。翌年には日北の豪族を傘下に組み込むと、更に日北最大の豪族・土持氏を滅ぼす。
北は門川(現在の宮崎県東臼杵郡門川町、JR日豊本線門川駅が最寄駅)、南は紫波洲崎(現在の宮崎県宮崎市、JR日南線折生迫駅が最寄駅)まで領土を支配して国内外に伊東家の存在感を示した。南北凡そ85kmという細長い距離になるという。(日向国自体南北に細長い国である。)
当時南九州最強の大名であった島津氏とは対立と和睦を繰り返していた。これにより伊東家の日向における勢力は半分以上を領している。子供は男女あわせて25人いる。伊東氏はしばらく隆盛期を維持し、逆に島津氏は凡そ数十年程度の暗黒時代へと突入していくのである。
その他
信長の野望では未登場だが、信長の野望・天道のファンクラブコンテンツでは中興武将5名の一に入っている。統率90武勇86知略76政治83となかなかの化け物である。
関連項目
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