伊83とは、
艦歴
スペックとしては、海軍大型潜水艦の発展型である丙型・丙型改から、より軽量化と魚雷兵装を強化して建造されたものである。代わりに兵装を魚雷のみとし、主砲を降ろした。丙型・丙型改と同じく航空機を持たない。伊83と伊84のスペックは同型艦なので差異は無い。
排水量:2042t(水上),2294t(水中)
速力:16kt(水上),4kt(水中)
主要兵装:53cm魚雷発射菅10門
巡潜丁型潜水艦伊83・伊84の建造された背景には複雑な背景がある。
第二次世界大戦下のヨーロッパにおいて、連合国側であるフランスと枢軸国側のドイツは幾度となく陸でも海でも戦火を交えていたが、フランス側が一時的にものすごく劣勢になってしまった1939年11月27日、トゥーロン港に停泊していたフランス側の艦艇がドイツ側に鹵獲されそうになった時、フランス側は艦隊旗艦である戦艦ストラスブールからの命令の元、港内で全艦艇を一斉に自沈させ、これによりフランス側の艦艇をドイツ側に渡すことなく無力化した。
なお、この命令が発せられる直前、最低限の兵と指揮官を残してフランス海軍の兵はシェルブール軍港へ、技術士や設計士などはブレスト海軍工廠に避難していたのだが、ドイツ側はこれ以上の造船を止めさせる為にブレスト工廠へも軍を派遣していた。勿論ブレスト工廠にもジュマプ級海防戦艦ジュマプとヴァルミー二隻の護衛はいたのだが、ドイツ側のマッケンゼン級巡洋戦艦グラーフ・シュペーとフュルスト・ビスマルクの奮闘によりジュマプは大破着底、ヴァルミーは砲塔・機関損傷という大打撃を受け、ブレスト工廠は制圧されて技術者の大半がドイツの捕虜となった。余談ではあるが、その時水上機母艦コマンダン・テストを始め、この一斉自沈で沈んだ艦の一部は半年後にドイツに引き揚げられている。自沈した意味無し。
この時捕虜となった者の中にルイ=エミール・ベルタンという技術士の男性がいた。彼はしばしば当時のフランス海軍内において革新的な発明を行っていたが、それゆえに同僚や上司からの嫉妬などによって人間関係は芳しくなく、技術は認められていても孤独であった。彼は捕虜となって心を改め、ベルタンは枢軸国側に協力を要請、当時ドイツ国内でも有名な人物であったベルタンからの思わぬ要請によりドイツ海軍内は大いにざわついたという。
当時ドイツ海軍は積極的に日本と技術交流を行っており、要請の数日後にはU-511が日本へと旅立とうとしていた。ドイツ海軍はベルタンがスパイである可能性、または裏切る可能性を鑑み、厄介払いの意を込めて、U-511と共に日本へと送り出した。
U-511と航海を共にして到達した日本で、ベルタンは肩書き上は雇われ海軍技師として働くこととなった。その際彼はよりよい造船環境を整えるために、日本海軍黎明期に雇われていたフランス人技術者レオンス・ヴェルニーの作った呉・佐世保・横須賀の工廠設備のアップグレードを行った。これによってより先進的な技術を費やして利根型重巡洋艦などが建造出来るようになり、彼の日本での地位は盤石なものとなった。
彼が日本滞在中に直接建造に関わった軍艦としては、重巡洋艦3隻、軽巡洋艦1隻、そして潜水艦2隻である。
この潜水艦が巡潜丁型潜水艦であり、その1番艦が伊83である。同型艦を6隻ほど量産しようとしたが、これに並行して建造が始められた松型駆逐艦へと建造費を回そうと言う意見が多くなり、既に竣工していた伊83と伊84以外は建造に着手されぬまま、設計図上の存在に留まることとなった。
こうして巡潜丁型潜水艦は最新鋭の技術を費やされて丙型と比べコストを抑えながらも魚雷をより多く搭載できる、理論上は優秀な潜水艦として生み出されたが、戦績・運共に芳しくなく、伊83は戦果を出すことなく戦没、たった一隻の同型艦伊84も事故で沈没となり、現存艦は存在しない。
艦これにおける伊83(と同型艦伊84)
艦隊これくしょん~艦これ~において擬人化された艦艇は、殆どが女性の姿を取っているのだが、何故か伊83は出っ歯の男である。出っ歯はイヤメタルという金属で形成されており、出っ歯を気合で噴出させ、不思議な力で魚雷に変化させることで敵に攻撃を行う。
ゲーム内の時報や放置ボイスで伊8がドイツ語を喋ったり、イギリス産軍艦の金剛が会話に英語を混ぜるように、設計士がフランス人ということを反映させてか、時折フランス語を喋ったりフランス帰りであることを自慢するのだが、決してフランス帰りではない。純日本産の艦艇である。
尚、同時実装された同型艦の伊84は艦娘としてはやや没個性ではあるがグラマラスな金髪美女である。金髪美女だがこちらも純日本産であり、伊83共々純日本産のようには見えないキャラクターである。時報・放置ボイスでは金にうるさいところがあるが、衣装はスク水+ガーターベルトと中々に奇抜な恰好である。
オヒョーッ!
以下ネタバレ
元ネタ
その正体は赤塚不二夫原作「おそ松くん」に登場する「イヤミ」というキャラクターと艦これのパロディ。
最後にアニメ化されてから、実に27年もの歳月を経て、新たに「おそ松さん」として現代にアニメとして復活した「おそ松くん」。その人気はニコニコ動画内でも高く、ニコニコ静画では様々なイラストが挙げられており、この記事はおふざけ100%のノリだけで作られたものである。
何故イヤミが女性用スクール水着を着ているかというと、艦これには太平洋戦争中に活躍した様々な軍艦が少女に擬人化されて登場しており、艦種が潜水艦に分類される艦娘はほぼ全てがスクール水着を着用しているためである。
伊83の名前そのものの由来には、艦これにおける潜水艦に分類された艦娘たちが大きく関わっている。艦娘の中に伊168という名前の潜水艦がいるのだが、彼女公認のあだ名が「イムヤ」であり、また同じく艦娘の伊58は「ゴーヤ」、伊19は「イク」と、それぞれ自ら命名したあだ名を名乗る。このように艦これの潜水艦は数字の語呂がそのままあだ名になることが多いため、イヤミ→い83→伊83と命名されるに至ったのである。
尚、伊84は「おそ松さん」の第10話に登場するイヤミの女体化バージョン「イヤ代」をベースに執筆された。
下記はイヤ代の参考画像である。
諸注意
・実際には伊83という潜水艦は実在しない。勿論伊84もである。ただし伊183と伊184は実在した。もしかしたら伊183、伊184が実際に艦これに実装される可能性があるが、その際にはこの記事と切り離して考えるようにすべきである。
・「おそ松さん」のイヤミというキャラクターを艦これのキャラクター性に無理やり当てはめて、あたかも実際に伊83が存在したかのようにこの記事は作成された。すなわち、この記事の内容は嘘八百である。従って、この伊83の記事内容はパロディネタであり、実際の旧日本国海軍の艦艇、および艦隊これくしょん~艦これ~とは一切関係がない。
以下にどのような嘘を盛り込んでいたかを記しておくので、もし興味があれば見てみるといいだろう。見る前にどこがどう間違っているのかを推理するのも面白いかもしれない。なお、ドラッグすることにより、どのように嘘が盛り込まれているかがわかる。
・日本海軍の潜水艦、巡潜丁型潜水艦は存在しない。巡潜は丙型までで、丁型は無い。参考
・巡潜丁型のスペックは適当に丙型と丙型改のスペックを見比べて、丙型改Ⅱがあるとしたらこれくらいの数値になるかなと思って付けただけで、全く意味を持たない。余談だが、そもそもいくら潜水艦と言えども実は主砲降ろして魚雷だけになるようなことってあんまり無いらしい。水中で高速を出せることを目標に設計された潜高大型潜水艦を除いて。
・トゥーロン軍港における一斉自沈の日付はあっているが、年があっていない。正しくは1942年である。因みにコマンダン・テストなど一部の艦が引き揚げられたのは事実だが、それは翌年にイタリアが行った。
・技術士がブレスト海軍工廠に避難したというのは真っ赤な創作である。
・文中に登場するジュマプ級海防戦艦とマッケンゼン級巡洋戦艦はどちらもWW1以前の艦艇である。因みにマッケンゼン級は同型艦3隻を含めた全4隻が建造中止されてるし、ジュマプ級は略歴不明である。
・フランス生まれのルイ=エミール・ベルタンという男性は実在するが、彼は1840生まれの1924年死没である。つまりこの時代にはいるはずもない。
・ベルタンが雇われ海軍技師として来日したのは事実だが、捕虜とかではなく寧ろ1885年に日本政府がフランス政府を説得して4年間だけ来てもらった。
・ベルタンが日本海軍の艦艇建造に関わったのは事実だが、建造したのは防護巡洋艦3隻、小型巡洋艦2隻、軽巡洋艦1隻、フリゲート1隻、水雷艇16隻とされる。つまり潜水艦は作っていない。
・レオンス・ヴェルニーという男性は実在するが、彼は横須賀工廠などの建設は指導したが、呉・佐世保の工廠には直接的には全く関わっていない。
・松型駆逐艦との関係は一切無い。松型駆逐艦の方も、潜水艦と何か因縁があるわけでもない。おそ松さんのキャラだからと松のつく駆逐艦を入れただけである。
関連項目
- おそ松さん
- イヤミ
- イヤ代
- 艦隊これくしょん~艦これ~
- 艦これ
- 松型駆逐艦
- 伊号潜水艦
- シェーん水艦
- コマンダン・テスト(艦これ) ←トゥーロン軍港における一斉自沈で実際に沈んだ仏軍水上機母艦コマンダン・テスト。2016秋イベで実装された
- 6
- 0pt
- ページ番号: 5387913
- リビジョン番号: 2431833
- 編集内容についての説明/コメント: