「佐田隆居」(さだ・たかおき ? ~ ?)とは、宇都宮氏の分家である鎌倉御家人の一族で、九州は宇佐の郡代を務めた国人であり、大内家滅亡以降は大友家に属して斜陽の大友家を見捨てずに戦った武将。
概要
佐田氏は、宇都宮親景が 佐田川と山蔵川が合流する佐田に移住してから土地の名を称するようになった豊前の国人で、大内氏が豊後国を支配するようになるのにあわせて宇佐の郡代に任ぜられた。
※宇佐郡は、豊前国と豊後国の国境に近く、大内氏と大友氏の抗争の地となり、佐田氏は幾度も大友氏の攻撃をうけた。
佐田隆居は、大内義隆の豊後守護代を務めた杉重矩に属していたが、大内義隆が陶晴賢の謀反により滅亡し、陶晴賢も、毛利元就によって滅亡すると、宇佐郡に攻め込んできた大友宗麟にくだり、大友家の一軍として各地を転戦した。
※佐田隆居の息子は、大友宗麟(大友義鎮)より「鎮」の字を賜って佐田鎮綱と名のった。
大友宗麟が耳川の戦いにて島津義久に敗れて没落すると、多くの北九州の国人が大友家から離反したが、佐田隆居は息子・佐田鎮綱と共に大友家につき、龍王城にこもって大友家に謀反をおこした安心院麟生を攻めて、本領安堵と引き換えに開城させた。
豊臣秀吉の九州征伐を経て、豊前に黒田官兵衛が入ると、佐田隆居は大友義統を頼って豊後に赴き、朝鮮の役での失態で大友義統が改易されると、佐田の地に戻って黒田家の客分となった。
※その他「佐田隆居」の詳細はwikipediaの記事・・・がありませんでした。
関連動画
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補足
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | 45 | 戦闘 | 40 | 智謀 | 51 | 政治 | 64 | ||||||||
嵐世紀 | 采配 | 30 | 智謀 | 35 | 政治 | 46 | 野望 | 32 | ||||||||
蒼天録 | 統率 | 45 | 知略 | 54 | 政治 | 48 | ||||||||||
天下創世 | 統率 | 43 | 知略 | 54 | 政治 | 49 | 教養 | 54 | ||||||||
革新 | 統率 | 48 | 武勇 | 44 | 知略 | 63 | 政治 | 55 | ||||||||
天道 | 統率 | 48 | 武勇 | 44 | 知略 | 63 | 政治 | 55 | ||||||||
創造 | 統率 | 46 | 武勇 | 51 | 知略 | 62 | 政治 | 55 | ||||||||
大志 | 統率 | 45 | 武勇 | 50 | 知略 | 62 | 内政 | 55 | 外政 | 58 |
関連項目 |
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