佐藤寿人(1982年3月12日 - )とは、日本のサッカー選手である。サンフレッチェ広島に所属。ポジションはフォワード。
概要
埼玉県出身。中学からは千葉に引越し、双子の兄である佐藤勇人と共にジェフユナイテッド市原のジュニアユースに入団。2000年には兄弟揃ってトップ昇格する。
なお後のチームメイトである森崎和幸/浩司もこの年にサンフレッチェへのトップ昇格を果たしており、佐藤兄弟と森崎兄弟はJリーグ初の双子選手となった。
2002年に出場機会を求めてセレッソ大阪に移籍するも、ここでも出場機会には恵まれず、2003年に当時J1のベガルタ仙台にレンタル移籍。ここでフォワードとしての才能を開花させ13点を記録するも、チームはJ2に降格してしまった。 チーム降格により、J1のクラブよりオファーが殺到したが、全て断りベガルタに完全移籍。次のシーズンでは20得点を記録したが、チームは6位止まりとなり、サンフレッチェ広島に移籍。
サンフレッチェ移籍後もコンスタントに仕事をこなし、2007年に何かの間違いでチームがJ2に降格してしまったときも残留を宣言。2008年には28得点を記録し、J2の得点王に輝き、チームも鬼のような強さでJ1に復帰した。
身体が小さく飛び抜けたスピードも持たない彼の武器は、Jリーグ1と言われる裏抜けの技術である。相手と駆け引きをしつつ一瞬の動きでフリーとなったり、敵の背後へと飛び出す。そして味方のスルーパスを確実に枠の中に送り込む。泥臭いゴールこそが佐藤寿人の真髄であり、2012シーズンの22得点のうち実に17得点が「ワンタッチ」で決めたものという事実が彼の職人っぷりを物語る。
2012年にはJリーグ史上10人目のJ1通算100得点を記録したほか、チームのシーズン最高得点記録を更新、Jリーグ史上初の9年連続2桁得点、シーズン成績22得点でJ1得点王、ベストイレブン、フェアプレー個人賞、最優秀選手賞、サンフレッチェのリーグ優勝と、彼にとってキャリア最高のシーズンとなった。でも日本代表に呼ばれない。
2013年は7年ぶりにハットトリックを記録するなど、連続2桁得点記録を10年連続へと伸ばす。川崎フロンターレと鹿島アントラーズで活躍したジュニーニョを抜いて、J1・J2での合計得点も歴代1位に躍り出た。2015年第16節の山形戦でハットトリックを決めるとともにJ1・J2通算200得点を達成。2015年2ndステージ最終節でついに157点目を決め、ゴン中山の持つJ1最多得点記録に並んだ。
エピソード
- 真面目で、とにかくいい人。ジェフ、セレッソ、ベガルタのサポーターで未だに彼を応援し続けている人は多い。また佐藤自身、しばしば過去に所属したチームへ感謝の言葉を述べることがある。
- 真面目だがノリは良く、当時チームメイトだった槙野智章考案のトリックPKや、今やチームの伝統になりつつあるゴールパフォーマンスにも積極的に参加。また地元テレビとサッカーアースとマッチデーJリーグの3番組からゴールパフォーマンスの約束をさせられ、見事に全てやりきってみせた。
- C大阪との練習試合の際、取材を受けていた佐藤が、後から来たC大阪の元日本代表FW播戸竜二に思わず「播さんっ。ナイスゴールでした!」と大声で漏らしてしまった。これには播戸も苦笑いで「おっ、おおぅ」とだけ言い残して、足早にスタジアムを出て行った。なおこの練習試合は非公開でメンバーや得点者まで極秘だった。
- 非常にしばしばよく噛む。2008年にJ1昇格を決めた試合のインタビューでは、最高に盛り上がる場面で旋風をまち起こしてしまった。
- 乾貴士とそっくり。互いのファンや自身の子供でさえ間違えることがあるらしく、本人たちもネタにしている。
- 元イタリア代表FW、フィリッポ・インザーギを尊敬しており、飼い犬にインザーギの愛称である「ピッポ」と名付けるほど。2012年にJ1優勝を決めた夜のスポーツニュースに生出演し、サプライズでインザーギからのビデオメッセージが流れると生放送であることも忘れて大興奮であった。インザーギが活躍したACミランのファンでもあり、インタビューでもしミランからのオファーが来たら?という質問には「期限付き移籍で行く。サポーターも分かってくれると思う」と回答。
- 地元のプロ野球球団であるカープの栗原健太と付き合いが深く、よく栗原のユニフォームを着てカープの応援に行っている。2014年にはカープの試合中に流れる応援歌のPVにも出演した。
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 0
- 0pt