- プロ野球選手一覧 > 倉野信次
倉野信次(くらの しんじ)とは、福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークスに所属した元プロ野球選手(投手)。
概要
OB | |
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倉野信次 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 三重県小俣町 |
生年月日 | 1974年9月15日 |
身長 体重 |
177cm 92kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1996年ドラフト4位 |
引退 | 2007年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1974年9月15日生まれ、三重県度会郡小俣町(現:伊勢市)出身。
青山学院大学で3年春に最優秀投手とベストナインに輝くなど活躍し、井口忠仁・澤崎俊和・清水将海・高須洋介らとともに黄金時代を築いた。1996年のドラフト会議で、同期の井口とともに福岡ダイエーホークスに4位で指名され入団。この年のダイエーは1位の井口と4位の倉野の他に2位で松中信彦、3位で柴原洋、5位で岡本克道を指名しており、根本陸夫の辣腕を象徴する反則ドラフトと呼ばれた。
2年目の1998年、中継ぎで36試合に登板しプロ初勝利も挙げるが、その後2年は低迷。5年目の2001年、前半戦は主に谷間の先発、後半は中継ぎ陣の不調でセットアッパー的な起用をされ、34試合で7勝4敗1セーブ、防御率3.77と好成績を挙げる。
再び2年間低迷したあと、2004年に中継ぎと谷間の先発でフル回転。自己最多の37試合に登板し、9勝1敗、防御率2.55というキャリアハイの成績を残してチームのリーグ1位に貢献。隔年ならぬ「3年に1度活躍する投手」と言われた。
2005年・2006年は低迷し、3年周期の2007年は復活が期待されたが一軍登板無しに終わり、戦力外通告。トライアウトを経てロッテのテストを受けたが契約には至らず、現役引退してホークスのチームスタッフになった。
2009年から現場に戻り二軍投手コーチ補佐に就任。2011年からはチームの三軍創設に伴い三軍投手コーチに配置転換された。
以降、武田翔太が三軍育成を経て1年目で一軍ローテに定着し、千賀滉大や川原弘之などのドラフト時は球速が140km/h台と言われていた投手がいつの間にか150km/h超をバンバン投げ込む投手になるなど、その育成能力がファンの間で高く評価され、「魔改造」と呼ばれた。
とにかく球速をアップさせ力強いストレートを投げられるようにする点にかけては無類の育成能力を誇り、上背のある投手をドラフトで獲ってきて常時150km/hを投げられるようにする、という倉野式魔改造は2010年代のホークス投手王国を築き上げた。ただその反面、後年は若手が似たようなノーコン速球派投手ばかりになってしまうという弊害も生まれた。
また、2010年から毎年オフシーズンに若手選手のプエルトリコのウィンターリーグ派遣に同行し、その模様を「カリブ海だより」というコラム形式でホークス公式サイトで連載している。ちなみに2010年オフのウィンターリーグでは登録名が何故か「Kurano-San」になっていた(2012年のカリブ海だより「第三章 開幕」でネタにされていた)。
2015年は二軍投手コーチ、2016年からは一軍投手コーチ、2020年からはファーム投手統括コーチを務め、2021年限りで惜しまれつつホークスを退団した。
通算成績
通算:10年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 164 | 1 | 0 | 19 | 9 | 1 | 2 | .679 | 341.1 | 157 | 176 | 4.59 |
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関連項目
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