光崎検校とは(生年不詳~寛永6年(1853))とは、江戸時代中期に活躍した作曲家・演奏家である。
概要
生年は不明。三味線を一山検校に、箏を八重崎検校に師事し、文政4年(1821)に検校となった。
やがて三味線音楽から離れ、箏の開拓を目指して箏曲の作曲を行い始める。このような革新的な姿勢が反感を買い、京都を追われたといわれるが真偽は不明。
寛永6年(1853)に亡くなった。
業績
光崎検校の最大の業績は、三味線音楽が発展の限界を見せていた時代において、三味線を離れて、箏曲の可能性を模索し始めたことである。
三味線音楽は、既に先人たちが多くの曲を作っており、技巧的にも内容的にも隆盛を誇っていた。が、これはいいかえれば、伸び代がなくなってきたということでもある。
一方、箏については、箏曲の祖・八橋検校が十三曲の組歌を残しただけで、箏だけの合奏曲はまだ作られていなかった。光崎検校はここに注目し、箏のみによって演奏される曲(箏曲)を作曲した。これが「秋風の曲」「五段砧」の二曲である。
特に「五段砧」は、高音・低音パートからなる箏の二重奏曲であり、西洋音楽の二声対位法やフーガに匹敵する複雑で精緻な構成となっている。
代表作
箏曲
地歌
関連動画
五段砧(19:53~32:10)。曲の構成と時間は以下の通り。
- 19:53~23:03……初段
- 23:05~25:13……二段
- 25:16~28:05……三段
- 28:07~30:12……四段
- 30:13~32:10……五段
光崎検校の音楽はニコニコ動画ではほとんど見当たらないが、YouTubeにおいてはいくつか見つけることができる。以下に主要なものを示しておく。
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関連項目
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