内海哲也単語

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ウツミテツヤ
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内海哲也(うつみ てつや、1982年4月29日-)とは、京都府出身の元プロ野球選手投手)である。2024年からは読売ジャイアンツコーチを務める。

概要

高校時代は敦賀高校エースとして活躍。チームメイトの仲澤忠厚の犯した不祥事(飲無免許運転)によって3年センバツを出場辞退する不運に見舞われている(今でもそのことは許していないらしく、仲澤とはも合わせようとしないらしい)。

2000年ドラフトでは「巨人読売ジャイアンツ)以外なら拒否」の姿勢を表明し、順当に巨人が4位で名するものと思われていたが(このとき巨人1位2位は逆名の阿部慎之助上野、3位も三浦で決まっていた)、オリックス・ブルーウェーブ1位で強行名。仰木監督名直後に直接電話したことで態度を一軟化させるが、巨人が8位で友の一を名したことで結局オリックスを拒否。社会人東京ガスに進み、2003年自由獲得巨人に入団した(ちなみに内海が1年2004年解雇された)。背番号26

巨人時代

入団当初は伸び悩んだが、チェンジアップを覚えたことで3年2006年から先発ローテーションに定着。この年12勝を挙げブレイクするが、チームが4位だったこともあってか13敗と負け越した。


2007年開幕投手を務め14勝。180奪三振最多奪三振タイトルを獲得。優勝したにも関わらず、大補強を繰り返す球団に対し批判的な発言をして怒られた。


2008年も12勝を挙げ3年連続二桁勝利を達成する。しかし6回ぐらいに突然炎上する四球病、防御率の割りに負け数が多かった。


2009年第2回WBC日本代表に選ばれるが、原辰徳監督からは「ニセ」とか呼ばれてしまう(もちろん期待の裏返しである)。シーズンも前半の不調がき9勝11敗と2桁勝利を逃し、日本シリーズ第2戦でも打ち込まれてしまったが、第6戦でアクシデントで降した東野峻の後を引き継いで好投、日本一に貢献した。


2010年は球団史上4人の開幕4連勝を達成。故障で一度登録を抹消されたが、5月に復帰し、前年の山口鉄也以来となる開幕5連勝を達成した。しかし場に調子を崩し、相次いでKOされて中継ぎに降格されたりするなどシーズン全体としては不甲斐ないピッチングであった。一応11勝9敗と勝ち越したが、防御率は4点台と不安定な結果に終わった。


2011年は前年のふがいなさを払拭するように、開幕から調子を崩すことなく好投を続けて、勝ちを積み重ねた。吉見一起最多勝争いを繰り広げ、最終的に18勝5敗、防御率1.70という文句なしで自己最高の成績を残し、最多勝タイトルを獲得した(吉見一起と分け合う)。


2012年福岡ソフトバンクホークスから同じ左投手杉内俊哉が加入。エースとして価が問われるシーズンとなったが、交流戦MVPを獲得し、最終的には15勝6敗、防御率1.98の成績で最多勝を獲得した。左腕の二年連続最多勝は、巨人としては初の快挙である。
クライマックスシリーズで2試合登板し、日本シリーズに出場。第1戦と5戦に先発し、共に勝利投手となったことで日本シリーズMVPを受賞した。


2013年WBC日本代表に選出される。大会では中継ぎで2試合に登板したが打ち込まれた。シーズンでも通算100勝を前に3連敗したり(6月16日ソフトバンク戦で9回3失点勝利100勝達成)と前半戦は苦しんだ。後半戦は調子を取り戻し、最終的には13勝6敗、防御率3.31の成績を残したが、8年ぶりの完封0に終わった。


2014年は開幕から凄惨なムエンゴの洗礼を受ける。4月援護率は0点台(これは2009年渡辺俊介並の酷さ)、一時期内海の総援護点より同じ投手大竹寛打点の方が上、5月末に10登板にしてやっと1勝する。その後故障もあり7月までこの1勝のみだった。後半は復調し、8月9月で6勝。最終成績は7勝9敗、防御率3.13。
投手成績的には去年とほとんど変わらなかったのだが、勝ちは約半分、これで4年連続だった勝ち越しも途絶えた。


2015年左前腕部を故障し、開幕を二軍で迎える。この年は故障に悩まされ、初勝利を挙げたのは8月12日横浜DeNAベイスターズ戦。8月19日阪神タイガース戦で4回3失点でKOされ、二軍落ちした。この年は5試合で2勝に終わった。


2016年シーズン中盤から一軍で登板する。18試合に登板し9勝を挙げた。


2017年は12試合に登板したが、2勝7敗と負け越した。


2018年7月31日DeNA戦で3年ぶりの完封勝利を挙げる。巨人の36歳による完封勝利は史上5人だった。15試合に登板し、5勝5敗だった。

西武時代

2018年12月20日巨人FA移籍した炭谷銀仁朗人的補償として、埼玉西武ライオンズに移籍した。背番号27。26より一つ先に行くつもりと27を希望した。


2019年は開幕前に左前腕を離れし、そので一軍での登板はなかった。


2020年は開幕を二軍で迎え、8月22日に一軍に昇格し、その日のオリックス・バファローズ戦で移籍後初登板となる。6回4失点で敗戦投手となったが、通算1500奪三振を達成した。9月2日千葉ロッテマリーンズ戦では5回失点と好投し、移籍後初勝利743日ぶりの勝利)を挙げ、ヒーローインタビューで「ようやくライオンズの一員になれた」とコメントした。9月18日以降は二軍で過ごしたため、4試合の登板に留まった。


2021年は2試合の登板で1勝を挙げた。オフに選手兼任コーチに就任したが、本人く3年で2勝しか挙げられず戦外を覚悟していたため、選手だけの契約にならなかったことに感謝したという。


2022年5月7日北海道日本ハムファイターズ戦で通算2000投球回を達成した。8月16日に現役引退を表明し、9月19日東北楽天ゴールデンイーグルス戦が引退試合となる。先発として登板し、山剛に対して5球全て直球を投げてセカンドゴロで現役生活を締めくくった。

引退後

2023年埼玉西武ライオンズ二軍投手コーチを務めた。

2024年からは読売ジャイアンツの一軍投手コーチを務める。

その他

応援歌

球団 レス No プレイヤー
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8767

成績

年度別投手成績

年度 球団 登板 先発 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
2004年 巨人 3 2 0 0 0 0 0 0 .--- 14.0 4 13 8 8 5.14
2005年 26 19 0 0 4 9 0 1 .308 114.1 31 76 74 64 5.04
2006年 31 28 6 2 12 13 0 1 .480 194.0 52 179 69 60 2.78
2007年 28 28 2 1 14 7 0 0 .667 187.2 48 180 66 63 3.02
2008年 29 29 2 1 12 8 0 0 .600 184.1 68 154 71 56 2.73
2009年 27 27 5 1 9 11 0 0 .450 179.2 36 115 66 59 2.96
2010年 27 26 2 1 11 8 0 0 .579 148.0 32 121 84 72 4.38
2011年 28 26 4 1 18 5 0 0 .783 185.2 47 144 42 35 1.70
2012年 28 28 3 2 15 6 0 0 .714 186.0 40 121 47 41 1.98
2013年 25 25 1 0 13 9 0 0 .684 160.1 47 107 68 59 3.31
2014年 22 22 2 2 7 9 0 0 .438 144.2 36 105 51 51 3.17
2015年 5 5 0 0 2 1 0 0 .667 23.1 6 10 15 13 5.01
2016年 18 18 0 0 9 6 0 0 .600 107.1 22 81 47 47 3.94
2017年 12 12 0 0 2 7 0 0 .222 57.2 18 34 37 37 5.77
2018年 15 14 1 1 5 5 0 0 .500 82.0 19 56 38 38 4.17
2020年 西武 4 4 0 0 1 2 0 0 .333 19.0 6 12 12 9 4.26
2021年 2 2 0 0 1 0 0 0 1.000 7.0 5 3 6 6 7.71
2022年 5 3 0 0 0 1 0 0 .000 12.0 2 8 4 4 3.00
NPB:18年 335 318 28 12 135 104 0 2 .565 2007.0 519 1519 805 722 3.24

記録

登板 2004年5月25日 広島東洋カープ10回戦 サンマリンスタジアム宮城
奪三振 広島東洋カープ10回戦
栗原健太から
勝利 2005年4月9日 中日ドラゴンズ2回戦 東京ドーム
ホールド 2005年10月4日 広島東洋カープ21回戦
2006年4月15日 横浜ベイスターズ5回戦 横浜スタジアム
完封 2006年7月2日 阪神タイガース9回戦 東京ドーム
1000投球回 2010年9月15日 東京ヤクルトスワローズ21回戦 明治神宮球場
1000奪三振 2012年4月12日 中日ドラゴンズ3回戦
トニ・ブランコから
東京ドーム
100 2013年6月16日 福岡ソフトバンクホークス4回戦 福岡 ヤフオク!ドーム
1500投球回 2020年8月22日 オリックス・バファローズ11回戦 京セラドーム大阪
2000投球回 2022年5月7日 北海道日本ハムファイターズ7回戦 ベルーナドーム

タイトル・表彰・その他

タイトル
最多奪三振 1回 2007年
最多勝利 2回 2011年2012年
MVP 2回 2009年9月2011年5月
最優秀投手 1回 2012年
セ・パ交流戦MVP 1回 2012年
ベストナイン 1回 2012年
日本シリーズMVP 1回 2012年
最優秀バッテリー賞 1回 2012年阿部慎之助
その他
オールスターゲーム出場 5回 2006年2007年2010年-2012年
開幕投手 3回 2007年2010年2012年

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内海哲也

173 ななしのよっしん
2022/08/20(土) 01:34:37 ID: hqhm399y0j
内海さん、2022年8月15日に球団に今シーズン限りの引退を伝えました。
現時点でリリーフとして帯同しているけど、内海さんの名前が挙がった途端球場の雰囲気がガラッと変わりました。
これは内海さんでなきゃ出来ないことです。
ライオンズに来てくれて本当に嬉しいし、実際に投手良いしか与えなかったし、若手投手の一部の一本立ちの助してくれたので感謝しかありません。

巨人コーチとして戻るのは判り切っているので、せめて最低1~2年ライオンズコーチ修行積んで欲しい。
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174 ななしのよっしん
2022/08/20(土) 02:03:48 ID: I+tCgbObNe
最後の一行要るか?
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175 ななしのよっしん
2022/09/19(月) 15:33:36 ID: I+tCgbObNe
ナベUが会見と試合で泣いていたのが印的。
活躍できてなかったとったけど、立先生やってたんだろうな。
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176 ななしのよっしん
2022/10/01(土) 06:40:42 ID: hqhm399y0j
>>173
要るよ、巨人にかける思いも(内海さんファン歴に)判っているから。
ただね……ライオンズ移籍してからおかわり君こと中村剛也に抱きついてうりうりしてご機嫌な内海さんも忘れられないんだよ……。
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177 ななしのよっしん
2022/10/01(土) 12:35:35 ID: I+tCgbObNe
いつか二みたいに帰ってくるとは思うけど、正直それは原体制じゃなくていいと思うんだよ。
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178 ななしのよっしん
2022/10/10(月) 12:54:22 ID: uVjw88lH6i
ナベQからしていずれ巨人に戻るのをわかってて獲得に向かったとのことだけどここまで残ってくれるのは本当に嬉しい
巨人ファン内海さんを人格者と称える理由がわかりました
西武防御率が良くなったし、兼任から専任になってますます内海さんへの応援に熱が入ります
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179 ななしのよっしん
2022/10/15(土) 18:54:28 ID: QdIOhKOJrR
>>177
原がいる間はしこりがあって理だな。新聞はしこりないと報道してるが、阿部になってから行ったほうが良いでしょ。今は原が手柄を一人締めみたいなチームだし、堀内が大っぴらに西武にいたほうが良いの助言は余程でしょ。
西武の流れ次第だけど監督まで上れたら、成り上がりで面いんだけどな
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180 ななしのよっしん
2022/10/15(土) 18:58:07 ID: mYr9vOsgq5
違反球専の割に慕われてるあたり、人柄は良いんだろうな
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181 ななしのよっしん
2023/10/06(金) 14:46:09 ID: I+tCgbObNe
阿部体制になってから巨人に戻ることになったな。
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182 ななしのよっしん
2024/01/18(木) 22:04:52 ID: Ti9DE9irYp
内海が今年から古巣にコーチで復帰するが、FAでの人的保障で巨人を出る原因となった炭谷銀仁朗が、今年から埼玉西武ライオンズに復帰w
球団のローテーションじゃねーかw
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