単語記事: 初月

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初月(はつづき/しょげつ)とは、

  1. 初めの、転じて1月の意味。
  2. で、そのの初めに出る。新三日月とも。特に陰8月初めのす。
  3. 大日本帝國海軍に所属した秋月駆逐艦四番艦初月。2に由来する。読み方は「はつづき」。
  4. ブラウザゲーム艦隊これくしょん」に登場する、3をモチーフにした艦娘初月」。詳しくは→初月(艦これ)

である。本項では3について記述する。

戦歴

秋月駆逐艦四番艦として建造され、レイテ沖海戦で沈没した「初月」だが、その壮絶な最期が印的なためミリオタの間では知られた存在となっている。

駆逐艦初月」は、1939年に策定された軍軍備充実計画の一等駆逐艦107号として建造が決定。
1941年7月25日に舞で起工、1942年3月1日駆逐艦初月」と命名。4月3日に進し、12月29日工した。艦長には田口正一中佐が着任。横須賀鎮守府に編入され、同日に工した姉妹艦「」も編入されている。「」とは二の僚艦として戦場を駆け抜けて行く事となる。ちなみに当初は19435月工する予定だった。

戦前の1941年9月22日に内示された軍戦時編制によれば、姉妹艦「秋月」「照」とともに空母鳳翔」を基幹とした第七航空戦隊を編成する予定だったが、実現前に大東亜戦争が勃発したため頓挫した。

秋月駆逐艦四番艦となった「初月」だが、工した時点での「照」が既に撃沈されており姉妹全員が肩を並べる事はかった。諸元は排水量2701トン、全長134.2メートル、全幅11.6メートル、速33ノット、5万2000駆逐艦としては非常に大で、巡洋艦と見まごう巨体を持っていた。
ここまで船体が巨大化したのは、空母に付随して対戦闘ができるだけの航続距離められたからである。
秋月が擁する高は当時世界最新鋭の対で、電動式だった。給弾も半自動化しており、その航空隊が「不用意に近づくな」と警した程である。

19431月5日、第10戦隊第61駆逐隊に配属。1月7日、追加の工事を終えて舞を出港。横須賀へ向かうが、中の16日未明に潜「ハダック」を発見する。しかし艦長が撃を命じる前に敵は潜航し、取り逃してしまった。
事に横須賀へ入港した「初月」は2月19日トラックから佐世保へ向けて回航中の水母日進」や駆逐艦時雨」の出迎えを行う。その後は3月下旬まで本土近の警備任務に従事。3月9日、関門峡で触底事故を起こしで修理を行う。

3月22日駆逐艦陽炎」「」「夕暮」とともに空母隼鷹」「飛鷹」の護衛任務に従事し、佐伯を出港。トラックに寄港後、カビエンに物資を輸送する。4月3日カビエン付近のメウエパッセージ港に退避した重巡「青葉」を攻撃する3機のB-17と交戦。炎上する「青葉」から乗員を救助している。戦闘終了後の翌日、ラバウルへ寄港。

5月17日軍甲事件で殉職した山本五十六令長官の遺を乗せた艦隊がトラックを出港。その護衛として初月も一緒に出港し、22日に横須賀へ入港。その後は瀬戸内に回航され、訓練に勤しむ。

7月8日南海第四守備隊を乗せた重巡「利根」や水母日進」を護衛して本土を出撃。暗号を解析した米軍潜水艦2隻に待ち伏せさせるも魚雷は命中せず、艦隊は恙くラバウルへ入港。7月22日、「」とともにブカへ兵員455名を輸送している。輸送後はトラックへ帰投。
8月8日、第五戦隊を護衛してラバウルへ入港。輸送してきた第三南海守備隊を揚陸した。15日、後に「初月」の最期に関わる(秋月駆逐艦六番艦)の「若」が第61駆逐隊に編入される。

19439月トラックに停泊していた「初月」は、第61駆逐隊の一員としてZ作戦への参加が決まる。
Z作戦とは、没で通り魔的に日本軍拠点を襲していく敵機動部隊に対し艦隊決戦を挑む作戦の事で、「翔鶴」「瑞鶴」「金剛」「榛名」といった有な艦が戦に組み込まれていた。連合艦隊の総を結集した艦隊は9月18日トラックを出撃。敵をめて東進したが、これを察知した艦隊は引き上げてしまい会敵できなかった。艦隊は23日に一度トラックへ帰投した。
10月5日機動部隊がウェーキ襲。暗号の解析で、近いうちに米軍が作戦を開始すると推察した古賀長官は再び出撃を命じ、Z一号作戦が発令。17日に艦隊はトラックを出撃した。ところが艦隊はハワイに停泊している事が偵察機の報告で判明し、振りに終わってしまった。26日、作戦終了。重な燃料を駄にしただけだった。

11月10日、輸送任務で立ち寄ったクェゼリン環礁にて「初月」は、襲によって大破した輸送船「東京丸」の救助を命じられる。現場に急行した「初月」だったが、損傷の度合いがしい「東京丸」は浸も酷く、航する事もわないまま沈没してしまった。その翌日、ラバウルからトラックへ退避する軽巡「阿賀野」が潜「スキャンプ」の撃により航行不となる。「阿賀野」を救うため「初月」も護衛戦に選ばれ、僚艦7隻とともに「阿賀野」を護衛。事にトラックまで送り届けた。続く20日、クェゼリン環礁やエニウェトク環礁へ物資を輸送する輸送作戦に従事。作戦終了後の12月7日、重巡「筑摩」や空母瑞鶴」の護衛をして内地へ帰投する。

194312月24日広島品を出港したあと「」とともに「赤城丸」を護衛。ウェーキへ向かう。1944年1月1日到着。続いて1月15日、再びウェーキへ向かう「赤城丸」を護衛するが僚艦の「」が潜「スタージョン」の撃により大破。作戦中止となり、「」を航する。「赤城丸」は「初月」に護衛されて横須賀に入港した。

僚艦が離脱してしまった「初月」だったが任務は続き、2月6日には「筑摩」「瑞鶴」「翔鶴」を護衛してシンガポールへ向かう。3月15日シンガポールを出港し駆逐艦「若」とともに一度へ帰投。20日、第61駆逐隊天野大佐が座乗。戦隊旗艦となる。28日に物資を積載してを出港。再びシンガポールへ向かっている。この時、装甲空母大鳳」を護衛した。4月リンガ泊地で対潜掃討と発着艦訓練を行う空母の警備艦を担当する。
5月15日、あ号作戦従事のためタウイタウイ泊地へ進出。湾外の対潜掃討を行い安全確保に努める。

6月19日マリア戦に参加。「大鳳」の護衛につくが、速「大鳳」は潜「アルバコア」から魚雷を喰らう。「初月」は、の「秋月」とともに「アルバコア」を追撃するため艦隊より分離。追い詰める事に成功するが、結局逃げられてしまった。被から約6時間後、「大鳳」は沈没してしまう。
次に「初月」は「瑞鶴」の護衛につき、機3000発以上と189発を撃って奮戦。「瑞鶴」を守り通した。戦終了後の6月24日、本土へ帰還。その途中に立ち寄った沖縄の中湾にて、「初月」は「瑞鶴」に対し数トンの給油を行っている。その後はしばらく本土近で護衛任務に従事。7月23日連合艦隊から上護衛隊に貸し出された「初月」は、南方方面に向かう輸送船団の護衛に従事する。
8月1日、約2ヶ前に撃沈された夕雲駆逐艦風雲」の艦長、橋本中佐が二代艦長として着任。

余談だが、8月25日にはあの幸運艦雪風」と対潜訓練する機会を得ている。

最期の突撃

1944年10月20日小沢艦隊の一員として豊後を出撃。「瑞鶴」を護衛しつつレイテの決戦に参加するためフィリピンへと向かう。24日に戦艦伊勢」等とともに夜襲を仕掛けようと試みるが会敵せず本隊へ復帰。
そして10月25日米軍機が大挙して襲来する。小沢艦隊はしい攻撃を受け、次々に艦が脱落していく。空母群から飛び上がった18機の直掩機がいたが、米軍機の攻撃で12機にまで減少。敵の第二波攻撃が終わると、これらの直掩機は燃料切れで着。「初月」はパイロットを回収した。

14時14分、旗艦の瑞鶴が沈没。空母全滅させてもなお続く敵機の攻撃をさばきながら、に投げ出された瑞鶴乗員866名を軽巡「五十鈴」や駆逐艦「若」とともに救助した。しかし空母を全て仕留めた米軍の次なる標的は「初月」「五十鈴」「若」の3隻であった。
18時40分、デュボース少将率いる巡洋艦隊が3隻を攻撃。ついに戦端が開かれた。「初月」は煙幕ってジグザクに航行、攻撃を振り切ろうとするもレーダーを標準搭載している艦隊には意味だった。追っ手として差し向けられた敵の戦は、重巡2隻、軽巡2隻、駆逐艦12隻の計16隻。圧倒的な戦差でこのままでは全滅は必至。ここで「初月」は大きな決断を下す。

、艦載内火艇収容のため引き返す」

手旗信号で僚艦に意思を伝えると、「五十鈴」「若」を逃がすため「初月」は反転、単艦で16隻の敵艦に突撃を開始した。時刻は19時しており、辺りは暗くなりつつあった。宵闇に隠れながら「初月」はデュボース艦隊に接近。魚雷の発射体勢を取り、敵艦隊に回避を強要する(しかし先の襲の際に魚雷を投棄してしまっている)。精鋭のデュボース艦隊は魚雷攻撃を警して回避運動に徹し、懐に入られないよう9隻の駆逐艦で行動を妨。そこから包み込むように軽巡と重巡による撃と、隙のい必殺の構えで「初月」を圧倒する。対する「初月」も巧みな回避運動を実施し、米軍のレーダー射撃を不満足なものにした。敵駆逐隊から一斉に放たれた魚雷も回避している。撃を受け、火災が発生するも「初月」は怯むことなく踏みとどまり続けた。この炎を遠巻きに見た僚艦は「初月」が沈没したと思ったという。

攻撃を回避しながらも「初月」は反撃し、最新鋭の高に撃ちながら攻め立てる。弾の破片で重巡「ウイチタ」乗員一人が負傷した。しかし逃げながらの反撃だったためか思うように命中弾は出なかった。一方、包囲するデュボース艦隊では「初月」を阿賀野巡洋艦と誤認していたようで、駆逐艦相手の割には及びな射撃を軽巡「サンタフェ」に示している。
五十鈴」「若」が米軍のレーダーから離脱したのを確認した「初月」は北上し、自身も撤退を開始する。そんな「初月」に20時12分、駆逐隊撃と撃を開始。

1時間もの間、16隻からの攻撃を回避し続け、艦隊を翻弄する「初月」。ところが彼距離5400メートルになったところで軽巡「サンタフェ」が照明弾を上げる。これにより集中攻撃を受け、「初月」の速20ノットに低下。
20時36分、デュボース少将は重巡「ウイチタ」に「9000メートルから攻撃しろ」「可なら前進して攻撃せよ」との示を下す。なおも動き回る「初月」だったが、20時45分に浴びた命中弾が致命傷になり、ついに航行不となる。

そして突撃から2時間後の21時、ついに「初月」は爆発炎上。その身をへと没していったが、沈没する寸前まで撃を繰り返していたという。
初月」が命がけで稼いだ2時間は、味方の撤退を了させた。まさに獅子奮の活躍と言えるだろう。

沈没していく「初月」を見て、米軍は初めて敵が駆逐艦であると気づいた。秋月駆逐艦の中でも大で、米軍巡洋艦クラス阿賀野夕張青葉などが交戦中の敵艦(初月)の補に挙がっていたようだ。 (ただし「Terutsuki class destroyer」というほぼ正確な予測も補として挙がっており、全ての艦艇が誤認をしていたわけではない。)
この戦闘で巡洋艦が放った徹甲弾1200発以上。2時間近く足止めされた挙句、燃料も弾薬も消費した艦隊は小沢艦隊追撃を断念。レイテに引き返さざるを得なかった。敵の正体が駆逐艦だと知ったデュボース少将は「断腸の思いだ」といたと言う。たかだか駆逐艦1隻のためにここまで振り回されたのだから彼の心は複雑だっただろう。戦いの舞台となったエンガノは、スペイン語で「詐欺」を意味する。

1944年12月1日第61駆逐隊は解体され、「初月」も12月10日に除籍された。
初月」の乗員は後述の内火艇に乗っていた者を除き、全員が戦死。このため「初月」の突撃は全て米軍から記録されたものである。

突撃後

突撃前、「瑞鶴」乗員を救助するため1隻の内火艇が「初月」を離れた。この内火艇は回収されず、「初月」突撃後もに浮いていた。乗っていたのは「初月」と「瑞鶴」の乗員約40名。しかし運が悪いことに内火艇エンジンが故障しており、彼らは漂流していた。や食糧は一切く、雨水や小便まで飲んで生きながらえた。中には発狂し、を飲んで死亡した人もいたという。

黒潮の流れに乗って、北へ北へと流された内火艇21日の漂流を経て、台湾頭嶼という孤に流れ着く。ここでようやく救助され、「初月」乗員8名と「瑞鶴」乗員19名が助かった。

当然ながら、彼らは「初月」最期の突撃には参加していない。

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読み:ハツヅキ
初版作成日: 16/02/12 17:03 ◆ 最終更新日: 16/07/17 19:22
編集内容についての説明/コメント: 突撃後を追加
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初月について語るスレ

1 : ななしのよっしん :2016/02/13(土) 10:04:35 ID: W4bFxgoX9D
初月駆逐艦)でも書けばいいんじゃね
2 : ななしのよっしん :2016/02/17(水) 21:35:53 ID: M8cZ2LAWdk
史実読ませてもらったがまさに獅子奮の戦いをしたんだな……
すごく育てたくなったよ
3 : ななしのよっしん :2016/02/18(木) 14:37:45 ID: 0XY07vSBjh
もし初月反転して敵を食い止めなかった場合、五十鈴・若初月は確実に全滅
よしんば小沢本隊と合流できても、敵の大部隊を本隊まで案内してしまう事になり、
さらに被が拡大した可性が高い。下手したら小沢艦隊全滅もありえた。

こう考えると初月は武勲艦以上の働きをしたと言える。
4 : ななしのよっしん :2016/02/27(土) 04:06:49 ID: J9YPhKxlzi
絵ぐらいあるかなと思って飛んできたから拍子抜けした
まあまだイベント中だし持ってない人もいるんだろうな・・・
5 : ななしのよっしん :2016/02/28(日) 14:22:01 ID: HjV0bdG/F9
戦争末期にも関わらず、に戦術的勝利(初月撃沈)、
戦略的敗北(小沢艦隊追撃断念)を強いた戦闘艦の鑑。
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