前田利家とは、日本の戦国時代の武将(大名)である。
ガチムチでロリコンという強者。
概要
1539年(1537年説もあり)生まれ。幼名犬千代。通称又左衛門。
男性の平均身長が157cm程度の時代に6尺(約182cm)を誇る類稀なる恵まれた体格の持ち主。
現代日本に直せば平均170cmに対して197cmくらいの感覚であろうか。
現代に産まれていたら新日暮里パレスを築いていたかもしれない。
傾奇者の前田慶次は義理の甥(ただし、慶次と同年代もしくは慶次の方が若干年上らしい)。
小姓として織田信長に仕える。というか一種のワル仲間で、主君と二人で大いに傾奇まくったとか。
その頃信長にアッー!されたらしい。加賀藩(利家が藩祖である)の書物に記載されているので信憑性は高い。
1558年にまつ(後の芳春院)と結婚。
まつは1547年生まれなので数えでも12歳、現在使われている満年齢だと11歳でしかない。
政略結婚などにより、幼くして結婚する事例は他にも多数見られ(伊達政宗×愛姫、豊臣秀頼×千姫など)、
当時でもごく当たり前だったが、それだけでは終わらせないのが利家。なんと翌年にも早くも、まつは長女・幸を出産。
ちなみにこの年、利家数え(21)、※数え年、1539年説よりまつ数え13歳(現代で言うと小6)。
これではロリコンだと言わざるをえない。
なお、まつは3年後には嫡男の前田利長を出産、その後も2男9女(異説あり)と計11人の子供を産んで育て上げている。
日本史の人物中、最年少出産ならびに最多出産であることには間違いないだろう。
その後信長お気に入りの茶坊主を斬って出奔したり戻ってきたりしている。
武将として活躍し、「槍の又左」の異名をとる。
信長死後は重臣の柴田勝家と羽柴秀吉とが対立、当初勝家側についていたが賤ヶ岳合戦後に秀吉に仕える。
秀吉の天下統一を助けて加賀百万石の基礎を築いたりする。
秀吉政権下の五大老の一として重きをなすが、秀吉没の翌年(1599年)後を追うように病死。
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読み:マエダトシイエ
初版作成日: 09/01/16 13:02 ◆ 最終更新日: 10/12/29 17:20
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