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単語記事: 劉備

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劉備とは、三国志に登場する群雄の一人である。字は玄徳。のちにを建しその初代皇帝となる。

三国志演義で描かれる人君子としてイメージが一般的。但し演義における妖怪のような容姿表現(肩まで垂れ下がるとか膝の下まで届く腕とかをつけたような唇とか)は結構な数の作品でスルーされる。再現されたら怖そうだが。

人物・評価など

高祖(劉邦)の血を引くと自称しているが明らかではない(三国志演義では当時の皇帝の前で事実であると認められた)。とは言え、後継のために分のようになっていたのも事実であり、姓を名乗っている時点での末裔として十分な資格がある可能性は高かったのである。上記のように皇帝の末裔であるという名があったため、(曹操孫権などにべれば相当な身分である)魅は高かったであろう。

中原を制した曹操からも「下に英雄は君と余だけだ」(先伝本文)「劉備はわしと同等だ。ただの方が少しだけ策を考えつくのが遅いにすぎん」(武紀注・山陽載記)と最大級の評価をされている。

また、人物眼が鋭く人材の扱いに秀でている。
無名の諸葛亮龐統を用い、法正ら性格に問題のある人物も重鎮としてを発揮させ、魏延鄧芝馬忠、楊儀ら次代を担う将を抜擢した。秀才と言われていた馬謖の危うさを見抜いて重用しないように言い残したことでも知られる。

ころころと君を変えており、それゆえに一部からは良い意味で悪い意味でも相当な人物であると思われていた。ただ、軍師たる存在がなかったのも1つの理由ではあるともいわれている。

劉備の放浪歴(演義含む)
エン配下→孫讃配下→陶謙配下→徐州で自立→呂布配下→曹操配下→徐州で自立→(下に続く)
  →袁紹配下→劉表配下→荊州南部で自立→益州獲得,成都を本拠地に

 

流浪の人生夷陵の戦いでの敗戦から戦下手と思われがちである。曹丕劉備を「戦を理解していない」と批判したとされる。もっとも滞在した大半の勢で最前線を任されていることや曹丕はあまり軍事で成果を挙げられていない人物であることからすれば、関羽張飛抜きでもその戦闘経験は重宝されていたと考えられる。

概要 (ほぼ演義準拠)

関羽張飛桃園の誓いにて義兄弟となり、後漢末期の群雄が乱立している中を各地を放浪しながらも生き延び、やがての地にてし、三立を成し遂げた英雄

旗揚げ~放浪時代

歴史上の始めての登場は、黄巾の乱の際に義勇軍として後漢帝国に味方したこと。続く董卓の専横の際にも関羽張飛と共に諸侯連合軍に参加し、虎牢関にて呂布戦を繰り広げる。その後、曹操が私怨のために徐州へ侵攻するに当たって他の諸侯が見殺しにする中、援軍として現わる。その行動に感銘を受けた前任者(陶謙)の病死に伴い、そのまま州の長官の座を譲られる。しかし、流浪していたところを保護した呂布に裏切られ、徐州を奪われてしまう。一時は呂布と和したもののすぐに決裂。劉備後漢皇帝を有し、大勢に成長していた曹操の下へ落ち延びる。曹操と協して呂布を打ち倒すことに成功し再び徐州を有するが、後漢皇帝から曹操暗殺の密勅が託されているのが判明すると、やはり曹操に攻められ今度は河北の大勢袁紹の元へ身を寄せる。

諸葛亮との出会い~赤壁以前

袁紹曹操に敗れると、次は荊州の劉表に保護をめる。ここには長く駐留し、三顧の礼をもって諸葛亮孔明)を軍師として迎え入れることにも成功する。曹操軍が南下を始めると劉表亡き後の荊州は戦わずして降伏。劉備は逃亡を試みるが、彼を慕ってついてきた民衆を捨て置くことはできず、長坂の戦いで大きな被を出した。だが、彼自身と要な臣は生き延び、江東に一大勢を築いていた孫権と同盟を結ぶことに成功する。

赤壁~蜀入り

更なる南征を続ける曹操に対して、孫権赤壁の戦いにてこれを打倒。この勝利に乗じた劉備曹操に追撃をかけ、戦果を上げる。さらに荊州南部を攻略することにも成功し、ようやく自分の地盤を手に入れることに成功する。
しかし、孫権は荊州は曹操を打ち破った自分のものになるべきものだと考えており、関係は悪化。劉備は新地としての地にを向ける。おりしも中の魯に悩まされていた劉備に援軍を要請し、劉備に入ることになる。劉備は有臣を失いながらもを攻略。新たな地盤とする。ここに下三分がほぼ完成した。

漢中奪取~皇帝就任

の玄関ともいえる中の地は曹操の勢下になっていたが、これを奪取。さらに曹操王を名乗っていたことに対抗して中王を自称。これは前漢を建した劉邦に倣ったものである。しかし、その頃荊州は孫権の臣下呂蒙により攻略され、義関羽を失うことになってしまう。その後、曹操が逝き、息子曹丕後漢皇帝から皇位を簒奪するとこれに対抗する形で皇帝に就任。の初代皇帝となる。

夷陵の戦い~崩御 

関羽の復讐と荊州奪還を的として孫権下の荊州に出兵するものの、陸遜の火計により夷陵の戦いに大敗。結局荊州は完全にのものとなってしまう。この敗戦で受けた衝撃は大きかったらしく、逃げ込んだにて逝去する。その際元に諸葛亮を呼び、息子達との後事を任せた。このとき、『息子に才がなければ君が皇帝になれ』といったといわれている。

漫画・ゲームの劉備

横山光輝三国志

人君子として描かれる最もベーシック劉備像。アニメ版も同じ。「大」は描かれていない。

蒼天航路

義侠の親分として登場。言葉遣いは荒い。一人称は「おいら」。関羽を「関さん」と呼ぶ。

片山まさゆき「SWEET三国志」

基本的に無能な小心者として描かれており、たびたび関羽らに突っ込みがてらボコボコにされる。

本宮ひろ志「天地を喰らう」

元は単なる悪ガキであったが、悪の肝を食らったことで下第一の豪胆さを身につけた、という設定。
漫画その物は、彼が一として独立する前に打ち切られている。 

ランペイジ

南華老仙の元で修行を積んだ女性。ちなみに本作の主人公張飛

恋姫無双

1作では登場せず、主人公劉備の立ち位置となる。2作の「・〜」では、他の武将と同様に女性として描かれている。

覇-LORD-

倭人に殺され。以後、その倭人が劉備と名乗り様々な豪傑と戦っていく。

BB戦士三国伝

SDガンダムシリーズのひとつ。かつて武者ガンダムがあったがそれの三時代版ととらえてよい。話の多くは三国志と異なっている。本作における劉備ガンダムSDガンダム主人公としての色が濃く、民のため正義に燃え戦う若者としての一面が強調されている。
また作品が作品だけに三国志ものとしては作中屈の戦闘を持つ劉備でもあり、曹操呂布を始めとする強敵達と死闘を繰り広げることも多い。
アニメ版では活躍の少なさなどから主人公(笑)などと言われることもあったが、赤壁の戦いにおける気合入りすぎなへのパワーアップシーンでは多くのファンをうならせた。
なお、プラモのランナーにちなんでよく「ホンタイ」という称でも呼ばれている。
演者はRX-78-2ガンダム

ゲーム・コーエー三國志シリーズ

は多くの作品で99(基本MAX100)と設定されている。中期シナリオでは大勢になっているが、前半シナリオでは配下に関羽張飛とごくわずかな人数しかいないことも多く、滅亡しやすい。最近の作品でのシナリオ英雄集結では悪な面子を揃えた最強の軍であり、オートで動かすと大抵勢が拡大するため「自重しない劉備軍」などと言われる事も。

三國無双

の君として全作品に登場。武器は4までが片手剣。5では三国志演義準拠の双剣となった。
無双OROCHIでは人質として捕らえられており、一度ゲームクリアしないと使えない。

ゲーム・セガ「三国志大戦」シリーズ

スタンダードな英傑号令「劉備の大徳」にはじまり、ハイリスクハイリターンな「桃園の誓い」など、劉備は特に多くのカードが作られているため、具体的なカード紹介や内容は割する。

なお、「三国志大戦2」に登場したLE劉備(ランペイジ)は現在も高値で取引されている人気カードである。

関連商品

DVD

漫画

ゲーム

おもちゃ

補足

コーエー三國志シリーズにおける劉備一覧
人を惹きつける魅はほぼ毎回トップを維持している。VIIIでは魅No.1の座を張角に譲り渡しているが。
それ以外のは以外にも万と言っても差し支えない。だが11のチュートリアルでは諸葛亮に「器用貧乏」と一蹴されている。

一覧 統率 政治 身体 運勢
三國志 63 95 99 85 71
三國志II 70 85 99
三國志III 68 78 82 99 60 29
三國志IV 60 72 76 85 99
三國志V 79 77 80 99
三國志VI 85 75 70 78 99
三國志VII 82 80 76 98
三國志VIII 70 71 78 98
三國志IX 75 74 73 78
三國志X 78 72 73 78 99
三國志11 75 73 74 78 99

 

 

 

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関連項目

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ページ番号: 474138 リビジョン番号: 1189850
読み:リュウビ
初版作成日: 08/08/18 23:00 ◆ 最終更新日: 11/06/01 21:13
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劉備について語るスレ

100 : ななしのよっしん :2012/03/10(土) 00:14:25 ID: 3apkPPAWxf
>>99
繇…高祖劉邦の孫、斉孝王の末裔。
曄…世祖秀の子、阜陵質王の末裔。
豹…元々は姓ではなく、化したのちに姓を名乗る。
姓を名乗ったのは、先祖が前漢と姻戚関係にあったから。

バカをさらけ出すのもいいけど、少しは勉強してから書き込んだらどうですか?

101 : ななしのよっしん :2012/03/10(土) 11:28:25 ID: 7jCMIq2oav
>>99
ちなみに荊州のである劉表も、前漢の子孫だよ。
102 : ななしのよっしん :2012/03/10(土) 17:16:19 ID: Ewpuzu+L3T
たしか豹の子供だっけ司馬氏の西潰したのは?
豹は匈族の混血っぽいが、そう言う雑種民族は三国志のあたりから増えてきて南北末期になるとほぼ純粋な族はもう絶滅してるぽっい。
103 : ななしのよっしん :2012/03/10(土) 21:14:56 ID: 3apkPPAWxf
>>101
益州牧劉表と同じの子、魯王の末裔ですね。
>>102
後漢末から混血はそれなりにいたみたいですけど、やっぱりほぼ混血になったのは十六~南北の動乱が原因でしょうね。
隋・唐の室も族ではなくて鮮卑系のようですし…
少なくとも、楊広と淵は匈との混血ですしね。
104 : ななしのよっしん :2012/03/12(月) 04:13:27 ID: 3lccpQxd19
>>90
3代だろ?
105 : ななしのよっしん :2012/04/17(火) 05:40:26 ID: Vxx0V43E15
いまBSやってる三国志ドラマがけっこうおもしろかった。
袁術袁紹も誰も兵を出してくれないのに、劉備だけが助けに来てくれたから
大感して徐州を譲りたくなるのもわかるなあ、と納得してしまった。
意識して信義守る姿を示そうとする劉備は、すごく計算高くも見えたけどw
106 : ななしのよっしん :2012/04/28(土) 19:22:53 ID: 2Zg05Jt+RZ
>>102
遺伝子学では民族が丸ごと入れ替わってるのが明されてる
の時代の民族の子孫で現代まで続いているのは客の一部だけ
けどどんな民族も中国に入ると大抵同化されてるのは(血統ではなく文化・慣習・制度の同化)凄いな
107 : ななしのよっしん :2012/05/06(日) 09:28:24 ID: Ewpuzu+L3T
そう言う意味じゃ同化されなかったモンゴル人は凄いな。
流石朝鮮から東ヨーロッパまで占して
人も族もみんな奴隷にしてしまった事はある。
108 : ななしのよっしん :2012/05/11(金) 11:40:31 ID: oMLDZmddvg
北欧ヴァイキングもそうだな、侵略した先の文化に逆に吸収されていった

」という姓があの時代において政治的に相当価値ある物で
それを劉備とその取り巻きが最大限に活用した、実際の血筋はともかくね
曹操が「操」だったらあそこまで下準備して尚且つ倅の代に「譲」という茶番をする必要が無かったしな
対して劉備はその曹丕位に付いたときに室の血を絶やさぬためと名だけであっさり僭称出来た

それは時代が下って淵が西から独立した時に名を「」とした事でも分かる、最も淵自身は匈の人間だと言う事は誰でも知っていたけどね、
単に自分達の祖先を征して隔離した民族に対しての復讐と当て付けと言う意味での僭称だから政治的にあまり大きな意味は無い
109 : ななし :2012/05/27(日) 09:31:09 ID: +3axYlbdWV
中山靖王勝には50人もの子供がいたそうだ。
それから300年後、子孫は万単位でいてもおかしくないともいえる。

仮に劉備大嘘つきなら、あえて勝の子孫を名乗ったのかも。
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