単語記事: 劉備

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劉備とは、三国志に登場する群雄の一人である。字は玄徳。のちにを建しその初代皇帝となる。

三国志演義で描かれる人君子としてのイメージが一般的。但し演義における妖怪のような容姿表現(肩まで垂れ下がるとか膝の下まで届く腕とかをつけたような唇とか)は結構な数の作品でスルーされる。再現されたら怖そうだが。

人物・評価など

高祖(劉邦)の血を引くと自称しているが明らかではない(三国志演義では当時の皇帝の前で事実であると認められた)。とは言え、後継のために分のようになっていたのも事実であり、姓を名乗っている時点での末裔として十分な資格がある可性は高かったのである。ご先祖が子供50人、孫含めると120人も作ったという絶倫野郎だから。上記のように皇帝の末裔であるという名があったため、(曹操孫権などにべれば相当な身分である)魅は高かったであろう。

中原を制した曹操からも「下に英雄は君と余だけだ」(先伝本文)「劉備はわしと同等だ。ただの方が少しだけ策を考えつくのが遅いにすぎん」(武帝紀注・山陽載記)と最大級の評価をされている。

また、人物眼が鋭く人材の扱いに秀でている。
名の諸葛亮龐統を用い、法正ら性格に問題のある人物も重鎮としてを発揮させ、魏延鄧芝馬忠楊儀ら次代を担う将を抜した。秀才と言われていた馬謖の危うさを見抜いて重用しないように言い残したことでも知られる。

ころころと君を変えており、それゆえに一部からは良い意味で悪い意味でも相当な人物であると思われていた。ただ、地方に勢れる血縁的な後ろ立てに乏しく、また、大局的な身の振り方を考える参謀の存在がなかったの理由ではあるともいわれている。

劉備の放浪歴(演義含む)
エン配下→孫讃配下→陶謙配下→徐州で自立→呂布配下→曹操配下→徐州で自立→(下に続く)
  →袁紹配下→劉表配下→荊州南部で自立→益州獲得,成都を本拠地に

 

流浪の人生夷陵の戦いでの敗戦から戦下手と思われがちである。曹丕劉備を「戦を理解していない」と批判したとされる。お前が言うな しかし、彼が正面から敗退したのは、夷陵の戦いぐらいで、その他では徐州の留守呂布の裏切りにあったことや、曹操本人の率いる大軍の前に「衆寡敵せず」のような状況に陥った場合が大半である。

敵より少ない数でも袁術とは互に渡り合い、曹操派遣された岱、王忠を徐州で、蔡陽を南で、夏侯惇于禁を荊州で撃破している。もちろん、戦が充実し始めてからの荊州南部定、益州奪取、中奪取などの短期間の勢拡大は言うまでもない。

本来、本当に戦下手であるならば、身を寄せた勢の中で芽が出るはずもなく、それらの勢で最前線を任されていることからすれば、関羽張飛抜きでもその戦闘経験は良く言えば重宝されていた、悪く言うなら利用されていたと考えられる。

概要 (ほぼ演義準拠)

関羽張飛桃園の誓いにて義兄弟となり、後漢末期の群雄が乱立している中を各地を放浪しながらも生き延び、やがての地にてし、三立を成し遂げた英雄

旗揚げ~放浪時代

歴史上の始めての登場は、黄巾の乱の際に義勇軍として後漢帝国に味方したこと。続く董卓の専横の際にも関羽張飛と共に諸侯連合軍に参加し、虎関にて呂布戦を繰り広げる。その後、曹操が私のために徐州へ侵攻するに当たって他の諸侯が見殺しにする中、援軍として現れる。その行動に感銘を受けた前任者・陶謙の病死に伴い、そのまま州の長官の座を譲られる。しかし、流浪していたところを保護した呂布に裏切られ、徐州を奪われてしまう。一時は呂布と和したもののすぐに決裂。劉備後漢皇帝を有し、大勢に成長していた曹操の下へ落ち延びる。曹操と協して呂布を打ち倒すことに成功し再び徐州を有するが、後漢皇帝から曹操暗殺の密勅が託されているのが判明すると、やはり曹操に攻められ今度は河北の大勢袁紹の元へ身を寄せる。

諸葛亮との出会い~赤壁以前

袁紹曹操に敗れると、次は荊州の劉表に保護をめる。ここには長く駐留し、三顧の礼をもって諸葛亮孔明)を軍師として迎え入れることにも成功する。曹操軍が南下を始めると劉表亡き後の荊州は戦わずして降伏。劉備は逃亡を試みるが、彼を慕ってついてきた民衆を捨て置くことはできず、長坂の戦いで大きな被を出した。だが、彼自身と要な臣は生き延び、江東に一大勢を築いていた孫権と同盟を結ぶことに成功する。

赤壁~蜀入り

更なる南征を続ける曹操に対して、孫権赤壁の戦いにてこれを打倒。この勝利に乗じた劉備曹操に追撃をかけ、戦果を上げる。さらに荊州南部攻略することにも成功し、ようやく自分の地盤を手に入れることに成功する。
しかし、孫権は荊州は曹操を打ち破った自分のものになるべきものだと考えており、関係は悪化。劉備は新地としての地にを向ける。おりしも中の張魯に悩まされていた劉備に援軍を要請し、劉備に入ることになる。劉備有能臣を失いながらも攻略。新たな地盤とする。ここに下三分がほぼ完成した。

漢中奪取~皇帝就任

の玄関ともいえる中の地は曹操の勢下になっていたが、これを奪取。さらに曹操王を名乗っていたことに対抗して中王を自称。これは前漢を建した劉邦に倣ったものである。しかし、その頃荊州は孫権の臣下呂蒙により攻略され、義関羽を失うことになってしまう。その後、曹操が逝き、息子曹丕後漢皇帝から皇位を簒奪すると、これに対抗する形で皇帝に就任。の初代皇帝となる。

夷陵の戦い~崩御 

関羽の復讐と荊州奪還を的として孫権下の荊州に出兵するものの、陸遜の火計により夷陵の戦いに大敗。結局荊州は全にのものとなってしまう。この敗戦で受けた衝撃は大きかったらしく、逃げ込んだにて逝去する。その際元に諸葛亮を呼び、息子達との後事を任せた。このとき、『息子に才がなければ君が皇帝になれ』といったといわれている。

漫画・ゲームの劉備

横山光輝三国志

人君子として描かれる最もベーシックな劉備像。アニメ版での声優中村大樹が担当。「大」は描かれていない。

蒼天航路

義侠の親分として登場。言葉遣いは荒い。一人称は「おいら」。関羽を「関さん」と呼ぶ。

片山まさゆき「SWEET三国志」

基本的に無能な小心者として描かれており、たびたび関羽らに突っ込みがてらボコボコにされる。

本宮ひろ志「天地を喰らう」

元は単なる悪ガキであったが、悪の肝を食らったことで下第一の胆さを身につけた、という設定。
関羽張飛に勝るとも劣らない傑であり、呂布との戦いは全員に戦っている。
漫画その物は、彼が一として独立する前に打ち切られている。 

ランペイジ

老仙の元で修行を積んだ女性。ちなみに本作の主人公張飛

恋姫無双

1作では登場せず、主人公劉備の立ち位置となる。2作の「・〜」では、他の武将と同様に女性として描かれている。

覇-LORD-

倭人に殺され。以後、その倭人劉備名乗り様々な傑と戦っていく。

BB戦士三国伝

SDガンダムシリーズのひとつ。かつて武者ガンダムがあったがそれの三時代版と捉えてよい。話の多くは三国志と異なっている。本作における劉備ガンダムSDガンダム主人公としての色が濃く、民のため正義に燃え戦う若者としての一面が強調されている。
また作品が作品だけに三国志ものとしては作中屈戦闘力を持つ劉備でもあり、曹操呂布を始めとする強敵達と死闘を繰り広げることも多い。
アニメ版では活躍の少なさなどから主人公(笑)などと言われることもあったが、赤壁の戦いにおける気合入りすぎなへのパワーアップシーンでは多くのファンをうならせた。
なお、プラモのランナーにちなんでよく「ホンタイ」という称でも呼ばれている。
演者はRX-78-2ガンダム

ゲーム・コーエー三國志シリーズ

は多くの作品で99(基本MAX100)と設定されている。中期シナリオでは大勢になっているが、前半シナリオでは配下に関羽張飛とごくわずかな人数しかいないことも多く、滅亡しやすい。最近の作品でのシナリオ英雄集結では悪な面子えた最強の軍であり、オートで動かすと大抵勢が拡大するため「自重しない劉備軍」などと言われる事も。

三國無双

の君として全作品に登場。武器は4までが片手剣。5では三国志演義準拠の双剣となった。
無双OROCHIでは人質として捕らえられており、一度ゲームクリアしないと使えない。

ゲーム・セガ「三国志大戦」シリーズ

スタンダードな英傑号令「劉備の大徳」にはじまり、ハイリスクハイリターンな「桃園の誓い」など、劉備は特に多くのカードが作られているため、具体的なカード紹介や内容は割愛する。

なお、「三国志大戦2」に登場したLE劉備(ランペイジ)は現在も高値で取引されている人気カードである。

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漫画

ゲーム

おもちゃ

補足

コーエー三國志シリーズにおける劉備一覧
人を惹きつける魅はほぼ毎回トップを維持している。初代では魅100だった曹操VIIIでは魅99の張角にNo.1の座を譲り渡している。
それ以外のは、意外にも万と言っても差し支えない。だが11のチュートリアルでは諸葛亮に「器用貧乏」と一蹴されている。

一覧 統率 政治 身体 運勢
三國志 63 95 99 85 71
三國志II 70 85 99
三國志III 68 78 82 99 60 29
三國志IV 60 72 76 85 99
三國志V 79 77 80 99
三國志VI 85 75 70 78 99
三國志VII 82 80 76 98
三國志VIII 70 71 78 98
三國志IX 75 74 73 78
三國志X 78 72 73 78 99
三國志11 75 73 74 78 99

 

 

 その他

個人による正史における劉備考察動画

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読み:リュウビ
初版作成日: 08/08/18 23:00 ◆ 最終更新日: 15/09/15 18:17
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劉備について語るスレ

671 : ななしのよっしん :2016/06/06(月) 23:07:35 ID: OPLvLlhlx1
その例に魏延はどうかなぁ
確かに魏延に「反逆の危険性」はあったが、人望がゼロを通り越して大幅マイナス魏延には「反逆成功の危険性」はかった訳だし
孔明死後にあれじゃ生前やってたらお笑いでしかない
だから制御はしやすかったと思うが、韓信はもっと恐ろしいぞ
孔明の性格だと除くと思うけども
672 : ななしのよっしん :2016/06/08(水) 18:58:54 ID: +p4kz9c4BL
>>671
史実通り「仮の王になりたい」とか言い出したらアウトだろうけど、そうでなければ用いると思うよ
李厳を扱うとき、諸葛亮は「栄誉と利益の追求のみにあると考え」厚遇した(厚遇したとは言ってない)し、開府をめた時は受け入れなかったけど、息子を立てて取り繕いはしてる
野心でも「個人の栄誉と利益の追求」は諸葛亮的に許せるライン
673 : ななしのよっしん :2016/06/11(土) 21:40:45 ID: aOC9HTBFVX
>>668
レスをどうもです。既に>>669の方が摘してくれましたが、
陳寿諸葛亮について評している、
諸葛亮は管仲・蕭何に匹敵するが、王子韓信に匹敵する将はかった」
という部分についてらせて頂きました。
諸葛亮軍事に優れていた事、特に軍隊統率に優れていた事は陳寿
しっかりと認めている事ではありますし、第4次北伐などでの見事な采配も
評価に大いに値すると思われますね。
ただ、いかに諸葛亮と言えども、蕭何と韓信の両方を一人で兼ねなければ
いけないような状況は本意ではなかったのではないかと思う次第でして。
仮に韓信のような将がいたなら、諸葛亮劉備中攻めの時のように
後方支援に徹したのではないかと思ったりもするわけでして。
674 : ななしのよっしん :2016/06/13(月) 20:06:08 ID: +p4kz9c4BL
>>673
レスどうもです
確かに韓信のような将がいて、諸葛亮後方支援に徹していたらというのは魅的なIFですね
ただ諸葛亮の性格からして、仮に韓信のような人材がいたとしても、果たして軍権を全委任するほど信用できたかどうか
同じく劉備の遺命を受けた李厳でさえ、諸葛亮体制で北伐に関わる大権を任されるのは四次北伐を待たなければいけませんし(これは李厳の性格もあると思いますが)
関羽並の古参の重鎮がそのポジションに存在してくれれば、あるいは、という感じでしょうか
675 : ななしのよっしん :2016/06/15(水) 13:27:23 ID: aOC9HTBFVX
>>674
成程、そうかもしれませんね。
しかし、関羽並に古参の重臣として、韓信のような将が
劉備営に存在していた場合、劉備営の動向は
史実とは結構違ったものになっていたかもしれませんね、
とも思ったりしますね。
676 : ななしのよっしん :2016/06/19(日) 00:48:58 ID: Qhl3y0I8Ls
>>674
そうなるとやはり、張飛の死は本当に痛いなぁ
677 : ななしのよっしん :2016/06/20(月) 22:52:14 ID: OPLvLlhlx1
関・は…まあ、なんだ…
三国志では重要人物でも、「劉備韓信」と呼ばれるには小さい
678 : ななしのよっしん :2016/06/28(火) 13:14:25 ID: knjH/cUSR3
関羽はその気があれば群雄の一人くらいにはなれたと思う
679 : ななしのよっしん :2016/07/19(火) 00:37:32 ID: RXQHSf6BqU
>>638
中原を伺うには荊州は必須レベルだったと思う。
曹操中戦で状態になった様に嶺山脈越しの補給は厳しいし、また四からの北上も、孔明が初っ端隴西まで獲ろうとしたり後には屯田でいでた様に大軍を動かすだけの補給を維持するのは厳しい。
だが関羽があと一歩まで迫ったように、襄樊まで陥れれば許すら危うくなるし、そうなれば長安の守りも当然薄くなる。
つまり荊州は出来れば欲しいレベルではなく、全を賭してでも欲しい地だった。
その地を争わなくなったのは、夷陵の敗北にその余裕がなくなり、また陸遜呂岱に朱然まで置いて荊州南を固め切ったから。
北伐も特に初回はワンチャンあった様に見えるけど、孔明中策的には止むを得ない下策だった様に思う。
680 : ななしのよっしん :2016/07/19(火) 00:46:31 ID: RXQHSf6BqU
>>640
劉備はあの時点で長安まで行く気はかっただろう。
前のレスの通り補給は厳しいし、何より曹操がバッチ来い状態で待ち構えてるし。
むしろ前回の侵攻時みたく、関羽の後詰で荊州に出る気だった説が至当だと思うし、それが実現すれば関羽は後方を劉備に任せて万全の状態になる。
関羽ももうちょい待てばとも思うが、あの時点で領での扇動が大成功してたし、最も警すべき曹操中対策で動けなかったから、戦機といえばこの上ない戦機で実際成功してたからなぁ。
その間隙を突いた呂蒙ファインプレイと言わざるを得ない。
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