劉邦とは、中国漢王朝の太祖。通常は高祖と呼ばれることが多い。
字は季、廟号が太祖、諡が高皇帝。
顔師古先生などの容姿に関する諸注によると、顔立ちは彫りが深く、面長で眉と口ひげが美しかった。そのため呂后の父に気に入られ、よく働く美人(ただし中国史上でも随一のヤンデレ)嫁を得て、嫁に超働かせてヒモをやっていた。
つまり※ただしイケメンに限る。古代であってもそう。夢も希望もありゃしねえ。
概要
挙兵~漢中王
元は秦の下級役人であったが、項梁の反乱に同調し、挙兵。中原の制圧に貢献して義帝らに評価され、南陽経由で関中を攻める別働隊を率いる将となる。項羽とともに秦の首都咸陽に進撃し、項羽より先んじて咸陽を制圧した。しかし、そのことで項羽の不満を買い、論功行賞では咸陽を含む関中から西の漢中・巴蜀へと左遷させられてしまう。
漢中を得た劉邦は漢王となったが、当時の漢中は僻地であり、そこにいくことを拒み、劉邦の傘下から逃げ出すものも多かったという。
楚漢戦争
漢中に封ぜられ、中原への出口を三秦(滅ぼされた秦の生き残りが封ぜられた国)と過酷な山道に塞がれてしまった劉邦であるが、韓信を得たことによって項羽と再び戦う力を得、三秦を破り中原に出ることになる。
楚漢戦争では項羽の圧倒的な戦力の前に何度も敗北するものの、最終的には人々の心をつかむことに成功した劉邦が垓下に項羽を追い詰め、四面楚歌という精神攻撃で最終的な勝利を手にすることになる。
漢王朝成立
項羽を下した劉邦は諸侯に認められ、皇帝に就任することになる。
ここに漢王朝が成立し、以降一度は新によって断絶するもののその後復活し、400年にわたる統一王朝の太祖となるのである。
皇帝就任後の劉邦
各地で起こる反乱や、時には匈奴への親征も行った。
政権末期に疑心暗鬼からの粛清を行ったとよく言われるが、それは正確ではない。実際に彼が史書上で疑心暗鬼を示したのは蕭何に対するものだけであり、韓信らの粛清に関してはむしろ首謀者は呂后と蕭何らであり、盧綰は討伐令自体が劉邦が危篤の際に出されており、また盧綰が劉邦が死ぬまで劉邦を信頼していたことからも呂后の謀略の疑いが強く、韓王信に関しては本人の匈奴への内通疑惑が大きく、英布の義父で長沙王でもあった呉芮に至っては武帝時まで王号を保っている。
評価
中国の王朝の中でも特に重要とされる漢王朝の太祖であり、中国の歴史上でも皇帝のお手本とされる。
唐代などでは「漢高魏武」といわれてどこぞの人材ヲタクと同列の評価を受けていた。
また、部下の進言を取り入れることが多く、そのため自分の才能を活かしたいという多くの人材を得ることに成功している。本人も自分よりも部下のほうが優秀であることは認めており、韓信・張良・蕭何の三名に対しては自ら言及して各方面において自分より優れていることを認めている。
死ぬ間際になっても自分の死後の人材の有効活用法を妻に言い残し、その通りになったという逸話も残っており、人材を見抜き、活かすことに長けた人物であったことが伺える。
逸話
わしのほくろは72個まであるぞ!
72と いう数字は当時の一年である360日を五行説の5で割った数字で、古代中国において特別な数字とされており、偉大な存在の証拠といわれている。
現代でも72という数字は何かと取り上げられることが多い。
現代でも72と いう数字は何かと取り上げられることが多い。
こまけえこたぁいいんだよ!!
秦の首都である咸陽を落とした劉邦は民衆をがちがちに縛っていた秦の法律を撤廃し、「怪我をさせるな、殺すな、盗むな」という単純な法律のみを敷いた。
後には再びきちんとした法律が敷かれることになるが、この単純さが民衆には受けたといわれている。
言うことを聞いた結果がこれだよ!
前述したとおり、劉邦は部下の進言をすぐに取り入れる。その進言が正しいものであればいいのであるが、時に誤った進言を取り入れてしまうことがあるため、失敗することもある。
関中を項羽に先駆けて制圧した際にも、部下の「関中は劉邦様のもの。項羽は関中に入れないほうがいいです」という進言を聞き入れて、項羽軍を関中に入れなかったため、項羽は激怒。項羽を阻むはずの関などは簡単に突破され、危うく項羽軍に撃破される寸前まで陥った。
これから毎日桟道を焼こうぜ
劉邦が漢中に入るにあたって、中原に至るための木でできた桟道をすべて焼いてしまった。
これは張良の進言によるものであり、すでに中原には興味がないというアピールをするためのものである。
子供は投げ捨てるもの
項羽に破れ、家族を連れて逃げることになった際に、家族の乗った馬車を軽くするために自らの子供を次々に馬車から投げ捨てた。
劉邦が子供を投げ捨てるたびに家臣が拾い、また劉邦が投げるという永久ループが行われたといわれている。
小説・漫画・ゲームでの劉邦
司馬遼太郎「項羽と劉邦」
人から指摘されたり馬鹿にされた時、まるで空虚のように己を無くしてしまい、その者に教えを乞う。そんな姿勢が張良や韓信など参謀の心を惹きつけていく。またよくある君主とは違って、常に最前線で危険に晒されながら戦っていく姿が兵士や武将たちの心を掴んでいく。劉邦という人物の魅力が常に具体的に表現される。
時に淫行にふけり、愚者として振る舞うときもあるが決してその本性まで愚者ではなく、時に非常に冷徹な目で人を観察することがある。これは若い時に地元民からチンピラ扱いされて迫害されていたことからとする。項羽の死でこの作品は終わるが、余談として統一後の劉邦の忠臣粛清についてもわずかに書かれている。
横山光輝「項羽と劉邦」
んもう…わしをこんなに心配させおって…。
ちなみに項羽と劉邦の作中では中心人物という都合からか、子捨て事件がカットされている。
が、横山光輝「史記」ではしっかりと描かれていた。
光栄「項劉記」
全武将最高の統率力99を持つ。実際彼自身は兵士の統率力はそれほど高くないのだが、このゲームは魅力というステータスが無いのでこのような能力で落ち着いている。その他の能力も戦闘56、用兵67、体力67とまずまずである。
コーエー「三国志」シリーズ
「いにしえ武将」という隠し武将として三国志Ⅵより登場。魅力は他のどの三国志武将も持っていない100を誇る。ただし他の能力は史実の能力よろしく40~50台とイマイチ。三国志11では特技「強運」を持つ。これは戦争で絶対に死亡・捕縛にならないという、何度も負け戦で死線をかいくぐった劉邦とよくマッチするものである。
関連動画
関連商品
関連項目
http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E5%8A%89%E9%82%A6


ページ番号: 4413067
リビジョン番号: 1505610
読み:リュウホウ
初版作成日: 10/07/11 08:37 ◆ 最終更新日: 12/04/20 03:24
編集内容についての説明/コメント: 特技修正
記事編集 / 編集履歴を閲覧 / Twitterで紹介





JASRAC許諾番号: 9011622001Y31015
ヘッダー:固定
ヘッダー:追従