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北海道日本ハムファイターズとは、日本のプロ野球パシフィック・リーグの球団である。現在の監督は栗山英樹(2012年~)。
本拠地は札幌ドーム。 他にもスタルヒン球場など北海道内の球場や2003年までの本拠地であった東京ドームでも主催試合を行う。
概要
1945年にセネタースとして発足(戦前に存在した東京セネタースと直接の繋がりはない)。その後東急フライヤーズ→急映フライヤーズと名を変え、1954年に東映フライヤーズとなった。1962年に初の日本一に。しかし黒い霧事件に巻き込まれたこともあって人気が低迷し、1973年に日拓ホームフライヤーズとなる。このときロッテとの合併の話が持ち上がったがご破算となり、日拓ホームは1年で球団を売却。日本ハムが引き取り、同年日本ハムファイターズとなった。
東京時代まではパリーグ内でも地味な不人気球団であった(「日本ハム対ロッテ」が空席が多いことの例えとしてネタにされるほどだった)が、2004年に北海道へ移転。それ以降はSHINJO、ダルビッシュ有、中田翔、多田野数人、斎藤佑樹ら注目度の高い選手の入団や森本稀哲、糸井嘉男などネタ性の高い選手の台頭、 2006・2007年のリーグ連覇などで地域密着に成功。知名度および観客動員数の両面で球界屈指の人気球団にまで成長した。2009年の主催試合の平均観客動員数は27,000人でパ・リーグ2位、12球団中5位。
球団の特徴としては上記のように個性的な選手が多く、横浜ベイスターズには及ばないが、パリーグ屈指の「ネタ選手」輩出球団である。また球団マスコットのエロズリーの存在もネタ球団としての評価を煽る要因ともなっている。一方、主力選手の大半がここ数年で台頭してきた選手であり、飛び抜けた実績を持つ選手は多くないため、一部のネタ選手以外は今ひとつ地味なイメージもつきまとっている。
戦力面
1990年代~2000年代前半はビッグバン打線と呼ばれる強力な打撃を売りにしており、地味ながら3回も2位に食い込んで優勝争いをする一方、投手陣に不安を抱えBクラスに転落することもあり強いのか弱いのかよくわからない球団であった。
北海道移転後は広い札幌ドームを本拠地とするためか従来の持ち味であった長打力に頼る野球を捨て、投手力と守備力、機動力で1点を守り抜く戦い方に路線変更しリーグ連覇する強豪にまで成長。2000年代前半と比べ本塁打数は激減したが、ダルビッシュ有、武田勝、武田久らを中心とする投手陣に金子誠、田中賢介、小谷野栄一、森本稀哲(2010年にFA移籍)、SHINJO(2006年引退)、稲葉篤紀ら鉄壁の守備陣を擁し、数年でチームカラーの刷新に成功した。
この反面、SHINJO、田中幸雄、小笠原道大、フェルナンド・セギノールらスラッガーの相次ぐ退団で深刻な投高打低に悩まされ、投手陣や守備陣に負担が掛かっていた。
しかし、いてまえ打線でリーグ制覇した梨田監督が就任した2008年は優勝を逃すも懸案だった貧打が解消に向かい、2009年は勝負強いアベレージヒッターの並ぶ打線に成長。2006年から推し進めた機動力を生かす堅実野球と上手く噛み合い、パ・リーグ随一の攻撃力を誇るまでに至った。現在は本塁打こそ少ないものの貧打のイメージは既になく、一発は無いが得点力の高いチームとなっている。
フロントは1億円をかけて開発したという独自の選手評価システムを活用し、選手のコストパフォーマンスを重視した編成をしている。そのため、中堅どころの選手が微妙な立場になると高確率で放出される。守護神だったマイケル中村を筆頭に、金村暁、押本健彦、工藤隆人、稲田直人、江尻慎太郎、高橋信二など、少し前まで一軍で活躍していた選手があっさりトレードに出されることが多い。また前述のマイケルやフェルナンド・セギノール、ターメル・スレッジのように高年俸の外国人選手もコスパが悪いと判断すれば手放す傾向にある。フロントが商売上手と取るか、ドライと取るか。ただ、トレードで獲ってきた選手が活躍する例は多くないのでトレード上手とは言い難い。
反面、過去にスキャンダルを起こしたり、人間性もしくは社会的に問題が有り他球団が獲得を回避した新人選手を獲得している為、単純に実績重視で獲得している、との評価や問題を起こし球団のイメージダウンに繋がりかねないとの評価も有り、ファンの間でも賛否両論といった所もある。※もちろん反省し心を入れ替えた選手もいるので一辺倒な批判は避けるべきである。
トレードの相手は何故か巨人が多く、FA選手も含めて2011年の一時期には巨人に元日本ハムの選手が9人もいた(MICHEAL、藤井秀悟、須永英輝、高橋信二、實松一成、小笠原道大、古城茂幸、紺田敏正、工藤隆人)。他にも他球団で主力になっている元日本ハムの選手は多い。
ちなみに現在、12球団で唯一育成選手を一度も保有したことない。支配下登録選手数も上限の70人に少し余裕を持たせた65~67人程度にしているが、これは保有する選手数を絞ることで出場機会を増やすためだそうである。
北海道移転後の戦績
2004年(3位)「北海道元年」 監督:トレイ・ヒルマン
移転初年度。この年から新庄剛志が加入、1番もしくは2番センターとして活躍するとともに、それまで巨人ファンが圧倒的多数だった北海道に日本ハムを根付かせるための奮闘を始める。
本拠地が狭い東京ドームから広い札幌ドームに変わったが、フェルナンド・セギノールが本塁打王を獲得したのをはじめ、高橋信二が26本塁打するなど、今とは違って豪快野球のチームカラーを残していた。投手陣では建山義紀が最優秀中継ぎ投手、トレードで獲得した横山道哉がよく燃えたが28セーブで最多セーブを獲得。
この年から導入されたプレーオフ出場を賭けて千葉ロッテマリーンズと熾烈な3位争いを繰り広げ、最終的にロッテと0.5ゲーム差で3位に滑り込んだ。そのせいか、この頃から応援していたハムファンは割とロッテファンと仲が良い。プレーオフでは第1ステージで西武に敗れた。
そしてこの年のオフ、FAで稲葉篤紀、ドラフト会議でダルビッシュ有という、のちの日本ハムの看板となる2人の選手が入団してくる。まさに運命のオフである。
2005年(5位)「パワー野球の限界」 監督:トレイ・ヒルマン
開幕前、ダルビッシュが喫煙をスッパ抜かれ「ワルビッシュ」と揶揄される。そんな幕開けとなった2005年。ダルビッシュはこの年は5勝5敗。またこの年から高田繁がゼネラルマネージャーに就任している。
この年は小笠原道大が本塁打数増加の代わりに打率を大きく落とし、FAで獲得した稲葉もパッとせず、高橋は故障で不振にあえぐなど、打線が前年のような破壊力を発揮出来ず、チーム三振数が大幅に増加。交流戦で11連敗を喫するとそのままずるずると沈み、5位に終わった。
この年の不振が、日本ハムが東京時代からのチームカラーだった「ビッグバン打線」を捨てる契機となった。
2006年(優勝・日本一)「スモール・ベースボール」 監督:トレイ・ヒルマン
SHINJO、開幕直後に突然の引退宣言。2006年の日本ハムはその衝撃から始まった。
前年の5位もあって、この年の日本ハムを優勝候補に挙げる者はほとんど居なかった。トップバッター候補だった新外国人のマシーアスの不振もあって、開幕直後は何かと試行錯誤が続く。
しかし、坪井智哉の故障でレフトに定着した森本稀哲と、交流戦から二塁レギュラーを獲得した田中賢介の1・2番コンビがハマり、「森本が出て、賢介が送り、小笠原・セギノール・稲葉のクリーンナップで返す」という得点パターンが確立。同時に森本・SHINJO・稲葉によって鉄壁の外野陣が完成。
投手陣もルーキーの八木智哉、シーズン途中で覚醒したダルビッシュ有の2人が柱となり、武田勝や押本健彦、建山らが支え、開幕直前にトレードで獲得した岡島秀樹が武田久とともにセットアッパーになり、守護神のMICHEALへ繋ぐ必勝リレーを形勢した。力任せのパワー野球から、堅守と投手力を武器に堅実な野球で1点を確実に奪って勝つ、スモール・ベースボールへのシフトチェンジを僅か1年で見事に果たす。
交流戦の終わりから破竹の11連勝で一気に波に乗ると、西武・ソフトバンクと史上稀に見る熾烈な優勝争い(プレーオフのせいで実際は「レギュラーシーズン1位争い」なところが間抜けだったが)を繰り広げ、最終戦で1位を確定。「札幌ドームを満員にする」というSHINJOの掲げた公約を、移転3年目で実現した。
プレーオフ前には金村暁が舌禍事件を起こす(「絶対に許さない。顔も見たくない」参照)ものの、プレーオフ第2ステージでソフトバンクを破り日本シリーズ進出を決める。日本シリーズでは「中日優勢」の見方が圧倒的な中、本拠地札幌ドームで3連勝して4勝1敗で見事日本一に輝き、SHINJOの引退に華を添えた。
しかしこの年のオフ、小笠原がFAで巨人へ、岡島がレッドソックスへ移籍する。
2007年(優勝)「まさかの連覇」 監督:トレイ・ヒルマン
前年日本一に輝いたものの、小笠原という球界屈指の主力打者に加え、チームの精神的支柱であるSHINJO、セットアッパーの岡島も失った日本ハムの戦力ダウンは著しいという評価が大勢を占める。ソフトバンクが大幅補強をしていたこともあって、日ハムファンですら「今年は無理」というのが大方の見方だった。
前年の金村の舌禍事件もあってか、開幕直後は「田中幸雄に2000本安打を達成させる」ための選手起用がしばしば見られた。また主力の抜けた打線は貧打にあえぎ、投手陣も八木や押本、金村らがパッとせず、苦戦が続く。
しかし田中幸雄が無事2000本安打を達成すると、その直後から交流戦最高記録となる14連勝を達成して初の交流戦優勝を果たし、チームは波に乗る。貧打は相変わらずだったが、稲葉が自己最高の成績を残すなど中軸打者として覚醒。また勝負強い小谷野栄一がレギュラーに定着する。投手陣もダルビッシュ有が完全覚醒を果たし堂々たるエースとなり、前年確立した「確実に1点を獲って守りきる」野球を徹底し、千葉ロッテマリーンズとの優勝争いを制して、ほとんど誰も予想していなかったリーグ二連覇を達成した。
CSでもロッテとの死闘を制し、2年連続の日本シリーズ進出。日本シリーズは再び中日との顔合わせとなったが、稲葉が不振に陥ったこともあって1勝4敗と前年のリベンジを果たされてしまった。
この年をもってトレイ・ヒルマン監督が退任。後任はまさかの梨田昌孝、いてまえ打線を率いた元近鉄監督である。チームカラーの180度違う日本ハムでどんな野球をするのかとファンの間では何とも言い難い不安が広がった。また高田GMも退任して東京ヤクルトスワローズの監督に。ついでとばかりに川島慶三・押本健彦らを連れていき、代わりに藤井秀悟・坂元弥太郎らを押しつけていった。他、セギノールが退団し長距離砲不足がますます深刻化する。
そしてドラフト会議においては、高校生ドラフトで中田翔を引き当てる。さらに大学・社会人ドラフトでは多田野数人を1巡目で指名。色んな意味で一部を騒然とさせる。
2008年(3位)「ケガ、ダメ、ゼッタイ」 監督:梨田昌孝
梨田政権1年目だが、メディアの注目は専ら中田翔に集まり、ネット上の話題は多田野数人に集中。当の中田は故障もあって一年を通して二軍暮らし、多田野数人も自主トレ中の怪我で出遅れる。
前年まで主力に大きな怪我人が出ることが少なかった反動か、この年は故障者が続出した。森本稀哲、金子誠らが故障で不振に陥り、投手陣では前年手術した江尻慎太郎をリハビリで欠き、武田勝は練習の打球を受けて骨折する不運に見舞われる。他にも前年9勝のライアン・グリンがあわやシーズン20敗かというペースで黒星を積み上げ(最終的には7勝14敗)、トレードで獲得した藤井秀悟は全く援護に恵まれなかった(防御率3.25で3勝8敗)。さらに北京五輪中にはダルビッシュと稲葉という投打の柱を欠く。
しかし前半戦は多田野が普通にローテを支え、武田久や建山、ロングリリーフで勝ち運を発揮した坂元弥太郎らリリーフ陣も奮闘。采配が懸念された梨田新監督も基本的にヒルマン政権の堅実野球を継承した采配をしつつ、貧打の解消に向けて高橋信二の一塁コンバートなど模索を続ける。結局、チームは波には乗れなかったものの大きく低迷することもなく、ソフトバンクをフルボッコ(17勝7敗)にした分と交流戦の貯金で、どうにかロッテと0.5ゲーム差の3位に滑り込んだ。
CSでは第一ステージで経験の差を見せつけオリックスに完勝したが、第二ステージで西武に敗れた。
オフには契約で揉めることの多かった高年俸の守護神MICHEALを巨人に放出し、不祥事もあって坂本勇人にレギュラーから蹴落とされた二岡智宏を獲得した。
2009年(優勝)「巧打×堅実野球×勝負強さ=破壊力」 監督:梨田昌孝
5割打者・金子誠という、何の冗談かという確変で2009年のファイターズは幕を開けた。
開幕直後の苦戦が恒例行事になっている日本ハムだったが、この年は開幕から金子誠が謎の大当たり。4月の月間MVPを獲得する大活躍で開幕からチームを牽引すると、そのままシーズンを通して安定した戦いを続けた。
最大の強みはチームカラーと化していた貧打の解消。「1番賢介、2番森本」の2007年までとは逆の1・2番コンビが嵌り、中軸は大野奨太の加入で高橋信二が一塁に専念して4番に定着。下位打線では糸井嘉男が大きく成長してセンターの定位置を獲得し、金子誠の確変が加わって勝負強いアベレージヒッターが並ぶ形になり、本塁打は少ないがどこからでも点が取れる破壊力抜群の打線に成長した。
投手陣も、ダルビッシュと武田勝以外の先発こそやや駒不足の感があったが、ベテランの建山に復活した江尻、宮西尚生と菊地和正の若手コンビ、トレードで二岡とともに獲得した林昌範らのリリーフ陣がそれを補い、新守護神となった武田久はシーズン無敗でセーブ王に輝いた。
8月には新型インフルエンザに見舞われ、9月には失速もあったがソフトバンクのお付き合いもあって無事に逃げ切り優勝。CSでは快進撃を続けていた楽天を迎え撃ち、ターメル・スレッジの逆転満塁サヨナラ本塁打(いわゆる「福盛の21球」)で楽天を見事に撃墜。2年振りの日本シリーズ進出を果たした。日本シリーズでは巨人に2勝4敗で敗れた。
オフにはスレッジを放出。相変わらず金銭にシビアな一面を見せる。また藤井秀悟がFAで巨人に移籍した。
2010年(4位)「諦める理由は無かった」 監督:梨田昌孝
4月28日、オリックスに敗れ借金14。2010年のファイターズの幕開けは苦難に満ちていた。
退団したスレッジの穴を埋める外国人野手の補強をせず、国産打線で挑むことになった2010年。それでもリーグ内では総合的な戦力においては一番安定感があると言われ、優勝候補にも挙げられていた。
ところが、森本の故障離脱で2番打者不在のまま開幕を迎えると、開幕戦をダルビッシュで落とし、第2戦は昨年無敗の守護神武田久が打たれて落とす。そして金子誠が戦線離脱すると、瞬く間にチームの歯車は見る影もなく狂った。鉄壁を誇った内野守備が崩壊し、武田久は絶不調で守護神の座を剥奪される。打線も中核を担う稲葉や高橋の不調と繋ぎ役を担う森本や金子の故障で、昨年の強みであった勝負強さと堅守、安定していたリリーフ陣という要素を全て失ってはどうしようもなかった。みるみる借金は膨れあがり、GW前には首位と10ゲーム差以上離されぶっちぎりの最下位に低迷する。春先の苦戦は恒例行事とはいえ、これほどの苦難になるとは誰も予想し得なかっただろう。
しかし、そのまま終わらないのが戦国パ・リーグを過去4年で3度制したファイターズの底力だった。パ・リーグが圧勝した交流戦から、徐々にチームは立ち直っていく。ダルビッシュが援護に恵まれない中、ボビー・ケッペルと武田勝が順調に勝ち星を積み重ね、野手では森本と金子が復帰し、不調の高橋に代わって小谷野栄一が4番に定着すると、交流戦明けから破竹の快進撃でみるみる借金を減らし、7月にはついに14あった借金を完済する。
だが、混戦のリーグの中で、そこから一気に抜け出すことは叶わなかった。一時は3位に肉薄したが、そこからは勝ったり負けたりを繰り返す展開で、3位の背中を追いかけながらのオリックスとの4位争いが続く。陽岱鋼が攻守に成長を見せ、8月には中田翔がホームランを量産するなど明るい材料も多くあったが、高橋や二岡、金子誠などが相次いで戦列を離れるなど、CS圏内に手が届きそうで届かない戦いが続いた。
それでも勝率5割超を維持し続け、終盤戦はロッテの失速でオリックスと三つ巴のCS争いへもつれこむ。残り10試合を切っても優勝の可能性さえ残っていた大混戦のシーズンは、結局貯金7の暫定3位で全日程を終える。CS進出はその時点で残り2試合のロッテの結果次第というところまでロッテを追いつめたが、ロッテが残り試合を全勝したため、0.5ゲーム差の4位となって、クライマックスシリーズ導入以来初めて進出を逃した。
チーム防御率は断トツのリーグ1位、チーム打率もリーグ2位ながら4位という結果が、序盤の低迷の深刻さと歯車の噛み合わなさを物語ったが、借金14からCS目前まで迫り、優勝したソフトバンクと2位西武に勝ち越すなど前年王者の意地と底力で上位陣を脅かしたシーズンだった。
オフにはドラフト会議で斎藤佑樹を引き当て大きな話題を呼ぶ。一方、FAで森本稀哲が横浜ベイスターズへ、建山義紀がテキサス・レンジャーズへ移籍。多田野数人、坪井智哉が戦力外となったが、多田野はのちに再契約した。トレードでは紺田敏正・須永英輝を放出してウィルフィン・オビスポを、山本一徳・高口隆行を放出して根本朋久を獲得。また新外国人としてマイカ・ホフパワーを獲得し国産打線は1年で終了した。
2011年(2位)「悪夢の9月」 監督:梨田昌孝
斎藤佑樹の一挙手一投足にメディアの大きな注目が集まる中、春季キャンプで田中賢介が指の骨折で戦線離脱。さらにオープン戦で小谷野栄一が死球を受け骨折、不動の1番と4番が開幕絶望という非常事態に陥る。が、東日本大震災の影響で開幕が延期となった結果、賢介、小谷野ともにどうにか開幕に間に合うことになった(その代わりに鶴岡慎也が自打球で顔面を陥没骨折し出遅れる)。
統一球の導入と肉体改造で、「今年はついに防御率0点台か」とも噂されたエース・ダルビッシュ有が、開幕戦で西武打線にまさかの7失点。2試合目でもブライアン・ウルフがフルボッコにされ、開幕カード2試合で20失点という幕開けとなった2011年。しかしその後すぐに5連勝し、チームは快調に滑り出す。
打線は森本の抜けた2番に陽岱鋼が定着、4番の小谷野栄一が不振に陥り5月に故障で離脱するが、中田翔が大きな成長を見せ、入れ替わりで4番に座ることに。投手陣も、ダルビッシュは開幕戦の7失点はハンデだったと言わんばかりにその後は無双状態に突入、ウルフとボビー・ケッペルの助っ人コンビも快調に白星を積み重ねる。リリーフも建山の抜けたセットアッパーに増井浩俊が定着し、前年不調に苦しんだ武田久も完全復活。武田勝が5試合連続完封負け(NPB新記録)という歴史的ムエンゴに見舞われたりもしたが、チームは順調に貯金を増やしていく。
交流戦前にソフトバンクに首位を奪われるものの、交流戦でも貯金8を積み上げてソフトバンクに追いすがり、6月には完全にソフトバンクとの一騎打ち体勢に入った。6月半ば、田中賢介が足の骨折でほぼシーズン絶望となるというアクシデントに見舞われるものの、すかさずボビー・スケールズを獲得してその穴を埋め、前半戦はソフトバンクと同率首位で折り返した。
ソフトバンクとの直接対決を多く残していた後半戦、チームはダルビッシュとソフトバンクキラーの武田勝をソフトバンク戦に優先的にぶつける起用法で奪首をもくろむ。が、後半戦最初の直接対決3連戦で、ダルビッシュ・武田勝を立てたにもかかわらず3連敗。以降、3ゲーム差前後で首位に追いすがる展開になる。
崩壊は8月の終わりだった。突然の梨田監督の退任報道に、チームの歯車が狂い出す。打線が機能不全に陥り、投手陣も踏ん張りきれず、接戦を落とす試合が続く。ソフトバンクの背中が遠くなり始めると、チームは完全にモチベーションを見失い、9月15日に梨田監督が正式に退任を表明すると、悪夢のような連敗街道に突入した。下からはオリックスと西武が猛烈な追い上げを開始、10ゲーム以上も引き離していた3位グループとの差があっという間に詰まり、気が付けばソフトバンクの背中は遙か彼方、あわや4位転落の可能性が見えるところまで追い詰められる。最終的にどうにか土俵際で踏ん張り2位は確保したものの、優勝したソフトバンクには最終的に17.5ゲーム差も離され、8月には最大26あった貯金を7まですり減らすという苦しみの幕切れとなった。
クライマックスシリーズでも、シーズン終盤の勢いのままに3位西武にリリーフ陣が粉砕されあっさりと2連敗し万事休す。2007年にトレイ・ヒルマン監督の退任決定で日本一を逃した負の歴史を繰り返す格好になってしまった。
オフ、野球解説者の栗山英樹が新監督に就任。ダルビッシュ有がポスティングを行使しテキサス・レンジャーズへ移籍。スケールズが退団、林昌範と菊地和正が戦力外に。ターメル・スレッジと紺田敏正の出戻り組を獲得した。
ドラフト会議では巨人の単独指名と目されていた菅野智之を強攻指名して交渉権を獲得。さらに5位では直前の都市対抗野球で完全試合を達成した森内壽春、7位ではソフトボール選手の大嶋匠を指名し、話題を独占したが、結局菅野には入団拒否された。
大百科に記事のある首脳陣・選手・OB等
首脳陣
所属選手
| 投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
|---|---|---|---|
球団スタッフ
OB・関係者(東急・急映・東映・日拓時代を含む)
| あ行 | か行 |
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| さ行 | た行 |
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| な行 | は行 |
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| ま行 | や行 |
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| ら行 | わ行 |
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関連項目
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読み:ホッカイドウニッポンハムファイターズ
初版作成日: 08/08/06 16:12 ◆ 最終更新日: 12/05/25 03:36
編集内容についての説明/コメント: 植村祐介追加
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