単語記事: 同性愛

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同性愛(どうせいあい)とは、男性同士または女性同士の間での親や性など、広義のライフスタイルす。 

呼称

同性愛者は英語では「ホモセクシュアル」(homosexual)と呼ばれる。ホモ(homo-)とは、「同じ」を意味する接頭語である。

また、男女含めた全ての同性愛者をし示す単としてゲイ(Gay)という単もあるが、日本では区別するために男性同性愛者をゲイ(Gay)、女性同性愛者をレズビアン(Lesbian)と呼ぶことが多い。なお、略語の「ホモ」は差別的な意味で使われることが多かったため、的な場所で使われることは少なくなってきている。

一方、両性は「バイセクシュアル」(bisexual)、異性は「テロセクシュアル」(heterosexual)という。また、異性者は「同性愛の気(け)がない」ことから「ノンケ」などの呼び方をされることもある。

この他に、恋愛感情はあるが他者への性的欲求を伴わない非性ノンセクシャル」、異性・同性を問わず恋愛感情そのものを抱かないアセクシャル」が存在する(英語では区別がなく双方ともasexualityという)。

近年は、LGBTと呼ばれる用社会的に広まりつつある。これは、1980年代後半よりアメリカ同性愛者により使われ始めたもので、レズビアンゲイバイセクシュアルトランスジェンダーの頭文字をとったものである。トランスジェンダーは日本では性同一性障害(体と心の性別が一致しない状態)をすことが多い。性的少数者としてひとまとめにされるが、本来は同性愛(性的向)と性同一性障害(性自認)は別の概念である。

同性愛に関する誤解されやすい点について

同性愛らび同性愛者については誤解されている点がある。以下にいくつかの例を説明する。

同性愛しい存在ではない
における調では、概ね人口の数の割合で同性愛者がいるという結果が多く報告されており、少数ではあるがそれほどしい存在ではない。日本でも同程度の割合でいると考えられている。
(尚、当然だが調した「場所」・「地域」・「手法」・「調における『同性愛者』の定義」によって異なった値が出ている。しかし、ほとんどの報告で概ね1%以上10%未満である.尚、「男性の方が同性愛者の割合が高い」という点ではほとんどの報告で一致している。これは様々な理由付けが考えられるがここでは省略する。稀ながら男性で10%えている値を出している報告も見つけることが出来るが、近年の調では見当たらないようだ。)
わかりやすく感覚的な喩えで言うと、「多く見積もっても均的な学校の一クラスに数人程度しか居ない、しかし少なく見積もっても数クラスに一人は居る」と考えれば大体合っているだろう。
ただし、「異性を好きになるのが正常」という考え(異性至上義)は程度の差こそあれほとんどの時代・国家で存在するため、社会的な影を考慮して、同性が好きであることを隠す人は多い。
同性愛は疾患ではない
医学会やWHO(世界保健機関)日本経学会などは「同性愛異常・倒錯・性的疾患の類ではない」としている。つまり同性愛は、異性と同じく健康な性的向のひとつである。
同性愛環境ホルモンが原因ではない
環境ホルモン同性愛者を増やすという説もあるが、信頼できるデータは今のところ存在していない。
同性愛は必ずしものみに限定されるわけではない
フィクション世界で滑稽な描かれ方をされる同性愛者を見て、誤解する人も多い。男女においては性体をおいたものもあれば精的つながりにきをおくものもあるが、これについては同性愛も同様である。
また、男性同性愛者全てが、性交渉において肛門を使うわけではない(成人向けのボーイズラブゲームではそのような描写があるため、誤解している人も多い)。
同性愛者、性同一性障害者、異性装者はそれぞれ別物である
性同一性障害者とは「心の性別と体の性別が一致しない人」、異性装者とは「異性の装をする人(男装者・女装者)」、であり、それぞれ同性愛者とは別物である。
女装をする全ての人は男性が好き」などという考えは大きな誤解である。

社会的苦境

上記のように、同性愛者は多く見積もっても人口の1割未満であり、少数である。そのために、様々な問題を抱えることがある。制度的な事で例を挙げると、多くのでは結婚制度において同性同士の結婚は受け入れていない。

また、単に少数であることに起因した不利益ではなく、異性者からの嫌悪やそれに基づく差別・攻撃を受ける場合もある。

嫌悪・差別・攻撃に宗教的な理由が関わる場合もある。例を挙げると、旧約聖書では男性同性愛が盛んであったソドムという町がに滅ぼされる。その旧約聖書ユダヤ教流とした他の宗教(キリスト教イスラム教など)においても、典や預言者の言行録において男色行為が非難されている(もちろん宗教典はさまざまな解釈が可であるため、「同性愛を攻撃する理由にはならない」という解釈の仕方もできる)。

上記のような宗教的理由付けがなされていると、その宗教の教義を善悪・正邪の価値基準としている立場から見ると同性愛は「罪悪」ということになりうる。実際に歴史上、宗教的理由から同性愛が「犯罪」とされていた々は多い。現在でも犯罪として逮捕されるも複数あり、中には同性愛に対する最高刑が死刑というもある。

アメリカ合衆国のように州によって同性婚の合法・非合法が分かれるもある。ただし、アメリカ合衆国に関しては連邦最高裁判所日本で言う最高裁判所)が2015年6月に全ての州で同性婚を合法にすると判断を下している。

しかしながら同性婚が必ず認められるべきものかといえばそうでもなく、同性婚等を認めるべきというも正しいとは限らないので、同性婚を認めない=差別という発想もするべきではないだろう。

日本

薔薇族の編集長であった伊藤文學によると、薔薇族全盛期の読者の中にはやはり同性愛に対する当たりの強さによる社会的苦痛とみられる要因で自ら命を絶った者が多かったそうである。

また、歌手であり同性愛への偏見と長年闘ってきた美輪明宏スマ出演の際に、若き日の彼が実際に同性愛者の知人が理解のない封権的な環境を苦に自殺を図るという、その悲劇的な出来事をの当たりにした過去っていた。

日本では同性愛を禁止する法律は存在しないが、日本国憲法によって同性愛者同士による結婚は認められていない。このため、同性愛者同士で一緒にアパートを借りることが家族として認められないことから困難だったり、相手が入院した際に身内として扱われずに面会拒否されたりと言った問題点が存在する。

そんな中、2015年3月渋谷区が自治体として初めて同性カップル結婚相当と認める条例を成立、4月1日に施行した。条例の内容は同性カップルに対して明書を発行し、不動産会社や病院などに対して結婚した者とみなすこととするものである。同じく世田谷区も同性のパートナーシップを認める要綱を策定し、両自治体は2015年11月より明書の交付を開始した。このほかにも同性カップルに対する条例を検討している自治体はいくつか存在しており、同性愛者に対してようやくが当たったと言えよう。

ホモセクシズムとそれに対する批判的検討

一方で、「同性愛義:ホモセクシズム」(同性愛:ホモセクシュアルではない)はある性的少数者が他の性的少数者を差別するのを助長しているとして、批判的な検討が加えられることもあり、そのような立場のことを「アンチ・ホモセクシズム」という。

ニコニコ動画における同性愛

 ニコニコ動画にも、同性愛に関する動画投稿されている。
(既存のアニメ・ゲームキャラクター二次創作MAD、「ボーイズラブ(BL)ゲーム」や「ゲイ向けゲーム」のプレイ動画など)

ただし、これらの動画作品を嫌悪する人も多いため、投稿の際は注意書きを添えることをオススメする。

関連項目


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ページ番号: 477678 リビジョン番号: 2398948
読み:ドウセイアイ
初版作成日: 08/08/20 04:15 ◆ 最終更新日: 16/08/26 23:43
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同性愛について語るスレ

4338 : ななしのよっしん :2016/08/29(月) 21:11:59 ID: Oh0V23tDLI
そりゃ、もちろん学術的タームについては正確でなければなりません。
しかしながら、「現時点では治療可な手段は見つかっていない」と表現すべきところを「治療は不可能である」と表現したことによって、そのわずかな差によって、いかなる「差別」が生じるのか、その具体例がには何も思いつきません。
そのような具体例が思いつかない以上、そのわずかな表現の差を「差別的である」と批判できる根拠はないと思います。
失礼な言い方になるかもしれませんが、からすればほとんと難癖や揚げ足取りにしか見えません。

それと、一点だけ。
不可能である」と言おうが「可な矯正法は見つかっていない」と言おうが大差はないと考えられる理由を付け加えておきます。
それは「そもそも人権の観点から矯正を行うことは避けられなければならない(これは法的な意味での要請ですが)」と学会において共通した結論が決められているということから導き出される当然の論理的帰結です。
倫理上、矯正を試してはならないと決められた以上、矯正を可にあする術についての研究はできませ
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
4339 : ななしのよっしん :2016/08/29(月) 21:14:45 ID: Oh0V23tDLI
訂正

にあする→可にする
「矯正は不可能」という命題未来永劫偽である→未来永劫である
4340 : ななしのよっしん :2016/08/29(月) 21:36:36 ID: Oh0V23tDLI
未来永劫不可能(なぜなら研究を試してみることができないから)」であるのは倫理上の要請です。
一方で「現状、矯正可な手段は見つかっていません」。
ある人が「矯正はできないんだ」と言ったとき、それは上記2つの条件が重なっているため、です。

しかし、それでもあなたは「科学的に未来永劫出来ないわけではない」から「その発言は正確ではない」と言うかもしれません。
そしてその正確さをおろそかにしているため、その発言をした人間は「差別的」とまで言うかもしれません。

もしそのようなことがであるなら、「差別的でない」と認定されるための言説を行うには、どれほど多くの注釈が必要となるのでしょう。
ここまでの話全てを一覧にして注釈しなければ、いつ誤解が生じるかわかりませんから、それはこのような文章になるでしょう。

同性愛を矯正することのできる手段は見つかっていない。それゆえ、科学哲学的思考からすれば、同性愛は矯正不可能と言える。しかしながら、その矯正不可能性は未来永劫変わるという意味ではなく~である。
しかし、倫理上の理由から矯正する手段を研究することがそもそも許されないために、結局未来永劫矯正することは不可能であると言える。
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
4341 : ななしのよっしん :2016/08/29(月) 22:28:29 ID: Oh0V23tDLI
そこまで言うつもりはなく、「そうするほうがベターである」というくらいの意味であれば、既に同意しているし、これからも同意しますけどね。
4342 : ななしのよっしん :2016/08/29(月) 22:42:42 ID: uddfiEW4dX
両者の言い分それぞれに共感しうる部分があるのう

同性愛に係る自然権的側面つまり「性的向」という観念を言化する作業において、
その科学的精密性を重視すれば難解・冗長な表現にならざるをえないだろうし、
逆に一般衆への伝わりやすさを重視すればその分学術的精度を下げざるをえなくなるだろうね

アカデミズムとアクティビズムがトレード・オフの関係に立つとするならば
最終的には両者がいいになる現実的な落としどころを探ることが重要と思うのだが、
個人的にはケースバイケースで使い分けるというのも有りだと思うんだよね

たとえばアカデミックな場面では解釈の余地をできるだけ削いだ学術的に正確な記述にするとか、
あるいは同性愛者の尊厳を踏みにじるような「差別」的言説に対するカウンターが必要な場面では
性的向の権威を防御的手段として用いるとか、それぞれの適材適所がある気がする
4343 : ななしのよっしん :2016/08/29(月) 23:05:04 ID: Oh0V23tDLI
権威とも受け取られかねないようなラフな用い方で「性的向」が持ち出される場というのは、たいていにおいて

>同性愛者の尊厳を踏みにじるような「差別」的言説に対するカウンター

であるような気がする。というのが個人的印ですかね。

もちろん、それをあらゆるところで振りかざしてはならないという注意は自身の中で持つ必要が常にあると思います。
しかしながら13K氏のそれは言い過ぎでしょうと思ったもので、つい少し気が強くなってしまいました。失礼。
4344 : ななしのよっしん :2016/08/30(火) 05:35:32 ID: 13Kx36ZkCS
>ここまでの話全てを一覧にして注釈しなければ、いつ誤解が生じるかわかりませんから

いえ、それでいいと思うんですよ
いつ誤解が生じるかわからないからこそ慎重になるべきだと思うんですね

なぜなら、啓活動の段階で、導く側が与えた情報の不正確さにより啓される側に何らかの誤解が生じたとすれば、それは啓した側の不手際と捉えられても反論のしようがないと思うんですよ

>これでは、一言発するために何十分もかかってしまいます。このようなことを毎度必ず言わなければ

というふうにあなたは懸念していますが、わたし摘したいのは、一言一句毎に正確な発言をすべき、ということではなく、今その場において、とりあえず一つの啓活動が終わった段階で、最終的に相手に理解してもらう・受け取ってもらう知識に対し、極齬が生まれないよう努めるのは活動家として当然なのではないかなと、そういうようなことを言いたいわけです
4345 : ななしのよっしん :2016/08/30(火) 05:39:43 ID: 13Kx36ZkCS
現に>>4340であなたが要約してくれた文章で数行、もし私が要約するなら、
LGBは、社会的通念や価値基準の変化という観点から異常性癖として治療すべき医学的概念に当たらないという結論に至った結果、(本人の意思に反して勝手に)変えられない(治療を強要しちゃいけない)し、変えようとするに当たらないものだと認識されるようになった」
「このことから、LGBは異常性癖ではないといえるし、その他の性的嗜好と同様に、不当に迫されることがあってはならない、社会的に認められるべきパーソナリティの一つである」
――と、たった2行ですみます

これについて、じゃあ啓上どのレベルまで要約するのが適切か、という話になれば、それに対しはっきりした答えを出すのは少々難しいかもしれませんが、少なくとも、あなたにしろ、わたしにしろ、このそれぞれが要約した書き込み内容を相手に伝え、これを読み取り理解しもらって、そして知識として保持してもらうのはそう難しいことではないと思うんですよね

単純に読み解くだけなら、あなたがまとめた文章も私が
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
4346 : ななしのよっしん :2016/08/30(火) 10:13:13 ID: Oh0V23tDLI
>>4344
先にも言いましたが、もし「矯正はできない」と言ったことで「一生変わらない性的向を決定づける遺伝子が同定済みであり、また一生変わらないことが内基盤からもにわかっている」と誤解されたのなら、それは伝えた方の不手際だと思いますよ。そしてそれをなくそうと努するのはベターだとも思いますよ。

ですが、この誤解のどこに「差別的」と糾弾されなければならない根拠があるのかはわかりません。
(そもそも誤解は誤解である以上、発言者のみにその責任を被せることも適切ではありませんし…)
正直、「正確な方がベターである」というくらいの意味の思想は、最初からアクティビストは当然に理解していることだと思います。

しかし「小さな誤解を生んだらただちに差別的だ」とまでは言えませんし、「誤解を生んだらその活動は不当だ」と言うこともできません。
そのレベルなさりたいなら、同意できないし、それ以前の段階で「そのほうがベターである」と言いたいなら、同意しない人はもいないと思います。

(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
4347 : ななしのよっしん :2016/08/30(火) 10:29:07 ID: Oh0V23tDLI
>>4345
それだと「性的向は矯正不可能である」というもっともクリティカルな文言が消えてしまうのですが……

先にも言いましたが、「矯正不可能である」という命題は、もっとも矯正義者に対して効果的な一言である、と学者たちも考えていまして、だからこそ「矯正を試した手段はことごとく失敗するし、悪影しか及ぼさない」と科学者たちは実的に示したわけですよ。
そして「未来永劫矯正不可能である」は、倫理性による研究不可能性も加味すればであるわけですよ。
であるなら、「矯正はできない」と言うことにはありませんし、それを使わない手もないと思います。

それとは別に、「正確性をめることがより良いことである」あるいいは「正確な表現に対して実でなければならない」とおっしゃるなら、それは理解できます、ということになります。
しかし、「誤解を生んだならその活動は差別だor不当だ」とおっしゃるなら、それは理解できません、ということになります。
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