単語記事: 唯一神

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唯一神とは、一のである。一のはずなんだが、沢山いたりする。信教の自由って素晴らしいね!

 

世界各地で自然発生して発展した宗教は元来は多教が多い。しかし現在では唯一神を教義としている宗教信者が非常に多く、それらの宗教信者数を総計すると世界人口の半数以上を占める。これは、唯一神Y・H・V・H・を崇めるユダヤ教から生した、キリスト教イスラム教などのいわゆる「アブラハムの宗教」とされる宗教が非常にメジャーになっており、多くの信者を得ていることがな理由である。

ただし唯一神Y・H・V・H・も、ユダヤ教典内での呼び名が様々であることから、「元々別の名前を持つ複数の々が習合して形成された信仰なのではないか」という学説もある。

アブラハムの宗教」とみなされない唯一神宗教も少数ながら存在する。例としてはインドのシク教(シーク教)、ベトナムのカオダイ教など。これら2つも成立はアブラハムの宗教より後なのでアブラハムの宗教の影を受けて教義に取り込んではいるが、前者はヒンドゥー教由来の、後者仏教道教儒教由来のカラーがより濃い。

ネット上ではたいていの場合ネタキャラ扱いされる不憫な存在でもある。
仮にも ネ申 として祭り上げてんだから、もうちょっと敬えよ。

読みは「ゆいいつしん」であるが、「ゆいつしん」でも正しい。「ゆいつーしん」でも可。

唯一でない関連項目


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携帯版URL:
http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E5%94%AF%E4%B8%80%E7%A5%9E
ページ番号: 583214 リビジョン番号: 2332485
読み:ユイイツシン
初版作成日: 08/09/22 21:29 ◆ 最終更新日: 16/03/03 21:31
編集内容についての説明/コメント: 関連項目にユダヤ教を追加。
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唯一神について語るスレ

117 : ななしのよっしん :2016/04/10(日) 20:46:39 ID: siPwFXRABO
それと、朗らかな陽のもと自然の形とそして生物の活動をもとにしたスピリット精霊宗教、これは女性の産むを土台にした宗教ですが、これを一言で多教と申し上げるとすれば、旧石器時代から既に多教的傾向と一教的傾向は共生していた。
むしろ、このことから考えると、人間というものの知的の中には、一教に向かおうとする傾向と多教に向かおうとする傾向が同時に存在し、この二つが相互に補い合うことによって一つの全体性を作り出していたと考えることが出来ると思います。…
この旧石器時代以来の人間の思考形態、知的ストレートに表現した宗教…これはヒンドゥー教シバ今日では呼ばれていますが、この根は極めて古いものです。ご存知のようにシバは大きな男根の石、つまりリンガで徴されます。このリンガとそれを取り囲むヨニ、ヨニは女性器を表現しています。
つまりシバというのは、男性器徴するリンガとそれを包み込む女性器ヨニの結合体で表現されておりますが、この表現は既にハラッパ文明にも見い出すことが出来ます。ということは旧石器から新石器への移行期、考古学が中石器と呼ぶ時
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118 : ななしのよっしん :2016/04/10(日) 20:47:55 ID: siPwFXRABO
一元論的な学が発達し、そしてそれを元にして在来の古い宗教の形を再解釈するという運動が行われています。…こういう現アジア世界においても、あるいは、実はこれはアフリカにおいてもヨーロッパにおいても、そして中近東においてもそうしい現ではありません。…
イスラームの理解というのは何時も、一般の人々が信仰するイスラームと、そしてより高度な知的を持った人々が探究するイスラームの二つに別れて発達してきました。そしてイスラームの高度な哲学の中では「アッラーの他になし」という理解とは別に、
「私は存在でなかったことはない」という理解方法、つまりモーセの前に出現したが「私は在りて在るものである」という言葉で表現された存在の世界、存在についての、この存在を統一し根拠付ける原理としてのアッラーについての理解が共存していたようです。
このアッラーの考え方をとりますと、ここでは一の原理と同時に、この世界が多様なものとして生み出されてくるものを統一的に理解するための一つの学的な理解が発達しなければなりません。…実際に私達がイスラーム世界細に点検して見ますと、
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119 : ななしのよっしん :2016/04/10(日) 20:49:25 ID: siPwFXRABO
中世学を見てみましても、天使が住まいする間は、がこの世界を創造する以前から創造したと言われています。そして、は永遠であるが、そこは永在の世界であると言われています。永遠ではなく永在だと言われている。
それは存在と非在の中間状態にあって、常に消滅と生成を繰り返しながら、私達の世界を注ぎ込んでいる間であるというふうに規定されるようになります。…
今日世界に起こっている事態は一教と多教の対立などではないということです。
それは資本主義の構造を見ても良く分かることですし、イスラーム学的な構造を見ても分かることですし、
々が普通教と呼んでいるヒンドゥー教の内部の構造を見てさえ、そこにはイスラームのタウヒードの理解と共通するような一教と多教の共存構造というものが明らかに存在し、それは多教の典と呼ばれる神道の中にすら存在し、
そして、日本人神仏習合の中から浄土教のような宗教を作り出しましたが、この浄土教こそ日本人が自前で作り出した一教の最高形態であったとすら断言することが出来るからです。一教も多教も対立
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120 : ななしのよっしん :2016/04/10(日) 20:52:48 ID: siPwFXRABO
これらの諸類について簡単に説明すると、まず「排他義」とは自らの信仰とそれ以外の信仰との間に何ら信念体系の共通性を認めない立場をいう。ヒックは排他義の事例として、カトリック教会の「教会の外に救いなし」というドグマや、十九世プロスタント教会の「キリスト教の外に救いなし」という海外宣教運勤のを提示している。
キリスト教以外の宗教で言えば、ヒンドゥー教至上義やイスラム原理義なども典的な排他義の事例と言えるだろう。
次に「包括義」とは、自らの信仰の信念体系の絶対性を保持しつつ別の信仰の信念体系にも理解を示そうとする立場である。
ヒックはキリスト教的包括義として、キリストの贖罪による法的和解がすべての人間におよぶことに基づく包括義と、救いを人間的生の漸進的な変革として理解することによってすべての偉大な世界宗教の伝統の中に生ずる出来事を「キリストの業」であるとみなす包括義とを挙げている。
なおキリスト教以外にも包括義の事例は考えられ、例えばヴィシュヌ教の化身説や仏教の垂説がそうであるとする意見もある。
そしてこれら
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121 : ななしのよっしん :2016/04/10(日) 20:55:42 ID: siPwFXRABO
ヒックは、すべての偉大な世界宗教が捉唱する真理一の究極的な「実在者」(The Real)を様々に表したものである、とする。
すなわち彼によれば、世界には〈実在者〉を人格的なぺルソナとして捉える伝統と非人格的なインペルソナとして捉える伝統があり、前者の例ではキリスト教の「なる」、ユダヤ教の「アドナイ」、イスラム教の「アッラー」、インド宗教伝統における「シヴァ」「ヴィシュヌ」「パラマトン(最高の)」などが、
また後者の例では東洋の諸伝統における「ブラフマン」()「ダルマ」(法)「タオ」()「ニルヴァーナ」(涅槃)シューニター」()などが挙げられると言う。
ならば、究極的な〈実在者〉はなぜ、キリスト教徒、仏教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒等によってかくも様々に表されたのだろうか。
それは、的覚知に関して「かれらはそれぞれ異なる宗教的概念群を操作しており、したがってその異なる概念群によって、かれらはそれぞれ性格的に異なるしかたで経験しているからだ」とヒックは言う。
つまり各々の宗教が属する文化的背景によって操作さ
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122 : ななしのよっしん :2016/04/10(日) 20:57:33 ID: siPwFXRABO
ヒックは、宗教的な救いや解放としての〈自中心から実在中心ヘの人間存在の変革〉をすべての偉大な世界宗教の伝統のうちに等しく認め、それによって一絶対の宗教があるという想定から解放された、純な「真理の探」のための対話が宗教間において可になると説くのである。…
ヒックによれば、すべての偉大な宗教的伝統の中では、究極的実在は決してり得ないものとされており、ヒンドゥー教の「ブラフマン」、道教の「」、大乗仏教の「性」、ユダヤ教イスラム教の「エーン・ソーフ」「アル・ハック」、そしてキリスト教の「」などは、いずれもわれわれの理解を全にえ出た究極者を規定する表現であるという。“
123 : ななしのよっしん :2016/04/10(日) 20:59:47 ID: siPwFXRABO
宗教未来予想は①近代化(非宗教化・脱宗教化)、②反近代化(原始化・復古化・東洋化)に大別される。
日本大百科全書』
宗教未来像”
宗教未来については、現代社会をいかにとらえるかによって見解が大きく二つに分かれる。
一つは、近代以降のいわゆる先進社会が歩んできたように、工業化へのがいよいよ全世界的な規模で進められるとすれば、農業とする伝統社会が崩れ、人口が都市に集中することになろうという予想のうえにたつ。人間の考え方は、個人義と合理義のほうに向かい、宗教、ことに既成宗教はその影を失い、非宗教化、脱宗教化現が強くなるであろう、という見通しである。
こうした「神は死んだ」という時代に直面して、宗教は一部の人々にとっての必要物としては残るが、全面的に後退する。宗教の「近代化」を唱える立場は、こうした認識のうえにたって、教団組織の再編成を図り、また、科学義、実存義、人間義などへの適応、調和を図っていかねばならないとする。
もう一方の立場は、経済中心の工業化社会は、資の浪費、環境の破壊、精の荒、先進
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124 : ななしのよっしん :2016/04/12(火) 11:16:46 ID: xP11A4thtt
宗教学の文献では「生まず生まれず」が問題というのはあまり見ないし、旧約由来というのはなおさら覚えがない。
そうみたいですね、現に検索しても全然出て来ない。でー方も全く問題視してる気配ない。つまり宗教学関係者は基本ここにタッチする気はないって事だね。そりゃそうだね、天使とか精霊とか何とかの話の方が楽しいですもんね
重要項と言ったのはこの言葉がコーランによって「言え」と命じられている、つまり全ムスリムがこの概念を肯定しているという点からですね。だからどうあっても「神の子」という概念とは相容れないし、また旧約の中身自体をコーランが「欠」と評した上でこの結論に至っているからなんですね。
まあ聖書として世に出回ってるのは「原聖書」とでも言うべき元の記述をユダヤ教徒が竄したものというなんでそこに何が書いてあるかという話にもなるんでしょうけど。
だからこういう話なんじゃないですか。ユダヤ人はそもそも新約認めてない、キリスト教徒は新約に依拠して神の子リストという存在を訴えている、ムスリムは新旧聖書の内容吟味した上では「生まず、生まれず」とい
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125 : ななしのよっしん :2016/06/06(月) 21:44:20 ID: /XOIYTHjM5
研究者が研究費降りる分野に集中すれば、飽和状態になって研究費降りない未開拓分野に行くだろうし
未開拓が開拓されるなら研究費降りて、同じことが繰り返されるだろう
もしくはどの分野の研究費も均質に近づいていくか

もちろん非営利組織やボランティア的団体の研究者もいるし、貰えないから研究しないってのは、研究者全体に当てはまりはしない
もちろん現実的には唯一神宗教研究と「巨大科学」との研究費をべれば、天文学的な差が付いてるだろうが
126 : ななしのよっしん :2016/06/12(日) 08:22:51 ID: xP11A4thtt
>>125
で、「生まず生まれず」とかその辺を巡る問題はこれまでが研究してきてるの?
  JASRAC許諾番号: 9011622001Y31015