園川一美とは、千葉ロッテマリーンズに所属していた格の無い元プロ野球選手(投手)である。
愛称は「園様」。暗黒期のロッテにおいて数々の伝説と珍記録を残し、今もなお(ネタとして)話題に上がる迷左腕。
伝説の始まり ~ハチ公前から~
1963年5月1日生まれ。地元熊本の名門・九州学院で甲子園出場を果たし、さらには大学時代に日体大で1試合19奪三振のリーグ記録やノーヒットノーランを達成するなど、文句無しのエースとして活躍していた。
転機が訪れたのは1985年のこと。元々体育教師の夢を抱いていた園川青年であったが、教育実習の日程と日米大学野球の開催時期が重なってしまう。やむなく(?)出場した第14回日米大学野球では2勝を挙げて日本の勝利に貢献、なんと大会MVPを獲得。プロ入りの決意を固めるとともに、ドラフト1位指名は固いかと密かに思う。
そして1985年ドラフト会議。園川は巨人、ヤクルト、南海、ロッテの4球団競合の末にロッテ(当時はロッテオリオンズ)に指名されるが、彼の期待は外れて2位指名。しかも1位指名は高卒の石田雅彦であった。
納得の行かない園川は怒りもあらわに「なんでこの僕が2位指名なんですか!?」と言い放ち、ノンプロのプリンスホテル行きを決意する。・・・がしかし、ロッテは園川を12日間放置(曰く「気持ちを静めてもらおうとした」とかなんとか)。
結局球団との初交渉の日、スカウトとハチ公前で待ち合わせた園川は、石田雅彦よりも契約金を高くするという条件にあっさり折れ、晴れてロッテへの入団が決定。
歴史が動く時、いつもそこには園川
ルーキーイヤーの1986年は3試合に登板し1勝1敗、防御率3.46となかなかの滑り出し。
翌87年には先発ローテーションに定着してそこそこの活躍を見せるが、彼の野球人生が無難なまま続くはずもなく、
9月2日の南海戦で13失点完投負けというパリーグワースト記録を樹立。この試練とも言える敗戦に若き園川投手の心は折れたかと思いきやそんなことは全然なく、6日後の日ハム戦では完封勝利。何このピッチャー。
そして88年。今もなお伝説として語り継がれる"10.19"の第2試合にも園川は登板し、7回2/3を投げ4失点で降板。
結果として近鉄の優勝を阻止することになったが、園川は試合後「ザマアミロって感じでしたね。勝っても負けても憎まれ役だってことは分かってましたから」とコメント。・・・ちなみに約1年後、今度はオリックスの優勝を阻止した際のコメントは「敵役は慣れてるもの」であった。
89年には規定投球回数に達しながら防御率6.10というパリーグワースト記録を樹立。
しかし同時に奪三振率1位を記録。何このピッチャー。
90年の西武戦では園川のボーク判定に激高し、この年就任した金田正一監督が審判に蹴りを入れるなどの暴行を働き、退場処分に加え制裁金100万円、出場停止1か月の処分を受けている。ちなみにこのシーズン、園川はボーク数3でこの年のパ・リーグ最多である。
91年の近鉄戦では、血の気の多いジム・トレーバー選手にうっかり死球を当ててかの有名な乱闘騒ぎに。逃げ切れずボコボコにされた園川だが、その後再び激高したトレーバーがまたまた監督・金やんに顔面を蹴飛ばされていた時には、外野まで避難しており無事だった。
そして94年と言えば、イチローが前人未到の200本安打を達成した年である。が、この記念すべき200本目のヒットを打たれたのが他の誰でもない我らが園川。試合後のインタビューで「いや、別に僕1人で200本打たれたわけじゃないですし」との迷言を残したが、この年園川はイチローに18打数13安打、打率.722と打ち込まれ、記録達成に大いに貢献している。
95年、ロッテは伊良部秀輝、小宮山悟、エリックヒルマンの先発三本柱と河本育之、成本年秀のダブルストッパーといった豪華投手陣を擁して万年Bクラスから2位へ躍進。いつもと変わらない園川もなぜか好投手の扱いを受ける。
翌96年、園川はその三本柱を押しのけてなんと開幕投手に選ばれる。
しかし対戦相手・ダイエーホークスの王貞治監督は「開幕投手には格というものがあるだろう!」とご立腹。
以降現在に至るまで「園川=格が無い」の図式が定着してしまうこととなった。
ちなみに試合自体はロッテが開幕戦に勝利し、当の園川本人も「仕方ない、俺だってそう思う。開き直ってやったよ」と
相変わらず。しかし開幕投手に全てを出し切ってしまったのか、はたまたワンちゃんの呪いか、この年園川はプロ入り初のシーズン0勝に終わっている。
98年、ロッテの18連敗中には意外なことに園川には1つも黒星がつかなかった。
ちなみに七夕の悲劇で有名なロッテのエース・黒木知宏にとって園川は、連敗中精神的に追い詰められて周囲から孤立する中で、小宮山ともに自分の本心を打ち明けることができる数少ない存在だったらしい(『マウンドの記憶』参照)。
格は無くとも人望はあったようだ。
そして99年、自ら「力が衰えた」と語り引退を発表。
引退試合は10月3日、本拠地千葉マリンスタジアムのシーズン最終戦で行われた。
惜しくもチームは敗れたが、園川は9回表から登板し、相手打者を三者凡退に斬って取り、有終の美を飾った。
試合後のセレモニー。 園川はスタジアムに集まったファンへこう語った。
「皆様、今まで私に勇気と力を与えてくださりありがとうございました。来年もチームに勇気と力を与えてください」
彼は決してエースと呼べる選手ではなかった。しかしそんなことは、ファンが彼を愛さない理由にはならない。
言葉や数字で語ることのできない選手、記録よりもファンの記憶に残り続ける選手が園川なのだから。
たくさんの思い出をありがとう、園川一美。そしてさようなら、園川一美。
ちなみに園川はこの後のオリックス戦で、敗戦処理役で登板している。
通算成績76勝115敗2セーブ、防御率4.32。敗戦数はチーム歴代4位である。
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園川は年に1~2回完璧な投球を見せることがあり、ファンからは「スーパー園川に変身する」という表現をされている。
14年の現役生活で76勝を挙げ、うち14勝が完封勝利によるものというデータは、まさしくこれを証明するものである。
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